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ボランティア終了報告ブログ
* 2024年7月にココナインが書いた記事です。公開が遅くなってしまいました!どうぞお楽しみください。
အားလုံးပဲ မင်္ဂလာပါ!(皆さん、こんにちは!)2代目メーソートボランティアのココナインです。時の流れは早いもので、僕にもボランティア終了報告ブログを書く番が回ってきました。僕の前任ボランティアであるカウンゾー君の帰国報告ブログもとても興味深いので、ぜひ一読を。今回のブログは、彼とはまた少し異なった視点から書いていこうと思います。
カウンゾー君の帰国報告ブログは以下のリンクから!
メ―ソート滞在のきっかけ
今年2月の終わりごろ。残りの休学期間は何して過ごそうか?なんかミャンマーに関連のある事出来ないかなあーと思っていたところ、大学の先生から1件のリンクが送られてきました。日本の大学生がタイのミャンマーコミュニティでホームステイしながらボランティアをしているとのこと。(カウンゾー君の記事です)。1年生の頃からミャンマー留学を夢見ていた僕にとって、魅力的に見えないわけがない。気づいたころには既に、LtoCにメールを送っていました。代表との面談を数回経て、カウンゾー君の後任ボランティアとして受け入れてもらえることが決まりました。
こういう経緯で、4月中旬~6月中旬のメ―ソート滞在が実現しました。
2か月間の活動としては、ミャンマーの子どもたちが学ぶタイ国境メーソートの移民学校で、週4回(月、火、木、土)の2時間日本語を教えていました。金曜日は僕が生徒になって、ミャンマー語を教えてもらっていました。6月からは、学校の普通授業が開校したので、月曜日から金曜日までの毎日2時間ほど小学2年生(10歳~13歳)の子どもたち5人に英語を教えていました。
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日本とメーソートの違い
2か月という限られた時間でしたが、僕が気が付いた日本とメーソートの違いについて、いくつか共有したいと思います。
①人との距離感
海外の人は、人との距離感が近い!って一度は聞いたことあると思います。僕がメ―ソートで関わった人たちはその通りでした。とにかくみんなフレンドリー。前から友だちやったっけ?ってくらい最初から馴染む事ができました。日本で言うと、友だちっていうか親戚とか家族の扱い?に近いイメージ。他人が残した食べ物もどんどん回ってくるし、極めつけは歯形付きのフライドチキンなんかも笑。男女問わず、あーんしてくれたり、手を繋いだり肩を組んだり。何でも共有するので、最初はびっくりしてしまうかもしれません。
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②民族愛や宗教観
学校の先生方はラカイン族が多かったのですが、日頃関わっていた友だちらはカレン族が多数でした。彼らは日常的に民族衣装や民族グッズ(カバンやサンダル)を使用していました。日本人は日常的に着物を着ていると思っていた!という外国人からの声を聞いたことありますが、メーソートは良い意味でその逆。本当に着るし、使うんや!ってすごく新鮮でした。また、それだけ自分たちの民族に誇りを持って愛していることの証だなと感心しました。他民族国家の一部を垣間見た気がしました。
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見た目はビーチサンダルだが、質感は細かく柔らかい毛で、全て職人さんの手作りらしい。
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宗教の話で言うと、僕が頻繁に関わっていた人たちの多くは仏教徒でした。その仏教徒の友だちらと滝に遊びに行った時のこと。歩き疲れ休憩しようということになり、水辺近くの幹に腰掛けようとしました。そこには、日本ではお目にかかれないビックサイズのアリ(噛まれるとめっちゃ痛い)が列を成していました。興味本位で水をかけてみたら、「こら、ココナイン!なにやっとんや!」と友だちに怒られました。仏教の不殺生の教えってやつか。無宗教の日本人にとっては、日常に宗教が絡んでくることなど無いので、とても驚きました。と同時に申し訳なさや恥ずかしさがこみ上げてきました。宗教が日常の一部になっているという事だなと感じた瞬間でした。
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③気候や生活環境
僕がメーソートにやってきた4月は、毎日最高気温40度超えでとにかく死ぬほど暑かったです。昼間にはシャワーを浴びてはいけないという警告まで出るほど。急な体温変化による心臓麻痺を起こす可能性があるかららしいです。
もちろん家にはエアコンなんてありません。扇風機の風で凌ぐしか無い。トイレも桶ですくって自分で流すタイプ。シャワーも水オンリー。いくら暑いといえど、水シャワーは億劫な日もありました。当然テレビも電子レンジもドライヤーも無く、洗濯機も冷蔵庫も途中から壊れてしまいました。日本での当たり前の生活とは似ても似つかない生活。
