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子供の名前 ―真似る人の心理とは―
たかが名前。
どうでもいい、大した事ない。
我が子の名前をそう思える親っているだろうか。
約4年間、子供の名前について悩まされている。
精神的ストレスで救急に行ったり、頭痛で嘔吐したり、鬱状態に陥ったりした。
そしてこれからもその苦悩を抱えながら生きていく。
被害者ぶりたいわけじゃなく
自分のかけがえのない子供の名前だから
純粋に苦しいし、辛いし、悲しいし、悔しい。
遡ること6年前。
過去に流産を経験し、
年齢的にも子供は諦めかけていた。
そんな私が高齢出産。奇跡的に子供に恵まれた。
子供の名前を周囲に報告したとき、
私のイトコが同じ名前を次の子(3人目)に考えていたと、彼女の母親(叔母)から聞いた。
「同じ名前を次の子に考えてたんだって。だからあなたが◯◯って付けたの聞いてビックリしてたよ」
覚えておいて欲しい、この時確かに言われた言葉。
(彼女は当時妊娠していなかったが、体外受精の予定はしていたらしい)
後になって知った事だが、
正確にはスペルが違っていたため、英語での発音は異なる。例えば「リナ」という名前にはRina、Lina、Lena、と色んな綴りがあり、英語で呼べばLとRで違うが、日本語ではLもRも同じ名「リナ」になる、といった具合だ。
イトコ本人も「同じ名前を考えてた」と知人に認めている。
「スペルは違うけどエルクイン(私)と同じ名前を次の子に考えてた」と自ら知人に話したという。これはその”知人”、つまり彼女が話した相手から直接聞いた事実なので間違いない。
本人も叔母も認識し明言している事実を、まさか後から”全否定”してくるなんて、この時は想像すらしなかったのだが。
話は脱線するが、必要な情報なので少し補足しておく。
イトコはアメリカ在住のハーフで、英語も日本語も完璧なバイリンガルだ。
彼女の母親と義父も日本人(アメリカ人の実父は昔離婚)。
母方の兄妹は皆仲が良く、幼少から家族ぐるみで仲良くしてきた。
当然、皆日本人だ。
その中で私はイトコと特段仲が良く、(アメリカに住んでいた時)悩みを相談しあったり、遊んだり、私が帰国後もお互い遊びに行き来したりした。2人で旅行にも行った。
私は彼女が大好きだった。
話を戻そう。
私の出産から約1年後、彼女は3人目を出産した。
その際は、全く違う名前を付けた。
ところが、
2歳の誕生日直前、突然改名してきた。そう、私の子供と同じ名だ。
LとRは違うので英語での発音は違う。でも日本語では同じ呼び名なので、日本人である私達親戚、いや、日本人にとっては同じ名前だ。
前述の例で言えば、RinaとLinaという異なるスペルだが、日本ではどちらも「リナちゃん」と呼ばれ、いちいちスペルを気にしないので同じ名前だね、となる。
そして忘れないで欲しいのが、本人達も「同じ名前」と認め、明言していた名である。
普通は避けるよなぁ、とは思った。
親戚や親友、近しい関係なら、かぶる名前は避けるという考えは、周りの知人の殆どが言うように、普通に多くの人が感じる事だと思う。
もちろんそう思わない人もいるし、法律で禁止されているわけでもない。だから別に悪い、ダメだと言うつもりはない。
ただ、”普通は避けるよなぁ”という感情はやはり否めない。
それでも、大好きで仲の良かった彼女のことは尊重したいと思ったし、むしろ2年越しでそんなに未練があったのなら付ければいい、そう感じた。
ただ。
同じ呼び名に後から改名したのだから
当然そういう連絡なり報告なり
「同じ様な名前になったの、ヨロシクね」くらいの言葉はあると思っていた。親友のように仲良くしていたので、いの一番に連絡が来ると信じて疑わなかった。
連絡はなかった。
なかったどころではない。
イトコと叔母は、
同じ名前どころか、似た名前、いや、
英語では違うが日本語では同じ呼び名、という事すらも全て否定してきた。
私は改名したという話を、本人からではなく母親から聞かされたのだが、
母親同士が仲良く頻繁に会話していたため、母親を通じて改名の事実を知ったのだ。
叔母は改名直後から、〇〇(当然私の子と同じ)と、平然と何度も何度も同じ呼び名で話してきたという。母は「急に同じ名前になり、向こうが同じ名を呼ぶからなんか複雑な気分だわ。今まで〇〇はこっちだったのに」と言ったくらいだ。
母が叔母(母の妹)に、私にはちゃんと本人から連絡してあげてと言うと、叔母はこう弁解したという。
「アメリカでは改名なんてよくあることだからいちいち報告なんかしない。なんで連絡しなきゃいけないんだ。わざわざ連絡してこいと言う日本人がうるさい、おかしい。」
見事な論点のすり替えである。
改名したから報告してこい、なんて誰も言っていない。
同じ呼び名になったのだから、当事者にはひと言伝えてね、という単純な話なのに、アメリカと日本の文化が違うなどと、脱線した言い訳をその後も延々と繰り返したという。
私が直接聞いていればその場で矛盾点を指摘できたのだが、叔母と話したのは母だったので、向こうの主張を事後報告で聞かされても意味がなかった。
結局その後、すったもんだありながらも随分経ってからイトコ本人から長文メールが私に送られてきた。その内容をまとめると、こうだ。
改名しようと思ったきっかけは改名したママ友の話。その際、”今の名前は合わない。やっぱり最初に付けたかった名前にしよう”と決心。(最初に付けたかった名→ウチと同じ名)
LとRが違うから、全く違う名前だ。似ても似つかない名前だ。同じ名前なんて誰も思わない。(私の出産後 ”同じ名前考えてた” と発言した事実も、叔母が同じ名をずっと呼んでいた事実も消え去る)
全く違う名前だから私や私の子の存在は一切頭に思い浮かびもしなかった。連絡しなきゃいけないなんて、1ミリたりとも思わなかった。(”最初に付けたかった名に変えた”と認めながらも私や子の存在は消滅)
日本語で発音すると〇〇ではなく⬜︎⬜︎だ、だから全然違う、似てもいない名前だ。
(例えば”リナ”ではなく”リィナ” というような、誰が聞いても無理がある主張)日本人の親戚はみな、ミドルネームのXXと呼べ。絶対に◯◯と呼ぶな、これは命令だ(日本人限定でXXと呼べと、誤魔化すためのルールを強制)
語源が違うから全く違う名前だ。
フランス語、ドイツ語、ロシア語、、、外国語ではうんぬんかんぬん、だから違う名前だ(”日本語では同じ呼び名だよね”という私の問いに対する返し)
ここに書ききれない程、誤魔化し、矛盾、言い訳、嘘を並べてきた。嘘のために偽造まがいの事までしてきた。
私はいまだにメールを読んだ時の衝撃、ショック、戸惑いを思い出す。
コロナの時期も重なっていたため
彼女の頭がウイルスでやられてしまったのでは?
