過去と未来
未来よりも過去のほうが魅力的に感じてしまうのはなぜだろうか。
ときどき僕はこれについて考えをめぐらすためゆっくりとコーヒーを飲む時間を作る。
そしていつも、誰しもが考えるのか? いや、一般的な人は未来を魅力的に感じるだろう、などと卑屈な考えに至る。でも実際に他人にそのようなことを聞く勇気があるわけでもない。僕にとっての未来はいつでも恐怖の象徴である。未来を考えて得られるものは計り知れない不安ばかりである。居心地のいい今を脅かすのはいつも未来だ。
でも未来という存在は僕のことを過去を、思い出を、大切にする人間にしてくれたのだ。このことについては自分自身でも気に入っており未来の存在にありがたみを感じている。そうはいっても、それ以上に未来は憎いものだと思う気持ちは消えない。だが、考えるうちに未来を大切にできない自分にも嫌気がさしてきた。できるのならば、大切にしてやりたい。僕の未来が僕に大切にされなくてどうする。
ついに未来を大切にしたいという自分が出てきた。だが、今はどうやったら未来のことを大切にすることができるかわからない。考えてみると、未来は僕が小さいときから共に歩みを進めてくれていた。そして、未来は過去とは違い、衰弱の一途をたどるのみ。もうそろそろ未来のことを一心に考えてみてもいいのではないか。
僕は未来のために何かがむしゃらになって頑張ってみるときめた。何をどうすればいいかわからなくてもがむしゃらに、自分らしく。未来とまだ、うまくやっていけてるうちに。