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助産師ファイルvol.3あん助産院東沙織さん@枚方市②



5人の母の助産師マニアみつこと
イラストレーター助産師いくちゃんが
助産師さんを取材して記事にしていきます。
孤育てをしているお母さんたちと
助産師さんが繋がれますように。
素晴らしい助産師さん達を知ってください。
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助産師さんからのメッセージなども
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助産師ファイル第3弾は
大阪府枚方市の
あん助産院
東沙織さんです
🍀②


前回のつづき

ー助産学校に行ってそのままストレートに助産師さんになったんですか?

はい、和歌山の学校で学んで卒業しました。

ー和歌山の学校卒業して助産師になって
その後どうされたんですか?


和歌山の学校出て、看護学校の時の附属病院へ就職しました。
10人の新入職助産師がいたんですけど、
私が入職するタイミングで新病院が建ったので、
旧病院に私一人配属で、残りの9人が新病院に配属になったんです。

ーええ!そんな事があるんですね!

奨学金借りていたんでやめられないですしね、、、(笑)
旧病院の産婦人科に配属されました。
お産件数は月に20から30件ぐらいで、
新生児室も今日は赤ちゃんいないから閉鎖みた
いな日もありました。
婦人科のがん治療されている方や手術後の方の看護が多かったです。
だから看護師を目指したときのやりたいことがある意味できた期間でした。
亡くなられる方のケアをさせていただいて、
すぐ隣り合わせに赤ちゃんが生まれるよう
なところで、
良い経験をたくさんさせてもらいました。
 
採血も病棟中まわっておいで!
というような感じで、
技術は身についたし、
薬のことも勉強になったし、
お産のこと以外もたくさん学べました。
その時は新卒が私だけだったんで、
孤独やったんですけど、
先輩方からもたくさん気にかけてもらえました。

それでもお産に関わりたくて、新病院に異動の希望はずっと出していて、3年目で異動
になりました。そこから10年、13年目まで大学病院で勤務しました。

新病院は、総合周産期母子医療センターのある病院なので、
ハイリスク妊娠の方がすごく多くて、
産科の専門分野で集中的に勤務して、
その間に1回結婚して、離婚して。
で、主人と結婚して長男を妊娠した時に
ゆずりは助産院の片山さんに出逢って、
そこから私の開業人生が開けていったかなという感じです。

ーそうなんですね!間、かなり省略しましたね(笑)

そうですね。(笑)



ーその10年間でいいことも悪いことも含め、
心に残った印象深いことっていうのはありますか?


そうですね、その一度目の結婚の時に流産してるんですけど、
結構それが心の傷になって。
それも離婚の原因にもなってるかもしれません。
本当に職場復帰もできないぐらい1カ月ぐらいお休みいただいて、結構心にダメージ受けました。
で、なんとか周りの支えもあり戻ってきて、
当時の夫ともいろいろあって離婚となったとき、たぶん人生で一番しんどかったかな~ぐらい
離婚することってしんどかったです。

主人も実は私と同時期に結婚して離婚して。
お互いに結構大変やったと思います。
主人は保育園からの幼馴染なんで、
昔からよく話もするし、普通に友達でした。
お互いに結婚式の2次会とかもいってて、
離婚のこととかも後々話したりしてたかな~
お互い大変やったこととか。
そしてある日突然急接近したんですけど、
私が一番びっくりしました(笑)
で、結婚しようかってなって。
その時助産院でアルバイトしてたんですよ。
助産師5年目ぐらいの時に。
プーさんとかキティちゃんのエプロンが置いてあって、それして洗濯したり、掃除したり、食事の準備したり、洗い物したり、それで時々お産のお手伝いして、
とかしてるのがめっちゃ楽しくて。
夜勤明けとかで行ってたんですけど、
なんかもうイキイキ、こんなに楽しくていいの?!と思ってました。

それで、掃除機のかけ方ひとつ、お皿の洗い方ひとつ、注意されたり、花嫁修業みたいで。
助産技術のスキルアップのためにいったんですけど、暮らしのスキルアップさせてもらえたと思います。
 
そのバイト先の先輩が、妊娠39週ぐらいでも
普通に動き回って働いておられたんです。
「産むまで働くねん」とおっしゃってたのが印象的でした。
その方の先輩が片山由美さん(ゆずりは助産院の院長)だったんですよ。
枚方に住んでるんだったら、結婚したらゆずりはさんで産むの?と聞かれて、
それどこにあるんですか?ってぐらい、何も知りませんでした(笑)
大阪市内までバイトに行ってたんですけど、
自分の地元に助産院があることも知らず、
家の近くにあるなら、私も妊娠したら助産院で産みたいので連絡してみます!となり、
なぜか助産師という事を伏せて、由美さんに電話したんですよね(笑)
でも、東さん助産師さん?ってすぐにばれました(笑)

離婚がなかったらおそらく由美さんに出逢うこともなかったかもしれないし、
なんかいろんな運命が重なり合って、
主人と結婚することができて、
赤ちゃんを授かることもでき、産みたいなと思った助産院の院長が私の師匠です。

当時は開業したいと思っていなくて、
いずれ60歳を超えて退職したら
開業の道もあるかなと思っていたんですけど。
当時由美さんのお子さんがまだ小学1年生ぐらいで、階段の下から上にいるお子さんにごはん食べた?と聞いたりしながら、
妊婦健診してもらったり、
暮らしの中にある助産を体感させてもらえました。
 
今日お子さんいてはるんですか?と聞くと、
「そうやねん、今日ちょっと体調悪くて家にいてるねん」とおっしゃっていて、
病院勤務とは全く違う世界を目の当たりにしながら、私の妊婦健診をしてもらいました。
 
一人目のお産は超が付くほど時間がかかって。
助産院で50時間過ごした後に分娩が止まってしまい、病院へ搬送になりました。
勤務していた病院に受け入れてもらえて、到着後は促進剤を使ってつるんと生まれてきてくれました。
 
細菌感染していたので、NICUへ子供は入院になり、離ればなれでした。
離れてるからおっぱいもあげられないし、
通って授乳する大変さをものすごく身に染みて感じました。
 
赤ちゃんを置いて先に帰るつらさとか、
いろんなことを体験しました。
 
アトピーもひどくて、毎朝布団にくっついた皮膚をはがすところから一日が始まり、
なんでこんなに何もかもうまくいかへんのやろうってつらかったです。
 
由美さんにいろいろ相談しながら、
1歳を無事に迎えたときに、
「食」の大切さが確信に変わり、
やっぱり体は食べたものでできてるんやっていいうのを子供が教えてくれました。
 
由美さんは34歳ぐらいで開業されているんですけど、若くで開業されているのに驚いて、
「私にもできますかね。。私も開業したいかもしれないです。。」
って一カ月健診の時に勇気を出して打ち明けたら、「え?そうやったん?!そんなん全然言わへんかったから~」と言ってくださって。
その翌々年から、ゆずりは助産院さんの開業プログラムに1年間参加しました。
 
長男のお産や子育てにつまづかなかったら、
きっと食の大切さにもたどり着かなかったし、
助産院でお産したかったけどできなかったという失敗感が残っていたかもしれない。
色んなことがあってそれを支えていただいて乗り越えられたから、今につながっているんだなと思います。
長男の妊娠出産での経験がほとんどですね。
助産院やろうと思ったその根源にあるのは。


つづく


🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀

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