映画の話は、書けるようになるのかな

毎日、東京都の発表する新型肺炎コロナウイルス感染症の感染者数が、増えていきますね。
東京の人は気が緩んでたか、自信満々で「自分には関係ない」と思ってた、ド田舎のわたしのほうが、ずっとウイルスに感染しないようにと気をつけて過ごしてきた気がします。
今日近所のスーパーマーケットに買い物に行きましたが、大半がマスク着用でした。たまにマスクつけてない若いカップルとか、小さいお子さんとかがいて、レジ袋に荷物を入れてる隣に来て、うじゃうじゃと喋って帰るんですよね。不思議なんですけど、マスクつけてない人ほど、口を開けて喋ってるんですよね、わたしの隣で。元気いっぱいなんですけど、とても「自分はウイルスに感染しない」と思い込んでいる様子で、それは構わんのだけど、わたしの隣に来ないで。喋ったら失礼だとか、思わんのかよ。元気な人はウイルス感染しない、と思い込んでいる様子で。困った人たちだ。


さて、このお話は、もう note には書かないことにするんでした。
note の利点といえば、投稿日時を編集できないこと(今は出来るんだっけ?)で、新型肺炎関係の記事を後でさかのぼる際に、現実に起こるより前に書くクセのある自分の文章を、ひとり悦に入って(言葉が悪い)読み返すことになるのか?


自分の古いブログで、アメリカ映画「コンテイジョン」について、少し書いたことがあります。
だけど、コンテイジョンは面白くなくて、なんだこの映画は、と思いながら書いただけで。
今回、改めて、この映画について書くのは、何だかなあという気がしています。
ただ、ブログに映画の話を書くと決めてから、ずっと、いつかはこの映画について書こうとは思っていました。
関連作品のほうが人気がある気がしますが、どうせ書く映画の数が少ないから、頭数を揃えるつもりで、書こうと決めていました。
ずっと、どのタイミングで、この作品について書こうかと思っていました。
最初に書くことになるなんて、思わなかったな。

だけど、今はこんなこと書いてますが、いずれ自分もコロナウイルスに感染して大変な目にあうかもしれないし、あくまで予定です。

かわいそうなんだけど、「コンテイジョン」って、現実の今の世界のほうが悲惨な気がして、治安の悪化はさほどないでしょうが、感染者数、死者数とか。

あの映画監督は、現実に起こるはずがないと思って作ったと思うんですが、いつか、アメリカ人にバカにされるようになるんではないかなと思うんです。
現実に起こってる事態と、正反対のことを描いた作品の気がして。
そう、予測が外れた、といいますか。

現時点で、わたしはこの映画、あんまり覚えてないですが、どうでもいい話だなあと思っていましたし、なんか、外国の映画の真似ばっかりしても、面白くない気がしますね。
まあ、この作品の元ネタについてとか、多少は書けますんで、時期がきたら、書きます。
日本の映画評論家さんのこの映画の解説は、解説になってなかった記憶がありますが、その辺は無視して書きます。
自分がウイルスに感染して、死んだりしなかったら。


さて、誰も読まないかもしれないし、note に書くのは、この辺でやめます。
ブログに書く前に、デザイン編集とかしたかっただけなんですけど。
時間がなくて、全然ブログ管理できない。
疲れた。
アメリカの悲劇は、わたしは知りませんが、日本では、イタリアとかより感染者数などが少ないまま終息する気がします。
それは、やっぱり、島国だから、という気がしますけどね。
結核予防接種がどうとか、いわれてはいますが。


うちのマンション、きょうエレベーターで相乗りした女性は、スーツケースを持って歩いて出ていきました。東京に行くの? 海外?
なんかイヤだな~。感染して帰ってこないでね。
やれやれ。


サポートいただいた場合は、映画の研究費に使わせていただきます。自腹で有料チャンネルや動画を購買してますので。