甲状腺ガンと診断された話

備忘

※途中で手術後の写真と傷口の写真が出てくるので注意してください。

2023年11月上旬あたり
会社の定期健康診断で、「首の右側が明らかに腫れてるよ。これ絶対おかしいから見てもらって…紹介状書いとくね。」と言われる。
今までの触診では「なんか腫れてるかなぁ…?まぁ経過観察で」としか言われていなかったのに今回明確に異常をお出しされた為、受診を決意。

2023年12月中旬あたり
健康診断の結果とともに紹介状届く。
仕事のシフトと病院の予約がかみあわず
来年1月年明け早々行くか、となりそのまま年を越す。

2024年1月上旬
予約した病院へ行く。尿検査、血液検査、エコー検査で甲状腺右に25mm台の腫瘍を発見。血液検査の結果橋本病の診断。
(橋本病:甲状腺ホルモンってのが甲状腺でつくられるんだけども、それが作られなくなってホルモンが低下していく病気。疲れやすくなったりする。私はここ数年疲れやすくなっていたのでまさしくこれに該当)
腫瘍が20mm以上の場合は細胞診が必要になるとのことで、検査した次の日に再度病院に行って、細胞診をしてもらった

これが痛い。
やること簡単に言うと喉に麻酔うってから、甲状腺まで針刺して腫瘍の細胞をとってくるというもの。1週間くらいで結果が出る。
結果悪性疑い。詳しい先生と話して今後どうするか決めてください。としか言われず、後になって思えばその先生はかなりむかつく対応だったなと思う。
行った病院の系列の病院への予約をとり、その場では終了。

のちにわかることだけど、この時点で私はガンほぼ確だったらしい。


2024年2月上旬
系列の病院受診。今回手術してくれた先生と出会う。
この時「甲状腺乳頭癌」と言われ大変動揺する。
※甲状腺癌にはいくつか種類があり、乳頭癌はその中でも1番軽度で手術して摘出できれば予後が良い癌とされているらしい。転移がなければ。

人間ってほんとに動揺した時って一旦涙出ないんだけど、一人でいる時とか歩いてる時とか普通に涙が出てきて困ったなぁと思ったし、私の甲状腺ガンでこれなのでもっと大きな病気とかの場合どうなってしまうの?ともなったし、今までのいろんなことを振り返っていた。予後がいいとはいえ転移してたらどうしよう…とか、私はガンがあるんだっていうその事実みたいなものが重く重くのしかかっていて合計して3日間泣いてた。次の日仕事に行きはしたものの先輩が出社するや否や涙と嗚咽が止まらなくなってそのまま帰らせてもらったほど。かなり精神病んでた。

どうやって立ち直ったのか明確なきっかけはわからないんだけども、母親と話したのが大きかったと思う。多分母親は私になんて声かけてあげたら良いだろうとかすごく考えてくれてたと思う。吹っ切れたと言うか早くこの苦しみから逃れたいなと思ったのは母親が抱きしめて大丈夫だよって言ってくれた時だと思う。この時割と腹は決まってた。あと母親と数日一緒にゆっくりした時間をすごして、3日後に立ち直ったって感じだった気がする。

2月8日
手術予定の病院で、一旦転移がないか調べる為
・血液検査
・心電図
・肺レントゲン
・上半身CT
・ダメ押しのエコー
行うことに、8時半到着、1番目に呼ばれるも採血がうまくいかず1時間かかる(2回目まで失敗※激痛 3回目にCT撮る時の造影剤ルート確保、4回目にして採血完了。)
一旦データ上では転移なし、あとは採取してからとのことで手術日が2月14日13時〜に決まる。
奇しくも祖父の命日と一緒の日だった。

検査やらなんやらが全部終わったのが12時半 終わってから仕事行こうと思っていたがヘロヘロで無理だった。

☆CT検査の造影剤身体に入れるのが気持ち悪かったのと、後にも先にもうわーーいてーーーと思った第一位は振り返ればこの時の採血だった。

次の日3日間働くぞという気合いとともに今後のことについて上司に相談する為出勤。

と思ったら本社くんが気を利かせすぎた結果傷病手当いっぱいもらえるようにということで次の日から休職扱いにしてくれるとのこと。給料は下がるけど有給使わなくて良いのありがたいなと思いつつご好意に甘え休職となる。

