Not music but music, so strange but pop
デュシャンが掲げていたとされる「傑作など無い」という言葉はまさにデュシャン自身のマスターピースが語られる場面でしばしば引用される。そうであったとしても、つまりマスターピースがそこに存在していたとしても、コンテンポラリーでありながら傑作であるという両立は極めて難しいという思いには十分共感できる。
そう考えていた時に規範と逸脱という言葉を目にした。規範から逸脱すること自体が規範であるとされる集団の中では、逸脱はロールモデルそのものであって逆説的ながらそれ自体が規範とも言える。それならば、と思う。それならば「傑作」というのはかつてのコンテンポラリーなロールモデルの積み上げだからこそ傑作でありそれは究極のインサイダーと言えないだろうか。そうであるなら、傑作が存在する世界を支えるのは様々に姿を変えながら連綿と続くアウトサイダー。そんな空想が頭をよぎる。
トリスタン・ツァラや、ブライオン・ガイシンが今でもコラージュであったりサンプリングであったりマッシュアップであったり、表現を変えつつも表現の世界にアクセスし続けることが出来るのはそれが傑作ではないから、インサイダーではないからなのではないか。そこでもう一度デュシャンのスローガン「傑作など無い」に立ち返る。この言葉こそ20世紀における究極の逸脱ではないのか。なんたる混沌!
“No more masterpieces!” — Marcel Duchamp