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済州島旅行#06.自然の造形物には伝説がつきもの

 四方を海に囲まれた火山島で、独自の自然を創り出す済州島。

 漢拏山以外にも、多くの観光客が訪れる絶景ポイントがあります。その中で今回の旅では、龍頭岩ヨンドゥアム天地淵瀑布チョンジヨンポッポを巡りました。

 龍頭岩はその名の通り龍の頭の形をした岩で、天地淵瀑布は済州島の三大瀑布の一つです。

 それぞれには語り継がれる伝説があり、大自然に囲まれていると、そんな逸話すらも実話のように感じさせる神秘性がありました。

まずは龍頭岩にれっつらごー

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龍頭岩

 龍頭岩ヨンドゥアムは済州国際空港から車で10分程度、済州市の海岸沿いにあります。

 海中の竜宮に住んでいた龍が天に昇ろうとしたがままならず、固まった姿に似ていることから、その名が付きました。

 約200年前に噴出した漢拏山の溶岩が固まり、歳月を経て波風に侵食されてこの形になったといわれており、海上に出た頭の高さは10メートル、胴体の長さは30メートルになります。

 さて、この手の奇岩に伝説はつきもの。

 地元の言い伝えによると、遠い昔に龍が漢拏山の神霊である珠を盗んで逃げようとし、これに怒った漢拏山神が矢を放ち、それに当たった龍の胴体が海の中へ沈み、頭は天に向いた状態で固まったそうです。

 他にも、龍になって天に昇るのを夢見ていた白馬が将帥に捕まり、その場で固まってしまったという話もあるそうです。なるほど。確かに、馬のたてがみは龍の背中に似てますよね。

中央に突出している部分が龍頭岩

 龍頭岩が見えるスポットはいくつかあり、その見え方は様々。

 最初に訪れたこのポイントでは、どう見ても、何度見ても、凝らして見ても、亀にしか見えませんでした。

 右上に首を長く伸ばした亀。

 頑張って脳機能を活性化し、これは龍の頭だと強く言い聞かせたとて、亀にしか見えません。

 誰だよ、龍って言ったやつ。 

同じ岩を見ているとは思えないほどの変貌ぶり

 ――ということで、ポイントを変えてみました。

 ああ、、、、、、うん。

 そうね、ちょっと龍っぽいも。

 亀よりは龍に近くなりましたが、それでも、似たような岩は他にもありそうだけど・・・という考えは否めません。しかも、海から左上に向かって這い上がる龍だと思っていたら、旦那くんが「そうじゃないんだよ、頭は右に向いてるんだよ」と言うものだから、ワケワカメ。

 ということで、3つ目のポイントにやって来ました。

 目印はこの「龍頭巖」。ここからの景色が一番だといわんばかりの案内岩で、周辺には海外からの観光客が多くいらっしゃいました。

 ここから階段を下りていきます。そして、見えた景色が・・・。

 お!

 おおおおお!

 ゴジラ?

 いえいえ、海から頭を持ち上げて這い上がり、口を開けながら左を向く龍の姿です。

 私の目にはゴジラにしか映りませんでしたが、それでも龍の姿をした迫力溢れる奇岩です。夕陽の沈む時間帯に来ると、さらに美しい光景が見られるのだとか。

 また、周辺は海女さんたちの活動区域で、時間帯によっては素潜りをしている様子を見たり、獲れたてのアワビやサザエを食したりすることもできるそうです。少し時間を取って、この辺りを散策するのも楽しいかもしれません。

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天地淵瀑布

 済州島南部の西帰浦市に位置する天地淵瀑布チョンジヨンポッポ

 天然記念物第27号に登録され、天帝淵瀑布チョンチェヨンポッポ正房瀑布チョンバンポッポと並んで済州島三大瀑布に数えられます。

 滝の大きさは、高さ22メートル、幅12メートル。

 絶壁を豪快に流れ落ちる水の迫力は圧巻で、多くの人が入れ代わり立ち代わり写真を撮っていました。なかには、動画発信を行っている様子の外国人観光客の姿まで。

 まさに、済州島を代表する絶景です。

ど~!

 そんな人の中に紛れ込んで写真を撮った後は、階段に腰を下ろし、ゆっくりと水の音を楽しみます。

 滝の轟音とともに自分の中に溜まっていたものが流れていくよう・・・。

 爽快さと心地良さが、からだ中に沁み渡ります。

 目の前に広がるエメラルド色の天地淵を見ていると、何時間でもここに居たいという気持ちになりました。

どど~~!!

 天地淵という名は、天と地が出逢ってできたことから来ているそうです。

 滝つぼの水深は、20メートル。

 透明度が非常に高く、天然記念物のオオウナギの棲息地としても有名で、遠い昔、玉皇上帝(道教における最高神)に仕える7人の天女が珠の笛を吹きながら雲の階段を降りて地上に降り立ち、この池で沐浴を楽しんだという伝説が残っています。

 やはり、絶景には伝説がつきものですね。

どどど~~~!!!

 それは想像上の物語でしょうと感じても、この景色をからだ全体で感じていると、それはそれでありえるかもしれないと思ってしまうのが不思議な所です。

 見れば見るほどに消えていく、自分と外界の境界線・・・。

 それほどまでに、自然には、神聖さと神秘性が伴っているようでした。

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