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助産師ファイルvol.3あん助産院東沙織さん@枚方市①
5人の母の助産師マニアみつこと
イラストレーター助産師いくちゃんが
助産師さんを取材して記事にしていきます。
孤育てをしているお母さんたちと
助産師さんが繋がれますように。
素晴らしい助産師さん達を知ってください。
ゆくゆくはフリーペーパーを作っていきます。
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助産師さんからのメッセージなども
掲載していますので、
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助産師ファイル第3弾は
大阪府枚方市の
あん助産院
東沙織さんです❣️
ーなぜ助産師になろうと思ったんですか?
私、助産師になりたくて看護学校を受験したんじゃないんです。
小学校3年生の時に、おじいちゃんが重い病気で闘病していて、お見舞いに行くことが多かったので、なんとなくそのころから看護師さんになりたいなと思っていて。
ーなんかゆっこさん(※1)と似てますね。小学校3年生で看護師っていうのが。そうゆう出来事があったんですか?
(※1 詳しくは助産師ファイルvol.2参照)
そんなに詳しくは覚えていないけど、
つらそうに寝ているおじいちゃんを家族で囲んでいた記憶があります。
3年生の時のお葬式の日に、冷たいおじいちゃんの手に触れた記憶がすごく強くあります。
母も、看護師さんっていいお仕事やねって言っていたのでそうやなぁって子供ながらに思っていて。
でも動物が大好きやったから、獣医になる!と言ってた頃もありましたね。
3歳のころから民謡と三味線を習ってたので、
ーそうなんですか!かっこいいですね!
声を出すのとか好きやったので、歌手になる!とか言ってた時もありました(笑)
ー三味線弾きながら歌えるってことですか?
はい、おばあちゃんが先生なんです。
着物着て大きな舞台に出たり、周りを見渡せばあまり民謡とか習ってる友達いなかったから、
割と大人の世界にいてた時間が長かったですね。
ーだから、佇まいがなんていうか、しゃんとしてて、凛とした雰囲気が、日本の文化とか伝統にマッチしているというか、それかー!っていう感じがしました。
うーん、そこにあるんですかね?私の根源みたいなものが。
ーあると思います。
ちゃんとせなあかんっていうのはずっとあったかもです。
大人の中で大人っぽくみたいに。
おばあちゃんもすごく厳しかったし(笑)
民謡とか三味線を仕事にしていくのかとか思ったりもしましたけど、
手に職をつけることとか、小学生ながらに色々見たり聞いたりして、
中学生の時には、もう進路は看護学校って思ってました。
それで、おじいちゃんとの記憶があったので、
ターミナルケアがしたいなって思っていて。
がんで苦しむ方の痛みを和らげるとか、緩和ケアの道へ進みたいって思っていたんですよ。
だからどちらかというと、お産とは真逆の「死」というものを意識してたんですけど、
今はお産も終末期の看護も繋がっているなぁって思います。
看護学校の面接でも、そういう看護がしたいって話してた記憶があります。
それで、看護学生の2年生の時に、産婦人科の実習に行ったんですけど
母性看護学を教えておられた先生がとっても熱い先生で。
その先生の授業がすごく面白くて、母性看護にちょっと興味が湧いてきて、
その当時は母性看護と小児看護の授業がすごくおもしろくて好きでした。
そういえば、後から思ったら、ふわっと開業の話とか、開業するなら嘱託医を見つけるのが大変やーとか、先生話してはったなーって思います。
その時はまさか助産師になるなんてまだ思ってなかったんですけどね。
たまたま私が産科病棟へ実習に行ったときに、お産があったんですよ。
そのお産に立ち会わせていただいたことが、私の人生を変えたんだと思います。
ーへー!すごいですね!
