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Cabaret LPT vol.17 ‘The American Pride’ | Chapter 1 / Pre-war
今回は久しぶりに歴史物をやります。アメリカ香水は、基本的には国内で流通しているもの以外、香水もその情報も実は入手しづらいからで、特にアメリカの香水史に大きく貢献した作品は、日本ではあまり評価されていません。その為、虚偽はありませんが、独断と偏見に満ちた近代アメリカ香水史をお届けいたします。ここは、私の脳内アメリカです。ここに登場するアメリカ史は氷山の一角で、決定的な何かが欠落しているのはご容赦ください。それは私の興味の範囲外だったからで、私の脳内アメリカには、トムフォードもルラボもいません。また今回は戦後のメンズ香水は割愛しました。
準備に10年を要しましたが、最後の1年、2024年、まさかこのタイミングで、世界的香水アーカイヴの権威、マイケル・エドワーズ財団が、なんとアメリカン・レジェンドという歴史本を発刊し、史実の確認で物凄い追い風になりました。また、入手困難な香水については、アメリカに行く方、アメリカから来る方にお願いして収集しました。沢山の方がこのキャバレーを応援してくれたおかげで実現した事に、心より御礼申し上げます。
Chapter 1|Pre-war アメリカ合衆国誕生戦前まで
1 Number Six (1772/2018) / Caswell Massey アメリカをばい菌から守った独立の立役者
アメリカ最古の薬局、アメリカで創業した4番目に古い企業のキャスウェル・マッセイが作った最初の香水、ナンバーシックスです。キャスウェル・マッセイは、18世紀から4世紀続く、歴代の大統領に愛されたという鉄板ネタがあるアメリカ版アンデッドです。これは、2018年にオードパルファムとして再処方されたもので、よくあるヨーロッパ物のオーデコロンより胸板が厚くなっていて、クローブとローズマリーが効いてメンズ寄りです。日本でも代理店のダイショートレーディングが全国で販売しています。
独立前のアメリカはイギリスの植民地だったので、イギリスから沢山植民してきました。スコットランドから移住した医師のウイリアム・ハンターが1752年、ニューポートにハンター調剤薬局を開業したんですが、ハンター医師は薬局で客が薬を飲みやすいようにオレンジソーダを発明した人で知られています。当時の薬は水で飲めないくらいまずかった、水もまずかったという事ですね。
それで、開業から20年経った1772年、初めてのオーデコロン、ナンバーシックスを発売します。ハンター医師はイギリスから色々香料を輸入して、自分で約30種のボタニカルを調合してコロンにしたんですが、用途は医療用で、当時の水が不衛生だったので、洗顔用の除菌剤として開発されたんですよ。発売からほどなく独立戦争が始まって、初代大統領、ジョージ・ワシントンが、№6を箱買いしていたそうで、独立戦争で仲良くなったフランス人政治家、ラファイエットがアメリカに来た時も2ケースプレゼントしていたそうで、それってもう身だしなみ用途じゃなくて完全に命を守る除菌剤。アメリカをばい菌から守り、独立に大きく貢献しました。
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1840年に発売されたジョッキークラブ(左中央)はJ.F.ケネディ愛用品だった
しかし、独立戦争はアメリカ軍にフランスやスペインが支援した独立派と、イギリス軍にドイツとインディアンが加わった王立派の対立で、王立派が敗退したんですが、ハンター自身は王立派だったので、戦争終結後ニューポートにいられなくなり、調剤薬局の助手、ジョン・クインシー・アダムスが2代目オーナーになりました。アダムスはしっかり薬局を育て、19世紀にはホワイトハウスに納品するまでになりました。
