ワン駄文

求めているもの ≠ 求められているもの

こんな構図は、物語では報われないと言われる話で、

求めているものに依存することで生きていられる

という心の拠り所にもなるからこの問題の扱いは難しい。

求めていたものに近づいたけど実際は思っていた結果にならなかった。なんて話は、例えば希望の大学に入れた時、希望の職に就けたとき、思いを寄せていた人と結ばれたとき、、、など現実にもよくある話で、そこからうまくいかない。なんて、よくあること。

こんなときどうしたらいい?

ワンダのように、私が犠牲になる。と終わらせることもできない、そもそもそんな大層な、世界を巻き込んでしまうような問題を抱えていない私は、そんなときの答えを未だ見つけられないから、映画を観て、現実の世界から映画の世界へと出掛けて現実を薄めたり、なんとなく目の前の仕事をなんとなくこなし、そんな1日をビールで薄める。

何か渇望しているものがあったときは、それに向かって必死に生きていたときはもっと「生きてる」なんて実感があったような気もする。「希望」があったからなのかもしれないけど。
そんな実感も「時間」が薄めていって徐々にぬるい人生を歩んでる。

ロンドンに来た次は何をしよう?何をしたらいい?
1作目のドクターストレンジは体調不良により映画館で見られなかったことがずっと残っていたので、ドクターストレンジを、ようやく来られたロンドンの映画館で観る。ということが果たされた夜。ずっと滞在したかったロンドンで考える夜。


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