実習生グループ5人の中で、私だけたまたまお昼間にお産に立ち会わせていただくことができて、それがすごい巡りあわせのような時間で。
その時にお産の介助についておられた方二人が、その後の人生で一緒に働くことになる、大尊敬する先輩お二人なんです。
その方たちを見て、助産師さんってすごいなぁって。
本当に尊敬する助産師さんで。
その時は学生ながらに、助産師さんってお産のムードメーカーやなって、思ったんですよ。
私は、結構血も出てるし大丈夫なんかな~大変な状況やな~って思って見させてもらってたんですけど、
「おかあさんめっちゃ上手やったよー!」
「お母さんが最後すごい頑張っていきんだから、赤ちゃん楽に出てこられたんよー!」って、
その時の声掛け一つでお母さんのお産に対する捉え方ってすごい違うし、
こういう風にお産できてよかった!って思える人って果たして日本にどれぐらいいるんやろう?ってその時思ったんですよ。
それで、お産すごいよかったなぁ~って思いながら家に帰って、その後の産科病棟の師長さんの授業を受けていると、「あれ?なんやろうこの感じは。なんで患者さんって絶対にいいはらへんのやろう。」って気づきがあって。
絶対に患者さんって言いはらなかったんですよ。師長さん。
授業中も実習中もお母さんたちって言いはるんです。
そこにお母さんたちへの尊敬と尊重を感じたのが心地良い違和感で、印象的やったんです。
入院中のお母さんたちの生活の中に、私たち看護者はただ居せてもらってるだけだから、私たちの都合で洗髪したいとか体拭きたいとかって予定を組んではダメだし、暮らしの中でね、授乳したり赤ちゃんのお世話したりしている中で、私たちはもう本当によく岸本先生が言いはるように「黒子」。そういうことを学生時代に教えてもらえました。
なんか、、すごい方やなぁって感じました。
助産師さん皆さんステキやなぁって思って、その熱い母性看護の先生に相談したんですよ。助産師さんって何かがちがう!って。
そしたら、私旧姓西村って言うんですけど、
「西村さんもう助産師になり!!」みたいな感じでどーーんと背中を押してくださって。
「助産師になるなら絶対このままストレートで助産学校行った方がいいよ。一回働いてとかそんなん言わんと」みたいに迷ってる私の気持ちに後押ししてくださいました。
それで、私は何でこんなにお母さんたちに優しい気持ちでいたいと思うんやろうって思ったら、
私って自分の母が大好きなんですよね。
こんな風に育ててくれてありがとうって思いますし、私みたいに育ててもらえたらなって思います(笑)
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助産師になりたかった根っこの部分には、児童虐待のニュースを見て、その時は結婚すらしていなかったですけど、なんでこんなに可愛い、愛しているはずの子供を虐待してしまうんやろう?って感じていて。
あの時見たお産みたいに、本当に産んでよかったーって思えたら、なんとなくその先も違うかもしれへん、お母さんが幸せやったら、勝手に子供たちも幸せになっていくんじゃないかな?って今の活動のきっかけになるようなことを、学生時代に思っていたのをすごく覚えてます。
看護学校の庭のベンチに座って、母性看護の先生が隣に座っていて話しているときに、見学したお産の記憶と自分の母親との記憶と、出逢った助産師さんたちたちの記憶がフッて繋がった瞬間があって、虐待を減らすにはそこにヒントがあるかも!!って思った時に、「よし!助産師になろう!」って思いました。
だから、何で助産師になろうと思ったんですか?って聞かれたときは、その虐待を減らしたいっていう初めに芽生えた気持ちは忘れたくなくて、いつもお話します。
そうは言っても、自分の子育てはそれはもうしんどかったです。これ虐待じゃない?っていうこともあった。
子育ても産後の生活も、綺麗ごとで済まないことも経験して、そこを越えてみてやっぱりお母さんが笑ってることが一番やなって。
そこをずっとやっていきたいって、開業して6年でどんどん洗練されていく感じがして、やっぱり戻るところはお産やなぁって、そこを大切にしたい思いがどんどん強くなってます。
お産開業しようと思ったのは、妊娠から産後までの流れの中からお産だけをスポッと抜いて、前後だけ関わらせていただくのはなんか違うなぁ、足りないよなぁってずっと思ってました。
ー素敵ですね!
はじめは私、ほぼ自分一人で食事作りもお産前後のケアもやってたんですよ。2年ぐらい。
で、ある日、3組ぐらい入院されてて、急いでごはん出そうとしたら、お膳持ったまま階段の上から落ちたんです。全部どんがらがっしゃーんみたいに。
ーえぇ!?
子どもたちは5歳と3歳、そして助産院経営。
夫は飲食店経営。
その当時の記憶がないんです。
それで思いっきり肘を強打して、右腕の感覚がなかなか戻ってこなくて、
「あ、こんな風に身を粉にして働いてたらあかん。いつか倒れる」って思った時に、
母がちょうど仕事を辞めたタイミングやったんで、勇気を振り絞って、うちで働いてみーひん?って言ったと思います。
そこから助産院の食事作り担当で勤務してもらえるようになって。
初めはいろいろとお互いにかみ合わないこともありましたけど、いまではもうツーカーです。
おっぱいがはり始めてるとか、入院中の方の体調に合わせてそろそろこのぐらいの食事かな?とだいたいわかってくれているんで、今はもう助産院は母なしには考えられないです。
つづく
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