この時点で、当時のオーナー、ジョン・ローズ・キャスウェルが、ニューヨークの実業家、ウィリアム・マッセイと協業し、1876年社名がキャスウェル・マッセイになりました。ここから大きく成長して、全米に店舗を拡大、歴代の大統領やセレブに愛用されましたが、権利は点々として、1989年にはタイガーバームで財を成した一族出身の、香港の富豪が買収しますが、安物路線に方向転換したら経営が悪化したものの、ディレクションに参加していた2代目オーナーの末裔、アン・ロビンソンが10年後の1999年に買収してブランドを立て直し、再度売却、2017年高級路線にリブランディングして現在に至ります(CEO:Nick Arauz)。
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★Column | 19世紀から20世紀前半のアメリカにおけるフランスブランドの進出
ところで、キャスウェル・マッセイがアメリカでその名をあげる何十年も前、アンデッドのリュバンが1830年、初めてアメリカへ香水を輸出し、数年後代理店も出来、1898年にはアメリカ支社も設立して、1930年代にはニュイドロンシャンが大ヒットします。リュバンに続き19世紀後半から20世紀半ばには、フランスの香水会社が多数アメリカ進出しますが、決定的だったのがシャネル№5で、1918年に終結した第一次世界大戦後、フランスに駐留していた若いアメリカ兵が、1921年発売で爆発的人気だったシャネル5番を、帰国土産に買い求めて帰国し、アメリカでもブレイクするきっかけになりました。そこで1924年、ユダヤ系実業家のヴァルタイマー兄弟がパルファム・シャネル設立、フランス国内のシャネルブティック以外での拡販となり、広告宣伝を開始します*。最初の販売拠点はニューヨークで、高級百貨店のボンウィット・テラー(2000年に倒産)で販売しましたが、当のフランス国内では1940年代まで広告宣伝を一切行わず、クチュリエとしてのシャネルがアメリカ進出したのも1931年だったので、アメリカに於いてシャネルは香水先行でした。キャロンはアメリカ向け商品として1927年にベロージアを発売。ジャン・パトウは、世界大恐慌をものともせず、1930年に発売してフランスで大ヒットしたジョイを引っ提げてアメリカ支社を設立、大成功しました。2次大戦終了後は、ルガリオンが、フランスで1936年の発売から大ヒットしていたソルティレージュを人気ジャズクラブ、ストーク・ジャズ・クラブの来場記念品としてばら撒いて拡販しました。
*フランスで初めてシャネルブティック以外で販売したのはギャラリーラファイエット、かつフランスでは1940年代まで広告宣伝を一切行わなかった。
次は、フランスの香水会社がガンガンアメリカを攻めていた1930年代、初めて国際的ヒットとなった香水が登場します。
2 Blue Grass (1934/1989) / Elizabeth Arden フランス人調香師がフランスで作ったアメリカの香り
エリザベス・アーデンとヘレナ・ルビンスタイン。どちらも戦前に創業した化粧品会社です。前者は日本撤退していますがクルジャンが調香したグリーンティー(1999)を出したメーカーといえば記憶に新しいですね。後者は近年はマスカラが大ヒットしたデパコスブランドとして、現在の日本でも健在です。名前からわかるように、創業者は2人とも女性ですが、共通点が沢山あって、①どちらも実家が貧乏で、エリザベス・アーデンはカナダの貧農出身、ヘレナ・ルビンスタインはポーランドのゲットー出身。どちらもニューヨークで一攫千金の夢を抱いて、実際に巨万の富を得ました。②そしてふたりとも白衣を着て、皮膚科学に基づいた化粧品を売っていましたが、実際はエセ科学との評価もあり、雰囲気上等で女性の肌を磨いてきました。③二人は生涯の苛烈なライバルで、客の取り合いは勿論、商品のパクり合い、スタッフの取り合い、果てはアーデンの別れた旦那をルビンスタインが雇い入れるなど、それはもう仁義なき戦いでした。④最後に、2人とも超長生きで、アーデンは87歳(1878.12.31-1966.10.18)、ルビンスタインは92歳(1872.12.25-1965.4.1)でどちらも1960年代半ばに亡くなりました。
