常識の基準って何でしょうか?
最近、常識って何だろうと考えていました。
「常識」の意味を調べると次のように書い
てあります。
(Wikipediaより)
社会を構成する者が有していて当たり前の
ものとなっている、社会的な価値観、知識、
判断力のこと。また、客観的に見て当たり
前と思われる行為、その他物事のこと。
うーん。なんかわかりにくいですよね。
つまり「社会的」な常識と「客観的」な
常識の大きく2パターンに分けられるよと
書いてあるのだと思います。
社会的常識とは
法的に拘束されている常識。人を殺めては
いけない、人のものを盗んではいけない等、
これらは幼少期から当然のように植えつけ
られてきた「常識」であり、人が人として
生まれてきた以上、理屈抜きで守らなけれ
ばならないもの。
客観的常識とは
これまで歩んできた人生における経験から
培われた個人の常識。アインシュタインい
わく「常識とは、18歳までに積み上げられ
た先入観の堆積物である」と。
まぁつまり偏見のコレクションという事ら
しいです。
日常の常識でのトラブルはほぼ「客観的
常識」の食い違いだと思います。
アインシュタインが言う様に「常識とは
先入観の塊」だとしたら、本来それは
「個人の常識だよねー」で揉めないはず
なのにと疑問。
しかも現在は多様性が問われる時代なら
尚更、各人がそれぞれ異なる考えを持って
いることは、もはや当たり前のこととされ
てるはずですよね?
では一体どういう常識の基準でトラブルが
起こるんでしょうか?
調べましたよ!
客観的常識も大まかに2つに分けらるそう。
日常生活の常識とビジネスでの常識
日常生活の常識とは
1.あいさつをする
2.時間を守る
3.後始末をする
4.無責任な事を言わない
5.出欠の連絡は必ずする
6.嘘はつかない(本人は嘘と思ってなくとも)
ビジネスでの常識とは
1.あいさつをきちんとする
2.時間を守る
3.報告、連絡、相談をする
4.丁寧なコミュニケーション
5.整理整頓(後片付け)を心がける
だそうです。
これを読んで思いました。
これらの行動の中にはきっと相手に対し
ての「思いやり」や「尊敬」「感謝」と
いう気持ちが入っているんだなと。
そして、常識という大きなくくりの中の
行動をとる事で、お互い暗黙の了解でそ
れらを感じてるんですね。
だから尚更仲の良い友人や仕事仲間が
この常識と合わない事をされると辛くな
るんですね。
では常識を外れたことをされた場合どう
すれば良いのでしょうか?
先程述べた様に多様性の時代だから違和
感を持っても我慢して付き合うのか?
もしくは長く付き合いたいと思う相手な
らきちんと向き合って伝え、ぶつかった
としてもお互いの気持ちを時間をかけて
擦り合わせるか?
これは人により選択は変わってきますよね。
私個人としては、こんな時代だからと客観
的常識がズレたまま親しく関わりを続ける
というのも少し寂しい感覚と、そのズレを
溜めたまま付き合っていくうちに、自分の
心が何も伝えないまま相手から離れていく
のは、人と関わって生きるという意味でど
うなんだろうと思ってしまいます。
もしかしたら思いを伝えたとしても、価値
観を押し付けられたと誤解され、面倒臭い
人だと避けられるかもしれません。
逆に伝えた側の問題だったという事で反省
しないといけない側になる事があるかもし
れません。
それでも今という時代だからこそ、人と向
き合い人間臭さを出して解決していくとい
う事を大切にしたいと私は書いてて思いま
した。