報道における週刊誌の存在価値
週刊誌と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。「スキャンダル」や「ゴシップ」といった言葉がまず頭に浮かぶ人が多いのではないだろうか。確かに「週刊誌によると」というフレーズは、ニュースでもスキャンダラスな内容を想起させる。しかし、週刊誌はただのゴシップ誌ではなく、政治家や企業の「本質を突く」ウラ事情が満載である。それにも関わらず、週刊誌を胡散臭いもの、または陰謀論の一部だとして軽視し、その情報を無視してしまうことが多い。だが週刊誌に対して、事実を追求するためには手段を選ばないという姿勢が求められるのではないか。
週刊誌の特ダネ
このように、当時の政治家の疑惑を最初に明るみに出したのは、新聞社やテレビニュースではなく、文藝春秋であった。大手メディアが報じられない情報を掘り下げ、社会に対して真実を提示する姿勢を証明している。
メディアの制約と週刊誌の自由
不特定多数に向けて情報を発信するメディアほど、発信できる内容に暗黙の了解が伴うことがある。新聞やテレビのニュースでは、その影響力の大きさゆえに、時として問題の核心に触れられないこともあるのだ。例えば、記者は「記者クラブ」という特定の集団の一員として取材を行っており、その中では、一社による特ダネの独占防止のための監視が働いている。こうした構造のため、特定の重要な情報が大手メディアで報じられないケースも少なくない。
一方で、週刊誌には匿名での告発や内部告発などが掲載されることが多く、こうした情報が問題の本質に迫る手がかりとなることがある。週刊誌の記者は大手メディアのような縛りが少なく、自由に事実を追求することができるため、重要なスクープを世に送り出すことができるのだ。
研究者の情報収集
情報収集は一般の読者や視聴者だけでなく、研究者にとっても重要な作業である。しかし、研究者の多くは書籍や論文を重視する傾向がある。私の推測では、学術論文は、学会や研究機関の厳しい審査を通過しなければならず、その過程で一部の鋭い指摘や意見が削ぎ落とされることもある。つまり問題の核心であるにも関わらず、それを記載できないといったジレンマに陥る。
反対に、週刊誌はそのような制約が少なく、時には学術的には取り上げにくい問題に踏み込むことができる。週刊誌を軽視する研究者もいるが、それは本質に触れる情報を見逃している可能性がある。
問題の本質を見抜くために
問題の表面だけを伝えていても、読者の問題意識は醸成されない。問題の本質を見抜くことこそが、物事を深く理解し、語るための基盤となるのだ。週刊誌は、その本質に迫るための重要な情報源を多く含んでいる。
ありとあらゆる情報の中から、正しいものを取捨選択する能力は、現代において重要なスキルである。特に、週刊誌のような情報源を第一印象だけで切り捨ててしまうのは非常に勿体ない。インターネット上には正誤の判断が難しいほど、膨大な情報が溢れているが、その一方で週刊誌には真実が掲載されているにもかかわらず、それが正当に評価されない現実がある。媒体の普遍的なイメージだけで正しい情報すら拡散されない現実を、どう受け止めるであろうか。