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本当の豊かさと命の祝福

3月3日、あちこちで春を感じさせる草花が咲き始め、少しずつ日が長くなってきた。
心なしか、寂しさとその先にある暖かな感覚を味わいながら、

数日前、ふとした瞬間にあるメッセージが降りてきたことを思い出していた。

お金は光のエネルギー

その言葉とともに光の柱が神々しく伸びていく光景が浮かんできた。


私は、「お金」というものに対してネガティブな感情が常に付き纏っていた。何度となくそのお金のブロックを解除しようとワークをして少しずつ玉ねぎの皮を剥くような、ガチガチに固まった殻を剥がすような作業をしてきた。それでも尚、私の目の前に立ちはだかる壁が現れてそこに向き合う。

そんなことを何年してきただろう・・・

それが、この一瞬で消え去るような感覚を覚えた。

今まで感じてきたマイナスのエネルギーが光のエネルギーに変わった瞬間だった。

私が今まで生きてきた環境では、貧しさからくる、裕福な人への恨みや妬み。働いても楽にならない暮らしから逃れるように、酒やギャンブルでうさを晴らす。そんな大人たちを間近に見てきたからか?どんなに外しても着いから次へと湧き上がってくる心のブロックと誓いに疲れ果てていた。

1人でいる時間が長くなり、お金と心の豊かさは比例しないこと。自分自身の内側を満たすことで得られる豊かさを感じられるようになってきた。
だけど、現実の暮らしが良くなるわけではなく、いつまで経っても進歩しない自分に辟易としていたのだった。

そんな時に天から降り注ぐように湧いてきた言葉に全身の細胞が書き換えられていくような衝撃を覚えた。

ふと、買い物ついでに思い立ち、近くにある「清左衛門地獄池」という平成の名水100選に選ばれている場所に立ち寄った。
正午の鐘が鳴る頃、日差しに水面がキラキラと輝いて沸々と湧き出る水とその水面を気持ちよさそうに進むカルガモの子供の姿を眺めていた。


清左衛門地獄池

その時、「お金は光のエネルギー」という言葉と湧き出る水の豊かさがシンクロした。
全ては、金銭の授受で成り立つ貨幣経済の世の中でついつい、「お金」という物質に振り回されてしまう。だけど、その根底にある豊かさは、お金ではなく、今あるものを大切に生きることだと気付かされた。

仲間との語らいの中でもそんな話題が出てきたり、なんでも手軽に手に入る時代だから見失ってしまう大切な物を今取り戻そうともがいているかも知れない。

3月3日の朝、大切な友達とイマココで湧き上がっている事を話している中で、

「私たちって、中々自分自身を祝福できないよね」

と友達が話してくれた。
その瞬間、内側から湧き上がってくる強いエネルギーを感じた。
私は、

「今まで、お祝いのニーズが満たされない人生を歩んできたよ。」

と言いながら涙がこぼれた。
そして、自分がこの世に誕生したことをお祝いしていないことに気づいた。

ずっと、自分自身がこの世に生きていること自体を否定して生きてきた。
何度も自分を消し去ろうとした。何度も自分の体を傷つけた。

私自身が、この世に生まれてきたことを祝福しないで一体誰が祝福できるだろう・・・
50年生きてきてやっと、そんな当たり前なことに気づいた。

画面の向こうで友達も一緒に涙を流してくれていた。
私の溢れ出す感情とその場に流れるエネルギーを共に味わってくれる友達がいる。大切な瞬間に立ち会ってくれた彼女に感謝でいっぱいになった。

自分を大事にすること、自分を愛することをこの5年ずっと学び続けてきた。
頭ではわかっているけれど、全身でそれを拒もうとする何かがそれを妨げていた。その、「何か」が外れてその意味を受け入れられたのだろう。。

命の祝福

私の中に流れる源泉に触れた、ようやく辿り着いた瞬間だった。


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