みあげた空が青かった。
私は幸せ。
暖かな笑顔、優しい母。
大きくはないけれど、落ち着ける家がある。
私は幸運。
おかえりと言える家族がいて、ただいまと返ってくる温もりがある。
貧しくはないけれど、裕福でもない。そんな普通の家庭。不満なんて言ってはきっと罰が下る。欲しいものやしたいことは全部叶えて貰って、悲しいと泣けば抱きしめてくれる腕があって、嬉しいと喜べば髪を滑る指先がある。
私は、幸せ。
"貴方は何もしなくていいよ"と、座っているだけで整えられていく食卓に並ぶのは、私の好きなものばかりで。嫌いなものが並んだことなんて一度もなかった。
私は、幸運、
寒い裏庭に締め出された時だって、いつかは鍵の音とともに私が大好きなスープの香りで出迎えてくれていた。
引っ張られた腕や、床に擦る身体に、頭の中で反響する声の痛みなんて世界に目を向ければなんてことない。
私は
これが好きなんだ!こんな格好がしたいんだ!って飛び跳ねた心を前に進ませてくれたのはいつも優しげな笑顔だった。
いつだって、どこでだって、見上げた色を伺うのは幸せなのだから、
私は、
一人暮らしを始めた時、風邪を引いたと連絡したらすぐに両親揃って来てくれて、大丈夫だよ。ゆっくり休もうと布団をかけてくれた。
私には、なんでも叶えてくれて、どんなことでも応援してくれる優しい両親がいる。
だから、暖かい室内で冷たさを感じてしまうのは私の欲張り。
食べ物に困ることもなかった。
したいことを我慢することもなかった。
海外にも何度もいった。
自室は私の好きなもので埋め尽くされている。
”接し方がわからないんだよ”穏やかな言葉は、いつからか私の口癖になっていた。
だから私は自分の幸せを疑ってはいけない。
私は幸せなんだ。
大切にして貰って、愛されていて、ただ少し、少しだけ記憶の中で疼く記憶が愛してるの邪魔をする。
私は幸運だ。私は恵まれていて、幸せで、心の中に疼くこの感情は無いものねだりのわがままだ。
捨てきれない感情が罪悪感を植え付ける。
ほら、こんなに恵まれている。なのに叫んでしまえば、そんなの愚かで幸せな奴の戯言だなんて聞こえてくるんだよ。
だからきっと、私は幸せ。
愛された子なのだと微笑んで、世間知らずでわがままなそんな馬鹿でいよう。
だって、私は幸せだから。
それでもみあげた空は青いのだろうか
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