世界一周12〜14日目log パース
今、私はオーストラリアのアリススプリングスにいる。
12日目にタイを出国して、オーストラリアの西の端の港町、パースで2泊した後、国内線に乗ってアリススプリングスへとやってきた。
アリススプリングスに数日滞在したあとはシドニーで1泊し、ニュージーランドへと向かう予定だ。
早足ではあるが、オーストラリア横断といってもいいだろう。
飛行機代を安く済ませるためにとったルートだったが、気づけば大きく横切る形となっていた。
横断、縦断、一周。
私はこういう思い切りのいい旅行が好きだ。
過去には四国を自転車で一周したし、東北も鉄道で一周した。琵琶湖を回ったこともある。
訪れた方がいいと言われる観光スポットは、調べれば無数に出てくるが、こういった一つの方向を決めることで効率よく取捨選択できるし、終わったときにはやり切ったという達成感がある。一粒で二度お得というやつだ。
パースには夜に到着した。
空港は楽々通過できたのだが、eSIMカードがうまく使えず、手間取ってしまった。
タイの空港にいる間に購入し、アクティベートしていたのに、現地に到着しても使えなかったのである。
戸惑ってしまって、やってはいけない「回線の削除」をしたことでドツボにハマった。
削除するとそのコードはもう使えなくなってしまうのである。なんとか戻してもらえないかとサポート窓口に連絡したが、対応時間は終了していて、なしのつぶて。
貴重な1200円を無駄にした。
電車の時間も迫っていたので、空港のWiFiを利用してホステルまでのナビを検索し、電子メモパッドと化したスマホと共にホステルまで向かった。
パースはとても綺麗だった。空港も駅も清潔感に溢れて、人も親切だった。券売機前であたふたしていると、スタッフのおじさんがにこやかに寄ってきて、
「Are you OK? Where are you going?」
と、実にわかりやすい英語で聞いてくれる。そのおかげでスムーズにチケットを購入できた。
構内で電車を待っていると、到着した電車は3両編成で、私が待っていたところまでは来なかった。慌てて向かうと、荷物をたくさん抱えた老婦人がこちらを見て何か言ってきた。よく聞き取れなかったが、多分あの優しい顔つきと立ち止まった動きから見ると、
「向こうで並んでいたでしょう?どうぞ」
と言っていたのだと思う。
そう、たくさんの荷物を持った人!しかもお年を召した方が。なんて奉仕の精神、心の余裕。
日本にいるとき、私は誰かがそんなふうにやってきてもなんとも思わなかったし、きっとスマホだけ見ていて、気づきもしなかったと思う。
素敵だ、と思った。見習おう。
電車を降りて、目的地のホステルへと向かう。
泊まる予定のホステルは1万円だった。ホステルなのに、とても高くて驚きだ。安いホステルもあったが、そこは口コミが地獄のようになっていたので、さすがにやめておいた。
もう少し遠くに行けば、4000円程度のユースホステルがあったが、夜だったので近場にしておいた。
到着した瞬間、失敗したかな、と思った。
ただでさえ不安な暗がりの中。心もとない街頭に照らされたホステルの扉は監獄のように中がみえないし、扉の前にはガタイのいい墨がたくさん入ったBro達がスパスパと煙草を吸っている。
それでも通信手段のない今、私にはここしかない。覚悟を決めて鉄格子のドアを開けようとするが、開かない。ガチャガチャしていると、Broの1人が「ボタンを押すんだよ」と存外優しい声で言ってくれた。
探して見ると確かにインターホンのようなボタンがあった。
「Thank you!」と言って、押す。開かない。Bro…?