と本気で心配したくらいだ。
こんな浅はかな嘘を平気で言う人ではない。
私の知っている彼女はそんな人じゃない。
親友のような仲だった人が言う訳ない。
そう信じたかった。
繰り返しになるが、同じ名前にしたから嫌だとか文句を言いたい訳ではない。
ただストレートに、改名して同じ呼び名になったことを、伝えてきて欲しかっただけなのに。
何故、後から付けてきた側が、先に付けた側を尊重する事もなく、存在を軽視し、過去の発言を否定する言い訳を並べ、伝える必要なんて一切無いと、関係を壊すような事を言うのだろう。
2度ほどメールをやり取りしたが、過去の自分の発言も認めず、私の問いにも一切答えず、とにかく会話のキャッチボールが成り立たないまま偽りの主張をし続けるため、もう諦めてやり取りを終わりにするしかなかった。
それ以来、私は彼女との関係を切った。
信頼していた、親友だと思っていた人に嘘をつかれ裏切られた思い、全て否定し攻撃的に責める言葉、私と子供に対する軽蔑的な言葉、目の前にある事実を認めない彼女の態度。
私は深く傷つき、涙と震えが止まらなかった。
直接電話で話さなかったのかと疑問に思うかも知れないが、私はそうしたかったし、当初から5分でもいいから電話して欲しいと伝えていた。しかし、”忙しい”を理由に電話はできないと叔母が主張し続けたので、「せめてメールくらい書けるよね」という妥協案だった。
世界一多忙な人でも、5分くらいの電話はできるはずなのだが、彼女は5分の電話すらできない人らしい。その割に絵巻物級の超長文メールを送ってきたのだから滑稽とも言えるのだが。
かなり割愛しているが、経緯は説明できた。
このやり取りがあったのが4年前。その後も母親同士を通じて議論はあったが、暫くすると母親同士は”姉妹だし喧嘩したくない、仲良くしたい”と、この件は話さない、持ち出さない、というような約束で水に流した。
傷つき、裏切られ、事実を否定されたまま、同じ呼び名になったという連絡も結局無いまま「全てなかったこと」にされた私にとっては、なんの解決にもならない。私の子も彼女の子も全く同じ「◯◯」と周りから呼ばれる現実も変わらない。だから、4年前の心の傷や痛み、ストレスが、今も続いている。胸にずっと魚の骨が引っかかっている感覚で、モヤモヤとした雲が脳を包んでいるようだ。我が子の名前を毎日何十回と呼ぶわけだが、その度に心をチクチク刺される感覚に襲われる。
4年も精神がこういう状態だと、自分が悪かったのかと自身を追い詰めたりする。この名前にした私が悪いのかな?6年前にこの名前を選んだ私が全部悪いのかな?という自責の念に何度も駆られた。心が病んで世界が灰色に見えていたし、「大したことじゃない、忘れろ」と流そうとする親やきょうだいが敵に見えた。
ここまで頑なに事実を認められない人の心理とは何なのだろう。彼女が2年越しにわざわざ改名したのなら、彼女自身、子供の名前に相当こだわっている証であって、こだわっている親ならば、子供の名前の重みが分かっている筈だ。理論上はそうなのだが、同じく色々な思いを乗せて名付けた私に対する言動は、敬意も尊重も思いやりも微塵も感じられない。
また彼女は3人子供が居て、他2人もわりと珍しい名前をつけている事からも、周りとかぶりたくない思惑は容易に想像できる。なのに自分がかぶせた時の相手の気持ちは想像できないのだろうか。正直、こんな人間の心理は理解できないというより理解したくない。
自分は、こういう人には絶対になりたくない。
問題が解決するとは思えない。ただ私は、ひと言「同じ呼び名になったよ」という言葉が直接欲しかっただけで、その思いは今でも変わらない。逆に言うと、今からでもひと言伝えてきたら、私は許す準備はある。けれど、今さら事実を認めてくる人間だとも思えないので、おそらく解決はしないのだろう。
4年という歳月が経つと、もう誰にも心の痛みやストレスを吐き出したり聞いてもらえない。解決できなくても、少しでも真実を知ってもらい、僅かでも共感してもらえたら、心の救いになるのではと、ここに綴ってみた。