2月13日
午後から入院。入院時間まで母となんの用事もないのに近所をぶらぶらした。
それからは入院して夜ご飯食べて、そのまま寝ることに。個室なんてたいそうなものはお願いせずに大部屋の一角を借りました。
隣の人は私が入院して間もなく手術から帰ってきた人のようで、明日の私だ…となっていたのも束の間、
主治医が突然病室にやってきて
「明日午前中に手術予定の患者さんコロナにかかって即退院したから午前中に変更するね」と宣告。
そのコロナになった人もかわいそうだけど突然午前中になった私の気持ちも考えてみてくださいよ。
しかしながら心とは裏腹に私の口からは「わかりました。やりましょう」と返答してしまってたんですよね。
急遽点滴ルート取り開始、1度目失敗結構な出血をしてベッドを汚し看護婦さんにプレッシャーをかけてしまう。2回目に成功。これも痛かった。

斜め向かいの人は割と長い間入院してそうな方だった。両者とも夜になると痛み止め、痛み止め…とナースコールを押していた為、少し怖くなる。
友達とLINEなどして心を落ち着かせ(かなり落ち着いた、ありがとう友人たち)無事に就寝。

2月14日 午前8時
先生からの手術説明を母と一緒に聞く。以下要約。
・甲状腺右側にガン腫瘍がある為、6割程度摘出。
・特に問題ない場合予後は良い。
・手術デメリット二つ、1つは声が出しづらくなる、場合によっては声が掠れて戻らないこともある。
2つは甲状腺摘出後周りの血管をつなぎ直すが、その時の血流に耐えられず喉の中に血が溜まることが稀にある。その際は再度血を抜く手術を行う。
・止血するために血から生成される止血剤(ゼリー状)を上から撒くけど使っても良い?(いろんな理由があるよね)
こんな感じのお話をして各種同意書に名前記入。
時間になったら呼ばれて、点滴持って歩いて手術室まで自ら進んでいきます。


ジェットコースターって乗る前どきどきで
乗って上に上に進んでくときって割と1番苦痛な時間じゃないですか?いや、絶叫好きな人ならワクワクするだろうけど今はそんなこと考えてる暇ないので気にしません。
今まさにそれなんですよ。私は手術っていうてっぺんめがけて登ってる最中で、最悪の時間なんです。なので、名前呼ばれて、手術室行こうかとなった時『やっとこの苦しい時間から解放されるんだな』って本当に真の意味でスッキリした気持ちでした。看護師さんに今日夕飯食べれますかね?とかきいて、笑いながら手術室まで行きます。みんなそんなもんです。泣いてなんていられるかってんだという気持ちです。やっと下れるんだから。
そんな気持ちで手術室看護師さんに「髪の毛のピンクめちゃくちゃかわいいです…一眼見た時から言いたかった…」など嬉しいことを言われていざ手術室。感想「ドラマみたい」そんなこと緊張で言えるか!と思ってたけど本当にそう思って口に出してたのでドラマってすごいな、などと思いつつ手術台に座って上の服を脱ぎます。
手術台、温められててびっくりした。そのあとは寝かせられて、いよいよ全身麻酔のお時間となります。

☆これから全身麻酔の話しますね。
怖すぎていろんな人から話を聞いたり、体験談をよんだりしました。だいたい、1.2.はーーいおきてください!と言われるとのことでしたが信じてなかったんですね、いやもう少しあるだろと思ってた
時期が私にもあったんですが…

私の場合は点滴から麻酔薬を入れるタイプでした。先に酸素マスクが顔の前に来て、「これは普通に酸素が出てくるマスクなので、そのまま深呼吸しててくださいね」と言われます。そんでもってほどなくして、「じゃあくらくらする薬点滴から入れてきます。くらくらしてきますね。」と言われます。最初は点滴のとこ痛くないかと問われますが特に痛くないです。と返答します。この時確かもう視界がぐらぐらしてました。
そんでもって間髪入れずに「じゃあこれから麻酔入れてきます、眠くなりますね〜」と言われて、ぐらぐらしてることもあり目が開けられなくなっていきます


数秒暗転

「終わりましたよ〜!」

これなんですよね。ほんとにこれ。本当にこれとしか言いようがないんです。麻酔から目覚まされた時私は猛烈に気持ちが悪かったんですが、(船酔いしてる時の感覚と近かった※私は船にだけ乗り物酔いします)麻酔から目覚めた第一声は「気持ち悪い…」でした。そして首が苦しい。これは気管挿管のせいもあるのかもしれないですが、メス入れたところを止血するために圧迫ガーゼが貼られていたのでそのせいかも。
何時ですか?ときいたら11時だよ、と返答があったので手術開始から2時間が経過していることを把握します。そのままベッドに寝かせられながら病室に戻ってきて、体が動かない、首が苦しい状況で2時間過ごしました。
以上、全身麻酔の話でした。

