Not music but music, so strange but pop
20世紀の音楽における波長の混在と歪みが昇華されていくさまは見事だ。バシュラールはその輝かしい著作、”Air and Dreams”の中でいわゆる想像力というものをイメージを形成する能力に帰結させることなく、知覚によって得られたイメージを歪ませる能力だと断定した。暫定的に置き換えるならつまるところ想像力とは世の中に対するノイズ・グリッチの領域だ、と。
▶︎Ida66 - Umi
ストラビンスキーからスロッビング・グリッスルに至るまで、武満徹から山塚アイに至るまで、世の中のある種の歪みをイメージに織り込むべく20世紀の表現者たちの取り組みはどれも美しい。とは言っても、それらがはじめから美しかったかどうかはわからない。しかし、エントロピーの増大が多様性を獲得することに似て、しだいに作中の美しさは周囲に放たれていったように思う。
芸術は美しいか?という問いかけは今もどこかで繰り返されている。この問いへの答えは正直なところわからない。しかし、そこに歪みはあるか?という問いかけであればそれはある、と考えている。たとえロトチェンコやドナルド・ジャッドであってもそのミニマリスムは世の中をネゲントロピー的に還元償還させていくものではないか。そしてゲネントロピーは、それ自身が、それさえも多様化への一つの方法として捉えられることは想像力の強さではないか。
嗚呼、想像力よ永遠に!
“I never wish to be easily defined” — Kafka