Not music but music, so strange but pop
Let there be light、アインシュタインは光を思念し続け、ついには光に追いつく。そしてたどり着いた光の先端で時間がゼロに等しい世界を、つまり光と時間の相関性を知覚するに至る。
▶︎Ida66 - One + Three
その着想は、ドフトエフスキーが光によって説明される細胞や会話を描き、ロルフ・ステネルセンがムンクの天体への理解を著書で明らかにしたことと同時に起きたことであるし密接に関係し合うものだ。恐るべし、共時性!恐るべし、エリオット的感覚!
さて、光があり空間と時間があるということとSocial distancingの間には多くを示唆する関係があるように思う。距離、あるいは空間、あるいは時間があることによって、または無いことによって、私たちはそこにある両者の関係をきわめて詩的な意味で見つめ直すことができる。メルロポンティのVoyant、あるいランボーの見者。ある種の社会的存在としての人のあり方。示唆。思念。特殊相対性理論から1世紀以上経た今、あらためて光があり空間があり時間がある。Let there be light again!
§追記 Add
ここで少し時間と空間が生み出した今の状況とも歴史とも構造的な問題とも無関係ではないBLMについて触れておきたい。なぜならそれはビリーアイリッシュが言及する通り(あるいはビリーアイリッシュに触れるまでもなく、しかし彼女が言う通り100000000000000%の密接さをもって)私たちにとって無関係ではないから。その上で追記らしく、チャールズ・ホワイトが残した言葉を最後に引用する。表現に向き合いつつ、これほどふさわしい言葉もない。
“Art must be an integral part of the struggle. It can’t simply mirror what’s taking place. It must adapt itself to human needs. It must ally itself with the forces of liberation. The fact is, artists have always been propagandists. I have no use for artists who try to divorce themselves from the struggle.” — Charles White