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あなたは誰?ではなく、誰があなたなのか?

お盆休みももう終わりますね。あっという間でした。

束の間のお盆休みは、おばあちゃん家に行って甲子園見ながらスイカ食べて花火して…と平凡だけど楽しい時間でした。うちのおばあちゃんはもうすぐ90になるのですがボケてないし面白いし、それにかわいい人です。

いつものようにおばちゃん家でも珈琲を淹れてみんなで飲みました。誰かに美味しいと言ってもらえるのってやっぱり嬉しい。

そんなことで今回は【珈琲備忘録】です。それと最近読んだ本も紹介しようと思います。


コーヒー豆の種類

[グァテマラ]
苦味、酸っぱさ、甘味、コクのバランスがいいお豆。酸っぱさが少なめで飲みやすいです。ブレンドにもよく使われています。

[ブラジル・ブルボン・サントス]
後味が長く残り、余韻が愉しめるお豆。ザラっとした質感も感じられ、冷めると甘味が増します。

[インドネシア・ガヨ・マウンテン]
ビターな中に透明感を感じるお豆。冷めると酸っぱさが出てきました。


グァテマラはもう何度も選んでいて好みのバランスに近く安定の、という感じ。酸っぱいコーヒーは苦手なのですが、このお豆はその酸っぱさが少なくていつでも飲みたいと思えるコーヒーです。
行く先々のカフェでブレンドに使われているお豆を聞くと、グァテマラはよく入ってる気がします。
おばあちゃん家にはこのお豆を持っていって淹れました。おいしいとお墨付き。

ブルボン・サントスは特に余韻が長いなと感じました。苦味、甘味ともに好きな味。
酸っぱさは特になく、酸味が苦手な方でも飲みやすいと思います。
いつもお豆本来の味を知りたいときはブラックで淹れて、熱いうちと冷めてからと時間を少しおいて試しているのですが、このお豆は冷めても嫌な酸っぱさが出てこなくてびっくりしました。時間と共に甘味が増すコーヒーは初めてです。
甘みが強い方が好きな方は、一度飲んでいただきたい!

ガヨ・マウンテンは一口目からのどを通るあたりでスッとした透明感がありました。薄いわけではなくきれいな水のような清らかさがあるというか。
スッキリ感とはまた違う透き通るような感じがしました。
冷めてくると少し苦手な酸っぱさが出てきて、口に入れてすぐにそれが感じられましたが後味はキレがよかったです。


コーヒーはだいたい1日に2杯くらい飲んでノートに記録をします。(本当はもうちょっと飲みたい時もありますが。)1回に淹れるのもだいたい2杯分で(同居人の分も)、この量を淹れるのはだいぶ慣れてきました。
逆に自分の分だけ、1杯だけというのはなかなか淹れる機会が少ないので最近は1杯ずつ淹れる練習をはじめました。
ささっとお客さんの人数分淹れられたらカッコイイ!目標です。


それと、新しい器具が仲間入りしました。
Melittaプレミアムサーバー 625ml
ダブルウォール構造のサーバーを探していて透明ガラスと乳白色のハンドルがかわいくてお迎えしました。
使っていたサーバーでは冷めるのが早くて、少しでも緩やかに冷めるようになればうれしい。

また一つお気に入りが増えました!


欲を言うと、淹れた分量のメモリが外側のガラスに書かれてるのでそれを内側のガラスにしてほしい…
斜めから見ると奥行で読めないところが少し惜しいです。
(スケールで重さを計っているのでそんなに使わないけどこだわりが出てます)

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最近読んだ本の紹介

新しく見つけた雑貨屋さんでいろいろと物色しながら「うちの本棚をもう少し充実させたいな」とぼーっと考えてました。

オシャレな小物が並ぶディスプレイの棚に、うちにあるアンティークチェアによく似た椅子が描かれている表紙の一冊を見つけました。

長田弘著作の『一日の終わりの詩集』。

一日の終わり、という物思いにふけることが多い時間にどんな言葉があるのか気になりました。

パラパラとめくると「自由に必要なものは」という詩が目に留まった。

ひとは黙ることを学ばねばならない
沈黙を、いや、沈黙という
もう一つのことばを学ばねばならない

「自由に必要なものは」長田弘

と続く、紡がれたことばたちがスーッと染み込むようでした。これは全部読みたい!


「たましいに油を差すために、濃いコーヒーをすする。」す、すてきな表現!

この本の中にはいくつもの昼と夜が繰り返されていて、一つ一つのことが丁寧に言葉にされています。
昼と夜の繰り返しは、一日、一日、数を数えるように暮らすこと、それこそに価値があると詩を通して伝わってきます。

「一日」という単位についても改めて考えさせられます。
『人生ということばが、瞬間でも永劫でも過去でもなく「一日」が人生をきざむ最も大切な時の単位だ』とあとがきでも語られているように、一日という単位は、ひとを根本に立ち返らせ謙虚にさせる単位だと思いました。
なるほど、、

この一冊の中で“言葉”という単語はいくつも出てきて「言葉」と「ことば」で言い表されています。「言葉」で銘記し「ことば」を使い、自分にもひとにも必要なのはこのくらいなのだろう。著者はそんなふうに“言葉”を見つめていたのかと思います。

詩はどれもミニマムな表現で紡がれていて削ぎ落されたものから何が見えてくるか、そう問いかけられているようでした。著者が確信をもっているところや、そうだなと納得するところがたくさんあって堅牢な中にやわらかさを感じました。


「意味と無意味」というタイトルの一節に、

あなたは誰?ではない問われるべきは
誰があなたなのか?ということだ
必要なものは不必要なものだ

「意味と無意味」長田弘

という言葉があって、特に気に入った詩でした。

誰があなたか、という問いは存在を探しながらも“そこに在る”ことを認めてもらえてる、そんな安心感がくっついているようでうれしくなりました。
あなたは誰?の問いではずっと見つけられなかったものが一つ見つかった感覚です。
このことばは宝物のように自分の内にしまっておきたい。


この一冊を読むことは今までの人生で出会ってきた出来事の一つ一つをストンストンと切り分けて額におさめる作業のようでした。

一日を大切に生きていれば何度もこの本のことばに再会するのだろうと思います。

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今日のサクさん

最近頑張ってるアジリティーの特訓。
お家が工事現場みたいになってきたよ。

luca

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