ひとりで暮らしたい。親と離れたい。

 題名通りである。
 ひとりで、誰にも邪魔をされることなく、誰かに監視されることもなく、誰かに行動を束縛されることもなく、ひとりで、自由に気ままに楽しく生きたい。
 私がもっとも大切にしているものは何かと問われれば、きっと「自由」だと思う。ひとりで好きな時に好きな場所に行って、好きなことをする。
 たとえば、ふとした思いつきで電車に乗って、終点としてたどり着いた駅周辺を散策して、どこにでもあるようなファミレスに入ったり、ちょっと珍しいような風景を見つけたり、そういうことをして生きていきたい。

 そういうことができなくなったのは、まあ私が悪い部分もあるのかもしれない。ただあれは不可抗力だ。私にどうにかしろなんて無理に決まっている。ほとんどは親の影響だった。もしくは誰も悪くない。
 私は親から離れたい。
 親は私のことを嫌いなわけじゃない、と思う。殴られたりしたこともあまりないし暴言を吐かれるようなこともあまりない。たったの数回が私にとってそれが衝撃的に感じて記憶に残るくらいには、親は私を優しく育ててきたのだと思う。親は何も悪くない。ただ相性が合わないだけ。
 それでも時折わからなくなる。本当に私のことを心底想っているのか? 心配しているのか? 私に興味がないのではないか? 私のことを追い詰めている自覚はないのか?

 全面的に私が悪い。私はただの反抗期の子どもにすぎない。お母さんからは「あんたは反抗期がなかった」と言われたが、面倒事が嫌で反抗しなかっただけである。内心は思春期が終わりかけた今も、反抗している。ただの反抗期のくせに、贅沢だ。贅沢すぎる。

 部屋を漁られた時、大量の風邪薬の瓶を発見された。母は何も言わなかった。これを私は「見て見ぬ振りをした」と思った。母が「オーバードーズ」について知識があることはすでに知っているから、あれを見て気づかないわけがないと思った。
 親に構われたくてオーバードーズをしているわけではない。なんなら一生構わなくていい。だけど、娘のそうした行為を止めないのに、「心配だから」という理由で行動制限をされる、その矛盾に苛立った。「心配している」本当にそうなのだろうか? 風邪薬を無駄に過剰摂取していることは放置したままなのに?

 そんな矛盾も、いつまで続くのかわからないこの行動制限も、成人にもなって位置情報を監視されるのも、いつだって気を抜けない親との会話も、私が体調を悪くすると不機嫌になる親も、一緒にいる度に疲弊していくのも、あれもこれもすべてが嫌になった。詳しくは書かないが、ここまで病みをこじらせた理由さえ親にあると思っている。通っていた学校には問題がなかったし、あの時期の親の対応が私の頭には強く刻み込まれている。もちろんネガティブなイメージで。
 贅沢な望みであることは重々理解している。あれこれと書いたがわたしの家庭環境は良いはずだ。もっと厳しい環境に育った人に失礼だ。本当に失礼だ。ただの贅沢だ。これを読んでいる人で不快になった人もいるだろう。本当に申し訳ない。
 こんなのは親子喧嘩にならなかったただの不満にすぎない。私が一言言えば変わっていた可能性はあるのに、それをしなかった私の怠慢でもある。そうだ私が悪いのだ。
 優しい優しい親から離れたいから一人暮らしがしたいだなんて贅沢な望みはただの夢である。将来の夢なんてものじゃない、寝ている間に見るいつか覚める夢。
 私は精神疾患で働けない。経済的にも自立ができない。他にも社会についてあまりにも無知だ。この家の中で、ずっと必要のないことには関心を持たないまま生きてきたのだから。もっとも親が許すはずがないだろう。そんなことはありえないのだ。私が働けるようになって、社会について知識をつけて、その上で打診したところで感情的になられて話にならない可能性だってある。

 贅沢だって、失礼だって、望みがないことだって、すべて承知している。それでもいつか、経済的に自立して、社会で生きていくための武器を手に入れて、親から離れてひとりで暮らしたい。自由になりたい。私はひとりでも生きていけると、そう言える大人になりたい。

 ひとりで暮らしたい。

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