Not music but music, so strange but pop
「『海岸ホテル』閉じた鎧戸つきの館がゆっくりと後方に遠ざかる」。タチが描く休暇のおしまい。ユロの終わらない夏休み。終わるものが遠ざかり、終わらないものが共にいるからこそ物語が生まれる。あるいは終わらないものが去るからこそ物語は終わることができる。アラン・ロマンがこの物語に残したフレーズの断片はまさにその終わりに、あるいははじまりに相応しい。
さて、アラン・ロマン同様に断片が断片のまま一望することを許さず流れていくイメージを作品に表し切るといえば、ラフカディオ・ハーンが思い浮かぶ。「天の川の水面には夜の小舟の櫂の音」という囁きにも似た解説はまさにイメージそのもの。面目躍如。たゆたう櫂が水面に半円を描き、同時にそれを喪失させながら後ろ向きに時を進めていく。あたかもヴァレリーの漕ぐボートのように、ユロの振り返らない海岸ホテルのように。
しかし考えてみれば、new normal(それをcurrent realityと言おうという The Everygirlの提唱よ!)からすればそもそもユロはある種のレトロスペクティブを伴う混雑した街並みから避暑地へ向かったのだ。それであればそこから去っていくカオス含みの物語はやはりヴァレリーの未来へ、終わりなきカオスの待ち受ける未来へと繋がっているのではないかと思えば実に示唆に富んだ物語ではないか。
“Let’s stop calling this our New Normal. It’s our new Current Reality — but that doesn’t make it normal” — The Everygirl