「明日死ぬかも」思考で今をどう生きるか
目次
スペイン人の友人
「明日死ぬかも」と考えること
今をどう生きたいか
スペインの友人
アメリカ留学中に出会った、スペイン人女性の友人で、自分の欲望に真っ直ぐな人がいた。
アメリカ、カリフォルニア州サンフランシスコ中心部のユニオンスクエアで少し肌寒い秋の日の夕方。彼女の手首にドラムスティック2本がクロスしたタトゥーが入っていたので、意味を聞いてみた。 (写真はスペインで再会した時の)
「これは交通事故で亡くなった兄が音楽が大好きだったから。兄が亡くなって、私が音楽をはじめた。音楽をしていると兄のことを忘れずにすむの。」
彼女はAmyWinehouseの歌をよく歌う。ギターもよく弾いてくれる。なるほど、きっかけはこれだったのか。
大事な話をしてくれてじーんとしている私に、彼女は続けてこう言った。
「パーティで、この人とキスしたいな〜と感じたらキスをするの。hookupしたい(イチャつきたい)と思ったら、そうする。したいことをする。可能な限り。だって人間いつ死ぬかわからないでしょ?
「死」について考えたことはあったけど、自分がすぐ死ぬなんて考えてなかったな。
「明日死ぬかも」と考えること
「私の兄は交通事故で突然亡くなったけど、誰もそんなこと予想してなかった。死ぬなんて誰も考えたくないけど、いつ死ぬかなんてわからない。明日かもしれないんだから。」
当たり前のことだけど、事故で亡くなる方はまさか自分がそうなるなんて考えてなかったわけで。明日自分がそうなる、可能性はゼロじゃない。でもそう考えることって、あんまりない。
「死」をじぶんごと化するって難しい。
毎日「死」を本気で考えて生きてたら身動きが取れなくなるかもしれない。
一回現れて隠れてしまったゴキブリみたいに。見えないところに存在すると分かっていて、いつ現れるかわからないにものに怯えて身動きが取れなくなるかも。
今をどう生きたいか
ただ、「明日死ぬかも」と思考することは悪いことではないと思う。
⒈決断の後押しになる
これやってみたいけど…後でいいかな…と思うとき。後押しになる。「明日死ぬかも」思考でも決断しないことはじっくり考えて行動したらいいことなのだろうな、とも思う。
⒉行動に想いを添える
節目で誰かに感謝するとき、さよなら言う時、「もう次には会えないのかも」と一瞬でも考える。と、もうちょっと丁寧にしたくなる。
実家の母とさよならする時、いつもより強めにハグしておこう、みたいなこと。
「明日死ぬかも」と思うと、今本当に自分はなにがしたいんだろう、どう生きたいんだろう、と考えるきっかけになるのよね。
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