見出し画像

ありのままと決めたからには

何を書こうか、と考えてスケッチブック(手帳)を見る。
パソコンに手を行儀よく添えては、ページに目を落とす。

「こんなにも早くやってくるとは思ってもみなかった」

noteを始めてみて、パソコンに向かって文章を書くことが思ったよりも難しい。
もちろんはじめから簡単だ、とは思っていない。
それでも、普段スケッチブックや手帳にあれだけ書いているのだからと自信があった。その自信が簡単に吹き飛んだ。
いつも書いていることを誰かに読んでもらうために俯瞰してみると、なんとも表現に困る部分が多い。
ひとりごとのように自分の気持ちを吐き出すことは慣れているのに、書いてきた文章を誰かとシェアするとなるとまた全然違うのだ。

少し書いては…やっぱりだめだ…

・・・・・

私はスケッチブックを、常に手の届くところに置いていて書くたびに日付や時間まで記録しているのだが、読み返すとその間隔が2時間おきや短い時には10分後には書いてあるところもあるのだ。

心の声をなるべくその時の出てきた言葉の形で書き留めたい。そう思っている。

だから、分厚いスケッチブックもすぐにいっぱいになるし、気が向いたら絵も描くからそれこそ次々にページが更新されていく。
多い時には1日で10ページ近く書いているところもあって、細かくその時の状況や心情を思い出せてクスッと笑ってしまう。

昔は、絵なら絵専用のスケッチブック、文章は別のノート、みたいに描くものごとに何冊も使い分けていたのだが、絵を描こうと思った時に別のノートが手元にあったりして何かと使い勝手が悪かった。

「絵だけを描き集めたスケッチブックを作りたい」、「文章でこのノートをいっぱいにするぞ」と一冊を“埋め尽くす”ことにこだわっていた。


1年ほど前からそのこだわりを少しゆるめてみることを始めてみたのだ。

雑記帳のような、“なんでもスケッチブック”を一冊もつことにしてみた。

雑記帳といっても私の画材は、水彩や万年筆、ボールペンだから紙質やサイズには特にこだわった超お気に入りの一冊だ。
お気に入りの一冊と出会えたことで、こだわりを少しゆるめてみることができたと言ってもいい。

もうすぐ今のスケッチブックもいっぱいになる、新調しなければ。リピートは確定している。

・・・・・

そんなページに溜めた日々の内容は、気づいたいろんなことや、やりたいこと、自分のモチベーションを書いていることが多い。そして、ジタバタしている様子も残っている。

私は案外よくばりな方で、やりたいことや夢が多い。(いつか夢のことを書いてみたい!)
しかし困ったことに幼少期の頃から「一つずつやっていく」ということがなかなか難しい性格なのだ。次から次へと目移りして中途半端に手をつけてしまう。
厄介な性格でほんとに困ったもんだ。

それにやりたいことに順番をつけることが下手だということも自覚している。「やりたいこと」が「やらなきゃいけないこと」に自然と変換され、必要以上に焦ってしまう。
変換された「やらなきゃいけないこと」は、「やらなきゃ始まらない」というところからきており、自分なりには大きな目標を小さく切り分けたことなのだ。
そうしてやることの多さに面食らうということを繰り返している。
気づけば何から手をつけていいか分からず、何も手をつけられていない気がする、それで焦りに拍車がかかる。
自分でやり始めたことなのに、いつの間にか追われることになっていて「やれやれ」である。

そんな様子も過去のページには、書き留められていて幼いなぁと我ながらに思う。
いや、今でも焦ってジタバタしてるか。

こうして一人、スケッチブックの中では脳内整理もしながらもがいているのだ。
書いておくことで自分だけの地図のようにもなっている。

過去の自分が残した地図、それを見ながら進む向きやペースを今の自分が決めていく。このやり方で昔から苦手な「やること順番付け」がかなり楽になった。

・・・・・

さてこんな日々のいろいろを、さあnoteに書こう、と意気込んでパソコンを開くのだが、書きたい内容は十分あるのにどう書こう…となってしまう。
いつものひとりごとは、客観的に読むと個人的な表現で分かりにくい。自分しか読まないと思って書いている言葉の数々は、こんなにもシェアすることに向いていないのかと発見でもあった。

noteにはありのままの自分を書こうと決めている。
なのでウソではない表現で俯瞰しながら言葉を探す。あれこれ書いてみては消して、かなり時間がかかる。

難しすぎて、ふぅと息を吐く。ここまで書くのもかなり時間がかかっている。しかし、いつまでもパソコンに向かってられそうな不思議な気持ちがあって、こんな気持ちは初めてなのだ。

難しいのに挑戦したい。書いていて「自分、抗ってるなぁ」と面白くなっている。

時間もかかってなかなかうまくはいっていないのに、それでもパソコンを打つ手が止まっていないことは自分でもびっくりしているところだ。

文章を書くことが好きなのだと自分自身に気づかされる。


文章というのは私にとっては、ものすごくストレートで氷のようなクリアさがあるように思う。ぶつかると痛いし、溶けて染み渡るときもある。いろんな色も付けられるし、光も反射するそんな風に思っている。
何より、ごまかしがきかなくてシンプルゆえに難しい。

表現したいものがド直球に表される感じ。

絵の具の色を買い足すみたいに、心に響く素敵な表現や胸を打つような比喩がすぐにできればいいが、文章を書くということは自分の感性以外にいかに今までの言葉の貯金も大事なのだと書いていて痛感する。

noteを書き始めて、いろいろな気持ちや発見がこんなにも早く見つかった。
もっとたくさん記事を書いけばそれなりに通過するのかと思っていたから、今後この心境がどう変化していくのか、楽しみになっている。

・・・・・

今回の投稿はたくさん書いては消してを繰り返してみて、率直に今感じていることを書いてみた。誰かが読んでくれるではなく、一年後の自分がこの投稿を読んでどう思うのか、という読者を思い描きながら書いてみた。
これまでのスケッチブックにもそうしてきたように、noteだからと気張らずにいつもの通りにやる、それがありのままにつながると思う。

これが今の私ですと公表するのは勇気もいったが、「ありのままを書く」と決めたことを自分で大事にできて清々しい。
世界とシェアするということは、一度出したものを自分では舵取りできないということだ。
その覚悟とともに次も書いていきたいと思う。


今日のサクさん

暑いので冷たいところに寝返りしながらどこにでも落ちてるサクさん。

luca

いいなと思ったら応援しよう!