見出し画像

お札の顔

昨年から新しいお札が刷られて流通するようになりました
日本の紙幣には、時代ごとにさまざまな歴史的人物が採用されてきましたが、主要な紙幣とその肖像の変遷をまとめると
明治時代〜昭和初期
初期の紙幣は、人物の肖像ではなく、鳳凰や日本武尊などの神話的なモチーフが多く採用されていましたが、明治後期から人物の肖像が導入され始めました。
戦後以降の主な紙幣

発行年 額面 肖像
1945年 五円 二宮尊徳
1951年 千円 日本武尊
1953年 千円 夏目漱石
1957年 五千円 聖徳太子
1963年 千円 伊藤博文
1984年 千円 夏目漱石
1984年 五千円 新渡戸稲造
1984年 一万円 福沢諭吉
2004年 千円 野口英世
2004年 五千円 樋口一葉
2004年 一万円 福沢諭吉(継続)
2024年 千円 北里柴三郎
2024年 五千円 津田梅子
2024年 一万円 渋沢栄一

誰がどのようにして決めるかというと

• 日本の紙幣の肖像は 歴史的に重要な人物 が採用されてきた。
財務省と日本銀行 が協議し、偽造防止の観点も踏まえて選定される。

今まで医師でお札の顔になったのは、野口英世と北里柴三郎です
この二人はほぼ同じ時期に活躍した人たちですが、それぞれの人生は全く対照的なものでした。
私が小学生の時は野口英世が圧倒的に有名で、彼の伝記を何度も読ませられたものです。まさに時代の英雄でした。ところが実際は・・・。
野口英世はアメリカに渡り超人的な仕事ぶりを発揮し周囲を驚かせていたようですが、結局画期的な成果が出ず、最後は研究対象であった黄熱病で命を落としています。また、性格的にも問題があり、特に金銭面ではだらしなく、常に貧乏にあえいだようです。
一方北里柴三郎はドイツに渡り、ドイツ医学を吸収して破傷風血清療法やペスト菌の発見など画期的な医学的業績を残したのみならず、北里研究所の設立、慶応大学医学部設立、日本医師会初代会長など輝かしい履歴の持ち主です。特に北里研究所による医療ビジネスで大成功を収めています。
野口と北里は二人とも天才でしたが、何がこの違いを生んだのでしょう。
もし野口がアメリカではなくドイツに渡っていたら全く違った人生が待っていたかもしれません。
人生はたった一つの選択で、その後の人生が大きく変わることがあるからです。

いずれにせよ医者はいつになっても一番安い紙幣のままで終わりそうですね


アリが10匹


いいなと思ったら応援しよう!