毎日の鮮度
今日で7日が過ぎた。
今、北海道の上川町というところにオフィスリノベーションのプロジェクトで来ている。このプロジェクトは役場が主導しているプロジェクトで上川の木を使って役場の1階のエントランスや交流スペースを改装するものだ。
同じようにこのプロジェクトに参加してるメンバーが3人いて、来週にはあと2人合流することになっている。
みんなで役場が管轄してるシェアハウスで1ヶ月間暮らしながら制作をしていく。少しづつこの生活にも慣れてきた。
今知りあった3人は道内から2人と山梨から1人。それに僕は京都から参加している。
ある1人は、車を改造して1人で1年間日本一周の旅をした人で、その旅の話や奥さんの話を聞くのが面白い。
ある1人は、京都の大学を休学して道内で暮らしながら狩猟や自然学校のスタッフをしている。命と向き合いながら生活している人で、自分の言葉でいろんなことを語ってくれるので関心してしまう。
またある1人は、ITの仕事をしている人で僕より大人に見える。実際は年下だ。今年の春にアキレス腱を切ったという話は彼の第一印象になった。
これから来る2人がどんな人かも楽しみだ。
そんな彼らに交じって僕もシェアハウスに入居した。みんなでラーメンを食べに行ったりトランプをして一気に仲良くなった。
トランプは持ってきて正解だった。
少しづつ彼らのことが分かってきて、普段の生活をしていては出会えないメンバーだなぁと思う。
京都での生活はある意味マンネリ化していて新鮮さは、というとそこまでない。それどころかルーティンを軸にしているところがあるから規則正しく回っている。
一方、上川での毎日は制作の日はもちろんのことながら作業のない日も「今日は何しよう」、「どこ行こう」と自由なのだ。
まずその自由さがなんでもできる気がしてムテキ状態。
朝は持ってきたコーヒー豆でコーヒーを淹れて気が向いたら散歩に行く。コーヒーを毎日飲むこと以外は基本的に毎日違うことをしようと思っている。
ルーティンを一旦やめる、をやってみてる。
ルーティンをやめてみて好きなことを好きなタイミングでやるというこの生活は自分に合っているような気がする。
全部が自由過ぎて慣れないところもあるのだが、それでも自分で舵を握っているという感覚は悪くない。
その日を有意義にできるかどうかが自分の行動にかかっている。
せっかくなので意義のある日にしたい、とある日朝散歩に出かけた。
シェアハウスから歩いて3分ほどのケーキ屋さんでお店を開けようとしているおばあちゃんに出会った。
「こちらは朝晩冷えますね」と声をかけると、「寒暖差がすごいでしょう」と気持ちよく答えてくださった。
上川では来週には山の上の方から紅葉が始まり、2週間もすると町まで降りてくるのだそう。
大雪山の麓のこの町は日本で最も早く紅葉が始まると聞いている。雪も5月ごろまで残り、桜とスキーが同時に楽しめることも聞いたのでびっくりした。
北海道出身だけど小さい頃に引っ越しているので、秋や冬のことを現地の方から聞けるのは勉強になる。
町をぐるっと一周して今度は役場に行ってみた。
絵を描く制作やパソコンでの作業なんかをするのに役場のオフィスの一画を使ってもいいよとおしゃってもらえて時々使わせてもらっている。
そこで出会える役場の職員の方々もとても素敵な方ばかりなのだ。
いい意味ですごく“役場の人感”がない。まず服装が皆さんラフで、上川町がアウトドアブランドのコロンビアと提携していることもあり、自然が好きな僕としてはすごく親しみやすい。
実際も気さくに話しかけてくださって、ありがたいことに僕の普段の制作のことや京都のことにも興味を持って聞いてきてくださる。
京都では誰かに話しかけられるとしても道を聞かれるくらいなので、パーソナルな話ができるのは新鮮だ。
毎日シェアハウスのメンバーと話したり町のカフェでふらりと会話が始まる感じがとても心地いい。少しづつ顔も覚えてもらって「あ、どうも」が増えてきた。
上川の「人との距離感」は僕にとって新しい。
近すぎず遠すぎず、旅人を歓迎してくれる。
上川町では、今回のプロジェクトしかり、とにかくいろんな事業が活き活きと動いている。町の古い薬局「安心堂」が名前をそのままにカフェ兼宿泊施設として生まれ変わっていたり、kinubari coffeeのオーナーさんが様々な古いお店を新しく改装していたり、「旭軒」というケーキ屋さんのおばあちゃんは遅くまで町に灯りを灯してくれていたりするのだ。
そしてシェアハウスには地域おこし協力隊の方々も一緒に暮らしていて、僕より若い方もこの町で夢を持って事業に参加している。
この町は僕の知っている、田舎の小さな町とはなにか違う。
毎日違う人と会って話したりする生活は、僕にとっては人生でも片手で数えるほどしかないかもしれない。
新鮮だ。
この1週間、正直に言ってすごく長かった。
それが良いのか悪いのかではなく、1日が長かった。
密度が濃い、とはまた違って特に何もしていない日もあったのに。
これをよく考えてみると退屈しているから長いのとは全然違うということに気づける。
そう、小学生の頃のなんか毎日が長かった感覚に似ている。特別何かが毎日あったわけでもないのに、1日の充実感みたいなものが確かにあったあの頃。
気づけば1年が短くなってて、もうこんな歳だと焦っている最近とは確実に違う時間の流れなのだ。
それが上川に来て取り戻せている気がする。
毎日違うことが待っているということがこんなにも鮮度のあることだとは。
まだまだ始まったばかりの北海道生活。この町の魅力ももっとあるはずだ。
あと3週間、存分に非日常を楽しみたいと思う。
luca