※この2時間がまぁわりと地獄だったんですが、看護師さんは点滴に吐き止めまぜてくれたり、痛み止めいれてくれたり、頭の位置がとんでもなく良くなくて位置を変えてくれたり、30分に1回様子見てくれたりなど手厚いサポートしてくれましたし、手術付き添いに来てくれた母も手を握ってくれたり私から溢れ出る安堵の涙を拭ってくれたりなどしたのでなんとか乗り切れました。人間の頭って重いんだな…とんでもないな…

その後程なくして起き上がっても良いよ、ということになり起き上がると叔母と祖母が見舞いに来てくれました。声が全く出せなかったし首も動かなかったので目線と少しの動作だけで会話します。
幸いなことに手術時間は1時間半だったらしく、元から私は尿道カテーテルを入れていなかったので自力でトイレに行くこともでき、その点においては大変楽でした。
人によっては尿道カテーテルが1番きついっていうから……抜く時激痛らしい。そら尿道にはいってんだからね。管がさ。

んでもって見舞いに来てくれた親族を帰して、その日の夜から食事解禁。早くね?とおもいつつ痛む喉を労わりながらスパルタでお粥を流し込んでいきますが、全然口も喉も痛みで言うこと聞かず完食できず終わりました。

痛み止めいれてもらうにも点滴再開!なのでこれが嫌すぎて私は1回しか痛み止め入れてもらいませんでした 強くないか?痛みに。

術後の夜はこんな感じで更けていきます。それでも睡眠はできた方ではないかな…?途中起きるけど合計5時間くらいは寝れた気がします。
※以下術後写真注意

髪もボサボサなんですけど、こういう感じのクッソ苦しいガーゼつけられててほんとに苦しかった。あとこの赤い線は切った所から血液やらリンパ液やらを逃してくれるドレーンの管です。


次の日 自分の状況を客観視で把握します。
首のガーゼが取れて凄く身軽になり大変嬉しかったです。(点滴ルートも取れてます。)で.一度手術の跡どうなってんだ…?と思い見たのが間違いでした。右鎖骨下、普通に痛い。赤い線。形容しがたいしちょっと人に見せたくないし管通ってるしでショッキングな状況でした。ちなみに手術跡、看護師さんみなさん言うんですが、綺麗に縫われてるらしいです。怖。
首にはもう1箇所、カメラを入れた部分の傷があります。✖️印がついてるような感じになっており、いや…宝の地図ちゃうぞと……なりましたがここも綺麗に縫われているようで、傷も小さいのか上から何も貼らずほったらかしでいいようです。マジ?
今日からシャワーも入れますよ!(管通ってるけど)との事で、頭は洗えないにせよ本当に身体を洗い違ったので是非…とシャワーの予約。3日ぶりに身体を洗えたので本当に気持ちよくて最高でした…髪の毛が管のせいで洗えなくて不完全燃焼。
このときも熱が37.3〜5ほどあったのでシャワーから上がってベッドに帰ってきたらもうへとへとの状態でした。そのままうとうとしながら1日を終えます。

シャワーに入れた翌々日、2月17日にドレーンからの廃液もおちついたので退院して良い、と主治医よりすんなりと言われ、午前中で退院となります。
ここでドレーンの管を取るんですけど、糸で縫われてるのをパチパチ…と切ってずる〜っと取るんですが…痛くはなかったけど…気持ち悪くてその後の朝食あんまり喉を通らなかったです。形容しがたい気持ち悪さがあった。

※以下傷口写真注意

切ったのはこんなもんです。手術の内容きいたら血の気が引くので聞かない方がいいですけど見栄えはまぁ、いいですよね。

退院して4日後に抜糸して(抜糸は大して痛くも痒くもなく、ただパチン、パチンって糸を切ってる音が気持ち悪かった)終了、病理検査の結果は3月に…とのことでした。
声も思ったほど枯れてなくて、2月23日からは仕事復帰してました!これからも元気に生きるために仕事しなきゃ…と社畜は思うなどしたわけですね。


3月4日
病理検査結果聞くために病院へ。
結果はリンパ節転移なし、とった腫瘍も悪性ではなかった(とはいえ悪性に変わる可能性全然あるのでとってよかった…)とのこと。

また5月に血液検査して、その後もう一回CT撮るとのことですが、一応一旦の区切りはついたかなと。

退院してきてからは数日やっぱり手術後が痛くて走れない、長い時間歩けない、長い時間会話できないってことがありましたけどそれも日を追うごと徐々に良くなり…
ただ、顎の下(特に手術した右側)めちゃくちゃ腫れてて実は今もまだ腫れてます…常に二重顎です。めっちゃ揉んでます。二重顎になっててもしゃーないなと思ってあと数ヶ月ご了承くださいって感じ。こういう時マスク生活でよかった〜!

いったんこの雑なメモ書き終わろうかなと思います。
最後に

みんな、健康診断を蔑ろにしないようにしよう!!


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