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Like This Parade - Doing Wonders Here And There
Introspection and inspiration: 内省と着想
久しぶりのLike This Paradeはとても内省的な作品集になった。締切のない環境且つ概ね一人で組み立てる作品にどこかで区切りをつけるというのは非常に難しい。着想を得たのはCovid-19ロックダウン下の頃のこと。明確なきっかけという程のことではないけれどもおそらくこのラフスケッチがきっかけになった。Stay SafeとかStay Homeという言葉が飛び交っていた頃に組み立てたもの。よく聴いていたチカーノソウルやメロウな音楽とロックダウンという状況はそれまでのLike This Paradeのベッドルームポップのあり方とは異なるアプローチを軸にして制作を進めてきたような気がする。
ロックダウン下の内省は、その良し悪しとは別に半ば強制的な突然の長い休暇の中でたどり着いた一つのありようだったと思う。その頃の世の中を俯瞰するような何かがあるとしたらそれはいずれ歴史家的な人たちが総括するだろう。それはもしかしたらフーコーが17世紀末の記録を掘り起こして示したものと似たようなものかもしれない。これは一市民の単なる感想に過ぎないが、何しろその環境下でたどり着いたのが内省だった。内省は忘れかけていた過去の思いがけないシーンや言葉を思い出すきっかけにもなった。内省はやがて少しづつ剥がれ落ちて再び忘れ去られる。その兆しが見えるような見えないようなという頃に、その内省の記憶を念の為にとどめておくべくメモに残したことがあった。きっかけはそこに書いた通り「ある人との会話の中で、これらのことを自分が次第に忘れかけているということに気づかされた」という事に尽きるが、では逆になぜすぐに思い出せたのかと言えばこの長い内省期間があったからだという事になる。
Doing Wonders Here And There: 覚書
この作品では極めてパーソナルな記憶の再構築を試みている。冒頭のDoing Wonders Here And There Part 1, The Hopeの後半のブリッジのコード進行は、以前のバンドで演奏していた曲の進行を部分的に引用している。楽想は全く異なるがその曲まで遡る必要があった。内省によってたどり着いたのがその曲だったという事だ。この曲のブロックコードは本作全体のトーンを支配している。続くDoing Wonders Here And There Part 2, The Towerは、冒頭の曲をさらに再構築したものだ。Prélude in E Minor, Op. 28, No. 4はショパンのピアノ曲だがブロックコードは冒頭の曲からそのまま引用し続けているので原曲通りではない。正しく言うとロックダウン下でよく弾いていたのがこの曲でその時にこのブロックコードで弾いていた、それが本作の着想の一つになっているとも言える。Nelson, The Storyは元々収録するつもりなく作っていたデモだった。間奏のアレンジが見えてきたので一気に作り上げた。それによってThe Lakeを後から追加して作った。そのエンディングにはアコースティックギターのデモトラックからのサンプリングやモジュラーシンセサイザーのインプロビゼーション、加えてプレインミュージックの連作Plain Feelsのサイン波シーケンス等を引用した。どれもいつも通りの小さな作品群だが、どれも制作には非常に時間がかかった。ベッドルームポップから箱庭シンフォニーに見立てが変わってきたのはこの一連の流れが見えてきた頃だ。
この作品集を作るにあたって、いわゆる区切りをつけるために力添えしてくださった皆さんについて書いておきたい。まず、カバーアートを提供して下さったkoichiro nakamotoさん。ありがとう。上述の「以前のバンド」のリーダーでもあるkoichiro nakamotoさんから受けたクリエイティビティと価値観の影響は計り知れない。本作の物語を背負って頂くのにこれ以上にふさわしいカバーアートは無いと今でも思っている。それから、マスタリングして下さったlovelesさん。ありがとう。本作のラフスケッチの時点でも様々な相談をさせて頂いたし、都度とてもありがたいアドバイスも頂いた。感謝しかない。また、レーベルでは、ラジオパーソナリティとしていつもお世話になっているayaradio727さん。ありがとう。内省はとてもナーバスなプロセスを多く含む。それらを制作の外から皆さんにサポート頂いたことが本作に区切りをつける道筋につながったと思う。そして、Like This ParadeのオリジナルメンバーでもあるSunny。ありがとう。Sunnyへの感謝なくしてLike This Paradeの表現世界は存在し得ない。以上の4人+自分。このスモールサークルが全てだ。あえて言うなら、モジュラーシンセサイザーはfive Gの皆さん、Protoolsはムーさん、そして言うまでもなく「以前のバンド」に関わった全ての人、今のバンド、サカモトくんや菅田さんやJPや、、キリがないが関わる全ての人。Radio Freedom、Kinoさん、他に多くの人に支えられている事は間違いない。きっとあとから思い出しては加筆するだろう。
Post-smirk: 冷笑以降
さて。冷笑は概ね良くない意味を伴って使われる言葉だ。おそらくそこにはある程度の時代の潮流やあるいは格差の現実も背後にある。何にせよ絶対的な基準はないと見る。その上で、あるいはその一方で、そうであっても冷笑を乗り越える必要があると思っている。ある種のアップデートだ。本作に関わって下さった皆さんはPre-covid期においてすでにそうであった事にただただ尊敬する。認める事の重要性。内省的な時間の必要性。Covid-19ロックダウン下に訪れた突然の長い休暇は、結果としてそれらと向き合うきっかけになった。Doing Wonders Here And Thereにはそれらが詰め込まれている。
Art de vivreという考え方がある。暮らしに芸術を見出すというようなスタイルだ。おそらく内省に続くのはそういった姿勢ではないかと思う(おおよそ気分の問題なので日々変わるものかもしれないが)。Doing Wonders Here And There全体を覆うロックダウン下の世の中が希求した要素の一つがこのArt de vivreではないかと思っている。それらを表現作品の中に解放することでようやくアップデート出来るのではないかという気がしている。本作はそのための第一歩になったと一応自負している。