なぜ私は世界一周を選ぶのか
『世界を知りたいなら、わざわざ世界一周せずとも、書籍で学ぶ方が遥かに有意義だ』という意見をみた。
違うのだよ、ワトソンくん。
算数を知らずして数学ができるかい?
九九もままならない子が、二次方程式をいきなり理解できるかい?
ごく一部の天才はやってのけるかもしれない。
だが悲しいことに我々の多くは凡人だ。
君は富士山を初めて目にした時のことを覚えているか?
日本で一番大きい山だという知識はあっただろう。
テレビや写真で目にしたこともあっただろう。
でも、あの美しい姿を初めて肉眼で捉えた時、どう思ったか?
その知識を超える感動を覚えただろう。
もちろん書籍から得る学びだって素晴らしい。その心がけは忘れてはならない。
だが本当に「知りたい」と思うなら、現地で得られる情報を軽視してはいけない。
これは人文諸科学の基本でもある。いわゆるフィールドワークだ。
その地に降り立ち、目から、耳から、鼻から、手から、舌から。
膨大な情報量を脳にブチこんで初めて、私たちは実感を伴う生きた情報を手に入れることができるのだ。
差別を受けてきた民族の現状。
途上国での貧民問題。
これらは特に、肌で感じなければわからないものがある。
平和な日本に住んでいる私たちには想像もできない現実があるのだ。
知識の面ではわかったかい。
次はなに、「わざわざ巨額の費用と時間をかけて一周する意味とは」だって?
それこそ費用の問題だ。
世界一周はとにかくお金がかかると言ったよね。それなら日常生活の中に楽しみを見つけるほうがいいとも。(本当にそう思うならそれもいいだろう。)
ご存知の通り、いくらLCCが発達してきているとはいえ、航空券はとにかくお金がかかる。
例えば、君が死ぬまでの間にタイ、ベトナム、中国、ドイツ、アメリカ、ブラジルに行きたいとする。
ご丁寧に一つ一つ日本からの往復航空券をとるのと、
ベトナムからタイを経由して中国、ドイツからアメリカ、ブラジルへと片道で向うのと、総額で考えればどちらが安いと思う?
飛行機に乗っている時間も計算してみてほしい。
答えは明白だよね。
ICTが発達して旅行しやすくなった現代で、世界で最も強力な日本のパスポートを持っている、恵まれた我々。
本当はあちこち見て回りたいのに、酸っぱい葡萄と諦めてしまうのは、機会損失による不利益の方が君の人生にとっては大きいんじゃないかな。
お金も時間もないだって?
それは君の覚悟の問題だ。
私は世界一周のためにシステムエンジニアになり、キャリアを積んで、フリーランスになった。
今の所、お金も時間も不自由していない。
やりたいことを仕事にしたからお金がない?
愛する家族を支える方が重要だ?
おやおや、それなら話は変わってくる。
君はすでに君にとっての甘い葡萄を手にいれているんじゃないか、おめでとう。
真の自由とは責任感と覚悟の上に生まれるものだ。
そのどちらも有耶無耶にして得られるものは、自由ではなく破滅だ。
気づいた時には足場は崩れていて、二度と同じ道には戻れないだろう。
世界一周はほとんどの人が抱く夢という。
夢に優劣はないけれど、自分の人生における優先順位はある。
長い人生の途中で、順位がすり替わることは大いにある。
見つけた宝は最後まで大切にしてほしい。
特に、誰かの人生が関わっている場合には。
私にとっての1位は、幼い時からずっと「世界一周」だった。
そのために私は覚悟を決めた。
覚悟もなしに、酸っぱい葡萄と文句を垂れる君は甘すぎる。