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試験にスマホを持ち込んでもいいじゃん,という意見に対する一考察

Twitter で見かけた意見

ひろゆき『 高校3年生に「スマホを使っていい」という条件でセンター試験を受けさせたら高得点を取れちゃうわけです。つまり、高学歴だと思っている人の学力って「スマホがあれば済む」ぐらいのこと。』

それはセンター試験の内容がそうなっているってだけで,高学歴とはまったく関係のない話ですね.スマホを禁止にするのは外部との連絡手段として使われるからでしょう.下手すりゃ,みんな同じ答案が出てくる.誤字脱字も同じ (笑. 学生のレポートも剽窃が多い.あきらかなコピペは写した方も,写させた方も不合格.理系の大学を知らない外の人が思うほど,気楽な大学生活ではありません.

自分の大学時代は「なんでも持ち込み可」とか「図書館に行って調べても良い」という講義の試験は結構ありました.でも合格は厳しかった.ある先生は「生点のルートをとって,10倍したものを成績とする.つまり100点満点中36点とれば,この換算式で60点になるから合格なんだけど,合格者数は3割くらいだったかな.

自分も試験させる時には教科書を持ち込み可にしてました.もちろん,教科書に何を書き込んでもOKです.それでも出来ない学生は出来ない.下駄を履かせて,出席点を加味して,それでも足りなければ追加のレポートを書かせたり.

理系だと高学年になると研究室に配属されて,研究を始めます.研究を進めるには,それこそ何を使ってもいい.インターネット,図書館,友人,先輩,他の研究室の先生方.その問題について考えているのは世界でその学生ひとりです.コピペする対象はいません.ありません.既に結果が出ていたら研究としてやる価値がありませんから.

さて,ある問題について学生に調べさせることはよくあります.そうすると,結構な割合で「情報ありませんでした」と回答が返ってくる.じゃぁ一緒に調べようと,自分が学生の前でパソコンを広げて調べるとワサワサ情報が出てくる.

問題そのもの,その周辺や関連する情報で検索キーワードは変わる.より精度の高いキーワードになる.得られた情報の関連付けから別のキーワードに気がついて,新たに情報を探すこともある.たぶん本来,その分野に関して持っている情報や体系づけが自分の中にあるんだろうな,その体系の中に新たな問題や情報を放り込んで再構築するなかで,より上位の新たな体系が自分の中に構築されるのだろうと考えます.

この感覚は『高学歴だと思っている人の学力って「スマホがあれば済む」ぐらいのこと。』では説明がつきません.百科事典を背負っても,新しい問題に立ち向かう武器にはなりません.それとも文系ではスマホがあれば済むんですかね.少なくとも理系では考えられない.ありえない.

「高学歴」が何を意味しているのかわかりませんが,ネットワークでことばを拾い集めて,適当に組み合わせてレポートやら文書を作る能力であっても,ドキュメントを書く人,その人なりの内容のものが出来るでしょう.高校生と大学生と大学院生,博士,研究者.同じ材料を使っても出来上がってくるものは違います.

と,ここまで書いて気づいたこと.研究やレポート,論文執筆のような知的生産活動に限らず,料理人や職人の世界も同じかもしれません.同じ材料を使っても出来上がってくるものはプロフェッショナルと素人ではまったく違うという意味です.その素材の性質を知り,素材を吟味して,もっとも適した調理法を選んで適用する.スマホで調べたレシピで料理をしても,普段から料理に慣れた人と,包丁を握ったこともない人とでは,まったく違ったものが出来上がってきますね.

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Takahata
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