Broは少し笑いながら立ち上がり、ボタンを押しながら何か言ってドアを開けてくれた。入れる!ありがとうBro。
チェックインを済ませ、シーツ類を受け取り、ラウンジスペースに入った瞬間また、失敗したかな、と思った。
室内は綺麗だし、広くておしゃれな内装なのだが、ラウンジにいる人々がどこか異様。ホステルといえばどこか浮かれた雰囲気があるというのに。どんより暗くて重い空気が漂っている。そばを通るたびにじっとりと見られる気がする。
なんとか部屋の番号を見つけて、そこへ行く通路のドアを開けようとすると、開かない。
困っていたらすぐそばにいた2人が「プル」と教えてくれたが、なかなか開かない。コツが要るらしい。
ようやく開いた時には、お互い日本人だとわかっていた。
彼らはワーキングホリデーに来ている日本人だった。
イースターと呼ばれるパブリックホリデーの真っ最中で、求人に応募をしても返事がなかなか来なくて困っているらしい。現地のワーホリ事情はなかなか大変なようだ。
何でも世界各国からオーストラリアへワーホリに来るので、仕事の争奪戦らしい。このホステルに泊まっている人は大体そういう人たち、と教えてくれた。
なるほど、だから人の視線がじっとりとしていたのだな、と思った。知り合いかどうかを確認していたのだろう。それか戦う相手かどうかを見定めていたとか?どちらにしても、いち観光客の私には迷惑な視線だ。
部屋はドミトリーで、満室だった。タイのホステルには当たり前のようにシャンプーやシャワーソープがあったが、10倍の値段がするのに、ここには全くない。
世界の広さを感じる。
タイのホテルでもしものためにともらってきた石鹸を使って全身を洗った。髪がキシキシするが、仕方がない。こんなことならもう数千円出してちゃんとしたホテルに泊まるんだった。
そう後悔した1日だったが、そのドミトリーで初めて英語で日常会話をした。中学英語の教科書をなぞるような会話だったが、新鮮な体験だった。
話した相手はニュージーランド出身で、オーストラリアのメルボルンあたりで長年日本人観光客を相手にしたツアーバスの運転手をしていたらしい。
ニュージーランドについて詳しく聞きたかったが、連日の睡眠不足で頭が回らず、早々に切り上げさせてもらった。
翌日はパースのフリーマントルのあたりを徒歩で1、2時間程度かけて回った。世界遺産になっている物々しい刑務所、虹色のコンテナアーチ、真っ白な砂と青い海の広がるビーチまで。
驚くべきことに、私はここまで、前日にタイの空港で飲んだタピオカミルクティーと水だけでやり切った。かなり節約できたと思う。
それにしてもタピオカの腹持ちの良さは驚異的だ。つくづく、あそこでタピオカ以外の選択肢がなかったことを感謝する。
翌日の早朝のフライトのため、この日は空港送迎サービスをしているホテルをとった。
Agodaで普通のホテルをとったつもりだったのだが、いわゆる民泊のような宿で、かなり苦戦した。
住宅街の中にあり、外観も完全に民家。私は重い荷物を持って1時間程度、彷徨った。
小さなベッドのマークを見つけて、意を決してインターホンを押すと、どこか疲れた様子の老婦人が出てきた。
「宿泊客?」
「はい」
「英語はできる?」
「少し…」
こんな会話の後、部屋を案内してくれた。部屋はオーナースタッフの家と地続きだったが、鍵付きのドアで仕切られていて、入ってくることはなかった。
元々ゲストスペースとして備えられていた場所を貸し出しているのだろう。バスルームもしっかりしていて、綺麗だった。
問題はここからだ。老婦人は何度も繰り返し、懇切丁寧に、
「ここは企業による宿泊所ではない。私はパートナーとしてBooking.comに登録している。だからAgodaもよくわからない。私はあなたとの連絡手段がなかった。あなたが乗る予定の航空券についての情報もない」
と伝えてきた。
悪いことがいくつかある。
私はしばらく睡眠不足で頭が回っていなかったこと、Agodaアプリの旅程(予約工程表)が重くて表示されなかったこと、Booking.comとAgodaなど複数のサイトで比較して宿泊先を決めていたこと。Booking.comでとった航空券のオンラインチェックインの仕方がよくわからず、詳細な搭乗時間やターミナルがわかっていなかったこと。
結果、Booking.comとAgodaのサイトからダブルブッキングをしたと思い込み、すれ違いが起きた。スタッフはかなりストレスが溜まったと思う。
向こうとしては航空券の情報が知れれば良かったようなのだが、何度も何度も、それを聞く理由から教えてくれるから、私としてはその理由の方が重要なことなのかと思ってしまった。
結果、航空券のチェックインサービスは一時的に止まっていて、明日早めに行って現地でチェックインする必要があること。
私が乗る予定の航路は2日前に開始されたばかりで、スタッフとしても詳しいことはよく知らないこと。
が、何十分かに及ぶ対話の末、明らかになった。
それでも国内線のターミナルなら歩いたほうが早いということで、翌日15分かけて空港まで歩いて向かった。飛行機には無事に乗れたのでよしとする。
宿泊関連の運にはあまり恵まれなかったが、街の記憶としてはいいものだった。
いいものにしてくれたのは、電車で案内してくれた人と順番を譲ってくれた老婦人だ。旅は些細なことがやけに記憶に残る。
あの時あの親切な人がいてくれてよかった。
1人の旅人に深く感謝されていることを、彼らが知ることはないのだろう。