だからこそ、感じるもの気づくものもある。朝はニワトリの声で目を覚まし、夜は眠たくなったら寝る。日々の生活の中で時計を意識したことはほぼありませんでした。日本にいるより、目覚めはいいし、寝付きもいい。しかも精神面でもすごいのびのびしている自分がいました。決して環境は良いとは言えないのに。これこそ、人間に合った本来の生き方なのかな?と思いました。ただ、最初から適応できていたわけではなく、メ―ソートについてすぐ1週間ほどひどい腹痛と熱に苦しみました(笑)。でも不思議なことに1ヶ月も経つと、環境に適応していき、なんなら快適!と感じるほどでした。
④「幸せ」の考え方
「幸せって、豊かさって一体何やろう?」これが2ヶ月のメーソート滞在を終えて思った事です。価値観がガラッと変わりました。
日本に暮らす一国民の意見として、やっぱり「お金はあればあっただけ豊か」だと思っていました。お金さえあれば、好きなものも買えるし、好きな場所にも行けるし。とにかく、お金は自由をくれると。
一方でメーソートに住む人たち、特に僕が関わっていたミャンマー人らは、はっきり言うと金銭的に豊かとは言えない。ある人は、貯金を切り崩しながら生活してたり、アルバイトとして家庭教師をして小銭稼ぎしていました。それなのに、僕にご飯をごちそうしてくれたり、プレゼントを買ってくれたり、一緒に遊びに連れて行ってくれたり。なぜそこまでしてくれるのか?を、友達であり、先生である人に正直に聞いてみたことがあります。すると、「確かに金銭的な余裕は全くない。でもこうやってココナインに会えたのは奇跡だし、何よりも価値のあることだよ。お金は頑張れば戻ってくるけど、時間はどうやったって戻ってこないからね。」と言われました。
彼らにとっては、好きな人たちとご飯を食べる、おしゃべりするってだけでとても幸せ。幸せのハードルが良い意味で低い。お金は少なくたって心は、考え方はとても豊か。「本当の意味での幸せや豊かさって、こういうことを指すのかな」と思うようになりました。必ずしも「お金を持っていることが豊かという事ではない」という事を強く感じました。
また、どこに行っても、同じ場所に何度行ってもみんなは写真を撮っていました。「日々の一瞬一瞬が思い出。だから写真や動画に残さなきゃ。」いつもみんなに言われました。どこに行っても全く写真を撮らなかった僕も、常に携帯を手に持ち、シャッターチャンスを覗うように成長?しました(笑)。今写真を見返すと、とても懐かしい気持ちになり、「ああ、この時こんなことあったなあ、こんなこと話してたなあ」と細部まで思い出せます。写真や動画の素晴らしさも教えてもらいました。
海外に飛び出す事とは?
一言で言うと、「自分の価値観を広げる作業」だと考えます。
僕は大学3年の秋学期からの1年間休学をしています。東南アジアをメインに、ボランティア活動やインターンシップ、放浪を経験しました。上にも書いたように、日本とは全く違う環境で育ち、全く違う考え方を持った人たちがたくさんいました。その人たちと話し、遊び、共に暮らすことで、多くの価値観・考え方に触れ、自分の中の当たり前のような凝り固まった考えが徐々にほどけていき、変容していくのを日々感じました。時には「は?なんで?意味わからん。」て時もありました。日本にいる時よりも多かったと感じます。逆に、自分のこの部分は日本人としての誇りやなと自信を持てる時も多々ありました。
実際に海外に出たことで、日本はどれだけ恵まれているのか、日本に生まれたというだけでどれだけありがたいことなのかを痛感しました。想像もできない環境があって、状況があって、さまざまなバックグラウンドを持った人が世界にはたくさんいる。だからこそ、今ある当たり前を当たり前と思わず、感謝しなければならない。でも、当たり前は、そこを離れて客観的に見てみないと理解するのは難しい。その手っ取り速い方法が、物理的に日本を出て日本の外から眺める事=海外に飛び出す事だと思います。
経済的には豊かなはずの日本だが、心の豊かさでは負けている気がしました。必ずしも国の発展が良い影響だけを与えるわけではない。それによって失うものもあると感じました。
最後に
みんなからたくさんのお土産と思い出を頂きました。たったの2ヶ月だったけど、濃い毎日でした。肌が黒くなるにつれて、仲も思い出もどんどん深まっていきました。これほどまでに短い間で人との絆を感じたことはありません。それだけ、メーソートでの生活は充実しており、出会った人たちの人間性は素晴らしいものでした。冗談ではなく、毎日学ぶことだらけでした。
また、その出会いを、貴重な経験を味わわせてくれたLtoCに心から感謝しています。ご縁ていうものは不思議なものですね。こんな素晴らしいご縁があるからこそ、様々な新しい環境に飛び込むことは楽しいし、やめられない。
メーソートで過ごした2か月間は、一生忘れることのできない大切な時間になりました。
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このブログについて
このブログは、任意団体Listening to Communities(LtoC)の紹介を通じて、現地ボランティアの機会を得た日本人の学生が書いています。LtoCは、タイ国境で暮らすミャンマーの土地を追われた人々や、弱い立場にある移民の人々を支援する団体です。日本の学生と現地をつなぐ教育・交流活動も行なっています。団体の詳細についてはこちらをご覧ください。
LtoCでは皆様からいただいた寄付金で支援を行なっております。いただいたご寄付は、子どもたちの教育支援に大切に使わせていただきます。皆さまからのご支援をお待ちしております。ぜひご協力をお願いいたします。