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Cabaret LPT vol.17 : Chapter 3|Drugstore Classics

14 Skin Musk (circa 1970s) / Bonne Belle - Parfums de Coeur スキンムスク

ボンヌベルは、リップスマッカーという香り付きリップクリームで一世を風靡したチープコスメメーカーですが、創業は1927年と古く、クリーブランドで若い女性向け化粧品を製造していましたが、戦後はアウトドアコスメに転換し、日焼け止めやリップクリームで拡販し、1970年代からはマラソン大会のスポンサーをするなどスポーティなイメージで売っていました。しかし21世紀に入り、同じくチープコスメメーカーで、ボディミストやデオドラントを出すパルファムデクールに買収されました。同社はボディファンタジーという香水未満のボディミストやデオドラントで有名なチープコスメ会社ですが、スキンムスクは親会社が変わっても廃番にならないロングセラーです。

スキンムスク 左:パフュームオイル15ml、右:オーデコロン60ml 現行品

オーデコロンとパフュームオイルがあって、どちらも15ドルくらいで買えるので、中学生や高校生でもお小遣いで買えるうえ、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん世代もみんなで使えて、お母さんのを子供がいたずらしてつけても全然OK、みたいな何も考えないでよい安心感。ハレとケならケの香りです。いつでも売ってるけど、なくなったら一大事。親会社が変わった時、廃番になっては困るといって、女優のサラ・ジェシカ・パーカーが買い占めたことで有名になりました。この女優さん、自分名義のセレブ香水を何個も出している人ですよね?自分の香りよりスキンムスクのほうが大事。そこまで愛されている、ネオソフトとか石井のハンバーグとか、どこのスーパーでも売っている、ロングセラーの加工食品みたいです。
何の変哲もない、やわらかくて清潔感のあるパウダリーなムスクですが、この時代に出てきたジョーバンとアリサアシュレイの2大ムスクと決定的に違うのは、なんとなく恥ずかしがりやさんの雰囲気が漂うところで、脊髄反射でセックスアピールとつなげない、オラオラしてないところでしょうか。この手の安いムスク系はユニセックスで使えるのが売りだったので、昔の広告では必ず若い男女が密着していますが、それでも香りが大人しめなので、たいした騒ぎにもならなそうです。

15 Tea Rose (1972) / The Perfumer’s workshop   ティーローズ アニー・ブザンティアンのデビュー作

ティーローズ、ジェントルマンコーナー(上)で紹介しました。これも50年以上のロングセラーです。バナー画像はパフューマーズ・ワークショップ公式サイトのトップ画面からお借りした、EDP版ティーローズのボトルですが、現在は廃番みたいで、現行品はEDT一択です。男性の愛用者も多い、シンプルな、青みがかったローズのシングルノートですね。ほぼ合成香料ダマスコンでできています
前半のアロマティクス・エリクシールの時に話しましたが、60年代後半から1970年代にかけて、マリファナを売ってるヘッドショップでは、エッセンシャルオイルも売っていて、若者がそれを買って自分でオリジナルフレグランスを作るのが大流行していたんですけど、ハッパ屋のエッセンシャルオイルは質が悪くてすぐ香りも飛んでしまうので、エッセンシャルオイルをヒッピーアイテムからデパートの店頭でも売れるよう、ドナルドとガンのバクナー夫妻が、ニュメロ・サンク(1925)で知られるモリニューの甥で、アメリカで事業をしていたハワード・モリニューをコンサルタントに、フィルメニッヒのレオン・ハーディ*を調香師に迎え、香料を64種類そろえて、ワークショップ形式でカウンセリングしながら誰でも調香師になれる!みたいにブレンドして売っていた、パフューマーズ・ワークショップという香水会社の、パフュームオイルのひとつだったのがティーローズだったんですよ。
1967年に、ブルガリアンローズのアブソリュートから香気成分、ダマスコンが発見されて、その5年後、1972年にフィルメニッヒが製品化して(αダマスコンから、異性体イソダマスコンの合成に成功)、パフューマーズワークショップのオイルを調香したレオン・ハーディ(1953年、エルネスト・シフタンとプリンス・マチャベリのウインドソング調香)がダマスコンをオイルベースに入れたら、とてもナチュラルでふくよかなローズオイルができたので、そのままティーローズと名付けました。通常、ダマスコンが0.1%でもはいると印象がだいぶ変わるところ、ティーローズにはダマスコンが15%まで過積載されていたそうで、つまり強烈な、バラの香りの味の素。これがティーローズの原型となったパフュームオイルです。

ティーローズ EDC 120ml 現行品

ワークショップはティーローズの登場後どんどん人気が出て、まだアメリカ香水が本格的にフランスでも天下を取る前、パリのプランタンやギャラリー・ラファイエットからもお声がかかって、オイル版ティーローズを主力にパリでも大成功しました。ところが、その後オイルショックでほとんどのデパートでカウンセリング販売が契約終了してしまい、1975年末、ワークショップはやめて、ティーローズ一本で、それもアルコールベースの香水に仕上げて販売することになったんですが、調香師のレオン・ハーディがその前年に他界していたため、呼ばれてきたのが当時フィルメニッヒの新人で、のちにエスティローダーのプレジャーズや、LPT的にはピュアディスタンスのワン、アントニア、オパルドゥを手掛けたアニー・ブザンティアンが呼ばれて、パフュームオイルをオードトワレに処方変更する担当になりました。原型を作った人はなくなっているし、ただアルコールで薄めただけではかなり粗い香りになってしまうので、オイルと同じような香り立ちになるように、試作に試作を重ねて、カーネーション系合成香料と、グリーンさを出すためにバイオレットリーフを加えて整えたところ、すっきりと、力強いバラの香りが完成し、1976年にオードトワレが製品化したら、大ヒットして2年半で売上が10倍、年商300万ドルまで成長したんですが、ここからバクナー夫妻が欲をかいて、もっと売ろうと販路を拡大、ディスカウントショップにまでおろすようになって、結果安物香水として認知をさげてしまいました。チープコスメは、セレブが愛用するというギャップ萌えで評価があがる特徴がありますが、ティーローズの愛用者は①グレース王妃②ダイアナ妃③カトリーヌ・ドヌーヴ④ニコール・キッドマン…と、王族貴族大スター。錚々たるメンバーです。最後の二人はシャネルの5番のミューズを務めた人ですよね?ただティーローズは、もともとピエール・ディナンがデザインしたボトルに収まっていたり、デパートでちゃんと販売されていて、ドラッグストアの安物香水ではなかったのに、メーカーが安売りにかじ取りを変えた結果、定価らしい定価がなくなるほどどこでもディープディスカウントされています。せっかくアニーさんが頑張ったのに、残念です。

*レオン・ハーディ(1905-1975):フィルメニッヒUSAの重鎮調香師として長きにわたり活躍した。代表作ウィンドソング(プリンス・マチャベリ、1953)はIFFエルネスト・シフタンとの共同調香。逝去時には当時のニューヨークタイムズ訃報欄にも掲載された。

それでは、チャプター4に進みます。21世紀のアメリカン・インディブランドの紹介、なづけて「中二病の学芸会」です。


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