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技術広報というキャリアのなり方について考えてみる

上記のドキュメントを書く仕事を探す、というブログを読んだ。
お気持ちとしてはとても応援したいので頑張って欲しい!という感じなのだが、一方で「そもそも期待されている職種が実は世の中にない、あるいはまだ名前がついていないかも……」とも感じていました。
だからなにってことはないのだけども、そういえばぼくもVPoEの渋谷さんから「技術広報やってみませんか?」と声をかけられなかったらそもそもそういう役職があることを知らなかったな……と思ったので、2年半ほど技術広報をやってきて、自分なりの技術広報のなりかたについて整理しようと思い、いまこの記事を書いている。

「自分の得意なこと、好きなことをキャリアにプラスする」の項にも少し書いたのだが、こういった自分が知らない機会やチャンスというのは運や偶然に大きく支配されるところがあると思う。

ここでいう運や偶然というのは「自分の実力が及ばないもの」のことではなく、自分以外の誰かが導いてくれたり、巡り合わせてくれる人の縁によるチカラのことを指していると思ってほしい。

運や偶然を設計する

偉そうなことを書いてはいるが、実際自分のキャリアが再現性が高いか?と言われると正直自信がない。これは他人が、という意味ではなく自分自身の時を巻き戻したとしても同じになる確率が決して高くないだろうと考えているからだ。
まあ、その理由はさておき、運や偶然を設計するとはどういうことだろうか?
世の中には計画的偶発性理論というものがある(らしい)のだが個人的にはこれが非常に近いのではないかと思う。

ぼくが技術広報になった際の経緯や環境としては以下のような条件があったと思う。

  • 発信に対して前向きであったこと

  • 発信する人を増やしたい意思があったこと

  • 周りを巻き込んで発信を促そうとしていたこと

  • 行動を起こすことを厭わなかったこと

  • コミュニティやエンジニア組織に強い興味・関心があったこと

具体的にいうと自身のコネクションを使って勉強会の社外講師を招いたり、社内勉強会を立ち上げたり、社外でコミュニティ活動を行ったり、ブログを書いたり…といったことをしていました。
まあここまでなら別に技術広報になるというよりはエンジニアが社外発信や技術発信に関心があるんだな、くらいなのだと思います。

出会いに関しても同様のことがいえます。たまたま連絡した友人、街で出会った人、SNSでつながった人など、誰から良い知らせがもたらされるかはわかりません。偶然の出会いこそ大切にしてください。

計画的偶発性理論とは?クランボルツ教授に学ぶキャリアデザイン

結局のところ、運や偶然というものごとは人という起点を中心に発生するのが重要なのだろうと思います。

そして、その役立つ情報は見返りを求めず、無償で届けることが原則です。すなわち、自らすすんで与える人=giverになるということです。

伊藤淳一流「効果的アウトプット」の極意。これでどこにでもいる平凡エンジニアが有名ITエンジニアになれた

伊藤淳一さんのいうところのgiverであることが、計画的偶発性理論における「偶然の出会いを大事にする」ことに繋がるのではないかなと思います。
つまり、そういう意味でいうとぼくは

  • giverとして価値を届ける層に対して行動を起こせていた

  • 偶然のよき出会いを想起させる程度には周りが価値を認めてくれていた

  • 届けたい土壌に発芽する芽が存在した

という点が大きかったのかなと思います。
「組織課題と個人のWillをかけあわせましょう」という一般論に集約されてしまうのですが、種のないところに水をやっても花は育たないように課題を持つ人たちのところで活動していたことが技術広報になることができる大きな源泉だったのかもしれないと考えています。

そういう意味で、自分が向かう先にその運や偶然が落ちていそうかを調べることはできるかも知れないと思います。
こういったことに課題を感じている、こういったところで苦戦しているというのは視座が異なる人の言葉の端々に生まれては消えています。
その欠片を集めて、自分が向かう先の種があるのか?という温度感や期待感は感じられるのではないかなと思います。
それが、「運や偶然を設計する」ということかなと考えています。
とても難しいことではありますが、いまの知識や経験を持って過去に巻き戻れたのならそういうことを実践する余地があるかもしれないなと思います。