エリザベス・アーデンは1910年、31歳の時に別の美容家と共同経営していたサロンを、お兄さんに6,000ドル、現在の日本円で約3,000万円借金して買収し、美容家を追い出して瞬く間に人気店に育て上げ、4か月で借金完済。破竹の勢いで業務拡大した、次なる目標は海外進出。これもすごい手を使って、妹をフランスに送り込み、高級デパート、ギャラリー・ラファイエットやプランタンのバイヤーをたらしこみ、遂には1919年初の海外工場をフランスに竣工します。1930年までには世界を掌握し「当時世界中どこでも見かける看板は、①シンガーミシン②コカ・コーラ③エリザベス・アーデン だった(エリザベス・アーデン談)」だったそうです。
1929年に起こった世界恐慌の頃が、エリザベス・アーデンが最高益を挙げた時代ですが、結婚生活がうまくいかなくなったのと引き換えに競走馬にのめりこみ、次々に競走馬を買って、大金をつぎ込むようになり、馬が好きすぎて仕事をやめようと思う迄になりました。当時アーデンはフランスからの輸入香水と、自社製造の香水を販売していましたが、1926年に創業したグラースの香水会社、フラゴナールがアーデンに「うちで香水を作りませんか?」と売り込みをかけてきたので、1933年グラースを訪問し、色々サンプルを試す中、ひとつ大変気に入ったものに、馬で有名なケンタッキー州の別名である「ブルーグラス」と、グラースに敬意を表して香水名を「ブルーグラス」と名付け販売決定、アメリカ香水史上、国内だけでなく国際的に成功した初めての香水となりました。
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ブルーグラスを作ったのは、なんと1930年に、ジャン・パトゥでジョイを作ったアンリ・アルメラスなんですよ。なんかアメリカのエリザベス・アーデンとフランスのジャン・パトゥが調香師でつながるって想定外じゃないですか?しかも製造元がグラースのお土産香水フラゴナール、何このトライアングル。これは、1933年までパトゥの専属だったアルメラスが、フラゴナールに転職し、処方を会社に販売していたんですが、アルメラスがパトゥに作った1929年のモマン・スプレームが本人の自信作だったので、フラゴナールにもほぼ同じ処方を出したわけです。いいんですかね?転職した先で、前職の処方を使いまわしって。でも、今でも巨大ヒットを手掛けた同じ調香師が、別ブランドで予算控えめなクリソツ香水を堂々出してますよね、Zaraとかで。香りとしては、どうですかね?多少ハーバル要素もある、戦前の重たいフローラルアルデヒド系*って感じですけど、当時はこれが爽快感溢れるフローラル枠だったそうです。ラベンダー、ゼラニウム、クローブ、スパイスって爽快というよりヘヴィな印象がありますけど、当時流行していたフランス香水はどこか悪い女の香りみたいにアメリカ女性は感じたそうで、その点ハーバルな要素を前面に出して「まじめに生きてます」感を演出して、結果大ヒットしました。まあ、アメリカ香水だけど世界で当たったって、ある意味当たり前というか、何故ならフランス人調香師が作ったストック香水を選んで製品化したわけで、アーデンはディレクションらしいディレクションはしていないので、当時アメリカでもまだ流行の主流はフランス香水で、アメリカから生まれた香りというよりは「アメリカの会社から出たフランス香水が、企業努力で世界的にヒットした成功例」と解釈した方がいいのかな?と思います。
ブルーグラスは、1930年代から1960年代まで多くの女性がシグニチャーにしていた、長い期間アメリカを代表する女性の香りで、1970年代初頭でも、女性はブルーグラス、男性は次に紹介するオールドスパイスの香りがしたそうです(アニー・ブザンティアン談)。その後は一旦廃番になった後、1989年にEDPで再発しましたが、多分、1970年代に20代だったおばあちゃんが買い続けるので、まだ生産をやめないんだと思いますが、定価が100mlで47ドルのところ、実売価格は半額以下で、懐寒い全米のおばあちゃんは大喜びです。
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*当時の香水は既に香りとしてだいたい完成しているベースにトッピングしたり、ベースとベースを合わせたりして作るのが主流で、ブルーグラスはフィルメニッヒのメリスフロール(Melysflor)というミントとナツメグのブレンドっぽいベース(クマリン、オイゲノール、サリチレートのスパイシーなフローラルベース)に、ジャスミン231というラベンダーのトップノートとバニリンのベースノートを持つジャスミンのベースで1/2から3/4はベースで出来ていて、それにトッピングして仕上げています。
