いま、ゆたかさの中にいる
noteのテーマで「ゆたかさ」と見たときに、「あ、なんかいいな」と思った。
幸い、最近は時間が沢山あって、自分の内側と話しできそうな感覚がある。
「ゆたかさ」と「しあわせ」って似てるのかな。
ちょっとこれを機に考えて、言葉にしてみよう。
今、私は「ゆたか」か「ゆたかじゃない」か、と言われると、「ゆたか」なんじゃないかと思う。
それはなんでかな。考えてみよ。
自分が生きている中で、「ゆたかだ」と感じることってどんなことだろう。
・「やってみたい」がたくさんあること
・自分の心に耳を傾ける心の余白があること
・認め合える仲間がいてくれること
・おいしいものを味わえること
・自分の世界、人(社会)と関わっていく世界の両方があること
・何でもやればできる可能性があること
・制限がないこと(忘れがちだけど…)
これが私の今の「ゆたかさ」を感じること。
「今、ある」ものに目を向けられることが「ゆたかさ」なのかもしれない。
そして、生きていく上で、「どんな時間を過ごすか」がキーな気がする。
心地よい、心があたたかい、心が動く、好きなものに囲まれる、人と笑いあえる、ゆったりと好きな時間を過ごすことが、「ゆたかさ」に繋がっている。と、思う。
つまり、自分の心地よい場所や人との関わりを知っていること。
「ゆたかさ」について考えることで
今回、素敵な機会を頂いたなと感じている。自分の人生において、「ゆたかさ」とは何か考えること自体が、とても幸せな事のように思う。
考えることで、「今、あるもの」を見つけ、目を向けることができた。
ゆたかさとは、
・自分の好きなものや好きなことをどれだけ知っているか、どれだけそれに近づこうとしているか
・居心地のよい場所や人との関わりを知っていること
ではないかと思う。
そして、自分が豊かであることが、人への思いやりになって、巡っていく。それも、「ゆたかさ」。
「ゆたかさ」とは、「ゆたかさに気付けること」
感謝すること。しあわせな今を認めることなのだと、今の私は思う。
(あと、「あなたにとってのゆたかさは?」って質問してみたい人は、自分にとってかなり大事な人なんだと思う。聞きたい人、いますか?私は、いるよ。幸せ者だね。「ゆたか」だね。)
気づかせてくれて、ありがとう。
物事をどう捉えるか、ゆたかさを作り出すのは、自分次第だ。