仮に違う組織だったら技術広報になれたのか

個人的にはなれなかったと思いますし、ならなかったと思います。
良くも悪くもマネーフォワードはプロダクト志向が強いエンジニア組織です。プロダクトをより良くしたい、そのために技術を使う。そういった思想をさまざまな人と会話するたびに感じています。
逆に技術思考で最新の技術をガンガン取り込んで挑戦することで成長したい、プロダクトは新しい技術の実験場だ!というような人はあまりいない気がします。
技術志向もプロダクト志向もどちらがいい悪いというものではないと思います。ただ組織のカラーとしてプロダクトのために技術を活かしたいという気持ちを持つ人たちが多く在籍しているというのも事実です。

竹端さんの記事でも書かれているように個人的に技術志向とプロダクト志向は両方ある状態が望ましいと考えています。
マネーフォワードではややプロダクト志向よりな思想や人物が多いため、技術広報として発信を用いてリバランスの協力をしたいと感じていたのがきっかけの1つです。(当時はそこまで明確に考えていませんでした。)
逆にいえば、マネーフォワードが技術偏重な技術志向な会社だったらおそらくぼくはエンジニアとしては楽しめているが、事業の成長とは寄り添えていない環境に身をおいていたんじゃないかと思います。
1個人としては楽しいし、それでいいかなとも思うんですがエンジニアとしての成長として考えたときにはこれは(ぼくの年齢では)大きなマイナスになったかもしれません。

luccafortという人物が持つパーソナリティ

結局のところ最後の一押しはなんだろうか?と考えたところ、個人のパーソナリティによるところが大きいのではないかと考えています。
ぼくの特徴で言うと

  • 人から嫌われることに対して臆病であること

  • 自分がピエロになることに抵抗がないこと

  • 重苦しい空気や緊迫した雰囲気を和らげられること

あたりがぼくの強みなのかなと考えています。
上記だけみてると聖人か超人か?という気がしますが、そういう面もある程度に捉えてください。弱い面や汚い面を書いてないのでそう見えているだけです。
特に大きいのが臆病さではないかなと思っていて、ぼくは自分が発言した言葉が誰かを気づけてしまったのではないか、怒らせてしまったのではないか?と発言したあとにものすごく後悔することがよくあります。

そういった性格なのでよく杞憂な心配をして、同僚から「それは起こってから考えればいいのではないか」と指摘されることがあります。
それでも発言することをやめたりしないようにだけしています。

事実、これらの99.9%は杞憂なのですが、そういった心配をしているという姿勢がみえるということに安心感を感じたり、ぼくがどういった点を気にしているのかを伝えるということが結果よりも重要な意味を持つことがあると考えているからです。
そういったメンタリティやパーソナリティの部分が、ぼくを見ている人たちの「この人なら任せても大丈夫そうだ」という信頼につながったのではないかと思います。
相手の背景をエスパーすることは決して得意ではないですし、認知バイアスに引きずられることも多々ありますが、このような些細なことが意外と運や偶然を引き寄せる「蜘蛛の糸」なんじゃないかという気が最近しています。

つまりどういうことだってばよ?

つまりぼくは自然体でマネーフォワードが足りないと感じているところに訴求できたのではないかということです。
再現性と言う意味では意識的に取り組んでいたわけではないので低いのですが、同じ状況を再現したならばやはりぼくはマネーフォワードで技術広報の道を歩んだ可能性が高いということに気づけました。
あえて、再現性の確度を高ようとするならば視座の異なる社内と社外のエンジニアにできるだけ客観的に話を伝え、課題に対して自分が考えていることの率直なフィードバックをもらうであったり、「イシューからはじめよ」にかかれていたその道の権威、第一人者に話を聞きに行けば、再現性は高くなるかもしれません。

まとめ

ぼくという人間がこれまでに経験したこと、考えてきたこと、実践してきたことそれらを丸っとまとめて技術広報というキャリアの道が拓けたのだとわかりました。
どれか一つでも欠けていたらおそらくは技術広報になれなかっただろうと思いますし、マネーフォワード以外の組織だったとしても同様だろうと思います。
環境と人、双方が求め合う形が偶然出会ったのかも知れませんし、「奇貨居くべし」というマネーフォワード側のGive it a tryな挑戦の結果がうまくいっただけなのかもしれません。
大事なのはいまぼくが技術広報という役割をマネーフォワードで担っていて、それが重要だと考えているということです。
その思いと考えが揺るがない限りは技術広報を辞めないと思いますし、マネーフォワードも辞めないのではないかと思います。
これが技術広報になってみたい、目指したいという人に刺さるものになっていない自信はあるのですが、自分が技術広報になったのはなるべくしてだったのだなという確信を持つことができたので、それはそれでいいかなと思いました。