3 Old Spice (1938) / Shulton 全米男性マストハブ、人口増加はオールドスパイスのおかげ
今回唯一登場する男性用になります。ムエットはオーデコロンですが、アフターシェーブローションが主流です。アフターシェーブをつける目的は、髭剃り後の感染予防で、肌からばい菌が入らないようにアルコール度数の高いものをつけるんですが、アメリカでは床屋で髭剃り後ラム酒で除菌していて、1906年にエチルアルコールの税法が変わり、1917年に登場したアクア・ヴェルヴァが近代アフターシェーブの先駆けと言われています。ただしこの頃のアフターシェーブはあくまで衛生用品で、とくに香料とかはいってなくて、アフターシェーブが香り付きになったのは1930年代からで、オールドスパイスは初の社会現象となった香り付きアフターシェーブ*です。
投資に失敗した上世界大恐慌で一文無しになって、再起を図ったウィリアム・シュルツという人が、粗品用せっけんのOEM製造を行うシュルトンを立ち上げ、そこそこうまくいったので、事業拡大で女性用グルーミングライン、アーリーアメリカン・オールドスパイスというシリーズを1937年に発売しました。その1年後、名前も適当に「オールドスパイス」と短縮し、アーリーアメリカン・オールドスパイスの香りを適当にシトラス多めにアレンジした、アフターシェーブや石鹸などのメンズラインを発売したら、これがまさかの鬼ヒット、シュルトン社はオールドスパイスを出した1938年で売上が前年の10倍になり、その翌年には4倍、つまり2年で売上が40倍になりました。
*アフターシェーブの賦香率はだいたい2%、オーデコロンが5%位で、これの半分以下で顔にもつける、というイメージです。
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オリジナルが女性物だっただけあって、フローラル強めですよね?アーリーアメリカン・オールドスパイスが、当時のアメリカの家庭で愛されていた、クローブとローズにハーブを入れたポプリの香りをイメージして作られて、オールドスパイスはそれのシトラスましましなんですが、シトラスがおうちにあるレモンとオレンジで、ヨーロッパ流のベルガモットじゃないところがアメリカンプライドです。クローブの香り成分であるオイゲノールも、カーネーションの香りですし、案外めちゃくちゃマッチョじゃないし、家庭の香りの延長だったのが、当時の保守的なアメリカ男性にもすんなり受け入れられて、爆発的なヒットになりました。オールドスパイスも先ほどのブルーグラスと同じく「ラベンダー、ゼラニウム、クローブ、スパイス」がキーノートで、戦前の流行だったんだと思います。女性でも全然楽しめる香調で、グルーミングラインだけあって、ああいい風呂入った感の演出で、ベースがパウダリーなんですよ。
ちなみにシュルトン社は1990年にP&Gが買収して、現在はボディウォッシュやデオドラントが主力商品ですが、アフターシェーブも健在で、オーデコロンもあまり出回ってないですが、探せば手に入ります。90年近く全米の男性が使ってきた、という自信が、キャッチフレーズに込められていて、今売っているパッケージには「君のおじいさんが、この香りをつけていなかったら、君は生まれてこなかったんだぜ」って書いてあるのが、そう言ってる誰かがニヤッとしている感じが伝わって来て大好きです。
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4 White Shoulders (1943) / Evyan WASPと戦勝国の香り
