Not music but music, so strange but pop
デ・ザヤスはマンハッタンにあるギャラリーの名前を拝借したZine “291”を発刊したが、パリでこれを模したものがピカビアによる”391”である。その”391”の№14は1920年11月に制作された。これは続くピラウティバウを除けばジェルメーヌのアパルトマンで作られたピカビアによる最後の発刊作品ということになる。そしてこのテキストを書いている時点でそれからちょうど100年が過ぎたことになる。
Dischargeは、ピカビアがアパルトマンの路地から放ったメッセージの60年後にやはり焦燥の中で全てを否定し、そしてピカビアと同じように路地で叫んだ。それはピカビアがシェイクスピアを否定し、惑星に語りかけ、肯定し否定する熱量と焦燥に駆られたカタルシスにも似たスピードに満ちたものだ。
さて、2020年、つまり№14から100年が経過し、あるいはDischargeの叫びから40年が過ぎた。ピカビアやDischargeのカタルシスがあらためて路地に降り注ぐ。ロトチェンコの写真のように斜線を描きながら。コクトーの神話のように変容を繰り返しながら。
“Hear nothing see nothing say nothing” — Discharge