アメリカはアングロサクソン系プロテスタントの白人、つまりWASP(White Anglo-Saxon Protestant)が築いた国ですが、ホワイトショルダー、名前からして白人偏重の香りです。香りの名前も、創業者の奥さんがいつもパーティとかで肩がガーっと空いたドレスを着ていて、客に「あんな白くてきれいな肩の女性は見た事がない」と褒められたからつけられたんですよ。今じゃ絶対そんなコンセプトで商品化できませんよね。作ったのは、ドイツで化学を学んで1920年代にアメリカへ移住したオーストリア貴族、ヴァルター・ランガー男爵が、ポロの試合で知り合ったイギリス人貴族女性、レディ・ダイアン・イヴリン・ウェスタル、通称エヴィアンと結婚して、奥さんをイメージした香りを作ったのがホワイトショルダーなんですが、調香は旦那が奥さんの好きなホワイトフラワーを中心に作り、自分のカメオが浮き彫りになったボトルデザインは奥さん、と完全自分たちの世界に入り込んでいます。
ただこのふたり、どちらもアメリカ人じゃないので、アメリカには住んでいるけどトレンドはわからないから、販路限定で、いい物をわかる人にだけ売ることにしました。貴族だけにスーパー殿様商売。しかも発売年が1943年ってバリバリ戦争末期ですよね。こんな時代に新作香水、ここが空襲もなかった戦勝国の余裕です。しかも、アメリカでは1943年からフランスからの輸入制限がはじまり、国産品が優位になって、これも販売の追い風になりました。そして、第二次大戦後、ヨーロッパに出征していた若い男性たちが、香水をお土産にどんどん帰って来て、結果アメリカ香水も活気づいて、ホワイトショルダーは1940年代に登場した新作としては最も売れた香水となりました。ただし過去作を含めると、依然ブルーグラスがぶっちぎりだったそうです。ちなみに、当時の女性物香水を買うのは殆ど男性で、女性にとって香水はぜいたく品で、自分で買うのではなく、誕生日とかクリスマスに男性から贈り物としてもらって、タンスにしまって土曜の夜だけ使うものだったんですよ。だから、自分の好みというよりは、自動的に買ってくれる人の好み、または流行り物になってくる。かなり保守的な時代でした。この価値観が戦後にも大きく響いてくるので、ちょっと覚えておいてください。
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香りとしては、チュベローズ勝りのホワイトフローラルで、今となってはかなり時代がかったチープ感が漂います。「おかあさんといっしょ」というよりは「おばあちゃんといっしょ」それも私世代のおばあちゃんなので、ひいおばあちゃん級。ブルーグラスの方がまだ現代との接点がありそうです。これ現行品のオーデコロンなんですけど、元々はこんなにさっぱりしてなくて、15年位前まではパルファムも売っていて、小さくてどっかにいっちゃったんですが、記憶としては脂っぽいチュベローズという感じでした。バリバリ合成香料で出来ていて、メイン香料は合成ムスクとシッフ塩基というホワイトフローラル系合成香料*で、どちらも常識を外れた過積載。調香技術的にはかなり珍芸だったそうで、本来なら合わせると崩壊してしまう処方なのが、かろうじてバランスを保っていて、肌に乗せると不思議にいい香りになる革新的な作風は、評論筋には「アメリカのエドモンド・ルドニツカ」と呼ばれているそうです。聞いたことないですけどね。
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*今でも現役のシッフ塩基(Schiff Base、Methyl Anthranilate Schiffs Base)という、製品名としてはジボダンのオーランティオール(Aurantiol)という、オレンジブロッサム系の香りがする合成のホワイトフローラルベースに、アルデヒドC-18というココナッツ様の合成香料を足すとチュベローズの香りになり、そこに大環状ムスク(Macrocyclic Musks)という当時出始めの合成ムスクと、天然には存在しないフローラル系ムスク香料、エチレンブラシレートを合わせています。
参照:
Perfumers World https://www.perfumersworld.com/index.php
空間宝貝 http://park12.wakwak.com/~alchemist/aromadic.html
次は、第2章の戦後エスティローダー帝国に入ります。
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