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Cabaret LPT vol.17 : Chapter 2|Post War / Estee Lauder Empire 1
5 Youth Dew (1953) これが本当の「香りの民主化」 若さの露
エスティ・ローダー夫人とは
2000年にフレデリック・マルがエディションド・パルファン、フレデリック・マルを創業して、だれが調香したか、作品名に調香師の名前が入った香水が販売されるようになり、ニッチフレグランスが台頭してきた21世紀は、調香師の情報開示が進み、今では「調香師しばり」の香水特集も出てきましたが、調香師は職人側の存在で、名前が出ていたとしても実は弟子やスタッフが作っているとか、今でも縁の下の力持ちが殆どです。エスティローダーに至っては日本は完全な情報不足、かつ香水会社のイメージ操作もあって、昔の日本の香水記事にはたいがい「エスティローダーの香水はすべて、女性調香師として世界一級とされているエスティ・ローダー夫人自身が制作したものです」と書かれていて、ディレクションという意味では合っていますが、調香は調香師が手掛けています。
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ではエスティ・ローダーとはどういう人だったかというと、①ハンガリー系ユダヤ人で②貧乏な家庭からのし上がって③家族経営で巨万の富を得てアメリカの政治にも食い込み④20世紀をほぼフルカバーし、2004年、95歳まで生きて⑤アメリカ女性の意識を変え、アメリカ香水の実力を世界に認めさせた人、です。70代まで現役でディレクションを行い、その後は長男(Leonard Lauder、92歳)やその嫁が牽引(Evelyn Lauder、2011没)、次男(Ronald Lauder、81歳)は世界ユダヤ人会議の会長、現在は3代目(William P. Lauder、レナード・ローダー長男、65歳)が会長を務める同族企業がエスティローダーカンパニーズです。残念ながら昨年業績が著しく悪化して、つい先週従業員7,000人削減というニュースが飛び込んできて、エスティローダー帝国に大いなる陰りが見えています。
世界企業エスティーローダー誕生
エスティ・ローダー自身はユダヤ移民2世で、ひと世代前のエリザベス・アーデンやヘレナ・ルビンスタインのように移民1世ではないのですが、高校生の時にハンガリーから移住してきた母親の弟、ジョン・ショルツ博士が起業して作ったクリームを美容院に売り込んで、最初の顧客を獲得。1939年にはのちの世界的香料会社、IFF(International Flavours &Fragrances)になる香料会社、ファン・アメリンヘン・ヘブラー社長、アーノルド・ファン・アメリンヘンと知り合い、フランスのナチ侵攻でアメリカへ逃げてきてアメリンヘンで働いていた調香師、エルネスト・シフタン(この人は自作でのヒット作はデッチマやルドジバンシィなど少ないが、後続の調香師を多数輩出した素晴らしい指導者だった。後述)ともつながり、旦那を事業に巻き込んで、1946年自分の名前を社名にしてエスティローダー社(Estee Lauder inc.)を創業します。最初はスキンケアアイテム4品でスタートしましたが、創業時すでに香水を作る環境は整っていて、しかもシフタン率いるIFFは、当時のアメリカで最強のタッグです。IFFとエルネスト・シフタンは、これからたくさんでてきますので、覚えておいてください。
ほんとうの「香りの民主化」
事業が軌道に乗って、1951年にエストダームというトータル美容シリーズの一つとして、香り付きバスオイル、エストダーム・ユースデューを発売します。発売当時はユースデューは香りの名前ではなくバスオイルを意味する商品名扱いだったんですよ。どうしてそんな回りくどい売り方をしたのかというと、当時のアメリカ女性にとって、香水は旦那や彼氏に記念日に買ってもらうもので、自分で買うなど「そんな贅沢な事はできない」というのが普通の女性の意識だったんですよ。旦那とか彼氏がいない人が自分で香水を買うなんて、後ろめたいもいいところ。また1950年代のアメリカは、働きに出る女性が殆どいない時代で、買い物にはいつも罪悪感が付きまとっていました。
アメリカの女性、当時の女性は実はとても保守的で、日本以上に専業主婦になって家庭を守るのが当たり前でした。時代物のアメリカが舞台の映画とか見ると、結構お堅くて、生きづらそう。お財布もご主人が管理する事が多く、金銭的な自由度が低いので、これは現代のアメリカでも「香水を買えるおうちは余裕のある家」には変わりがないですが、香水は贅沢品で自分から手を出してはいけない、と考える女性が多かったのです。
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そんな世論を熟知したローダー夫人が
①「バスオイルだったら日用品だから買えるわよね?あなたが今買うのは、ユースデューだから」と、化粧品を買いに来た女性のついで買いに勧めました。
②しかも1953年の発売当時、バスオイルが一番小さい1/2オンスで$3.75(1953年当時の広告や現在出回っているヴィンテージボトルを見ると最初から3サイズ展開で1/2オンス3.75、1オンス6.5、2オンス12.5ドル)、当時のラグジュアリーな香水としては格安の価格設定でした。
③さらに、デパートの店頭で初めて香水のテスターを置いたのはエスティローダーで、フランスからの輸入品ががぜん強かった香水は、シュリンク包装で輸入され、香水会社もテスターを無償提供しないので、仕入れた売り物をテスターとして自腹でおろすのにすごい抵抗があったんですが「テスターがなきゃわからないじゃない!」とどんどんテスターを店頭に置いたら爆発的にヒットしました。まあ、自社製品ならではだと思いますけど。
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1959年頃にはオードパルファムやオーデコロン、コロンより軽いスキンパフュームや、豊富なバスラインが揃い、香りのトータルコーディネートができるようになり、その頃には女性の意識も変わって、女性が自分の為の香水を自分で買えるようになりました。香水はぜいたく品、だったらバスオイルを使えばよい、手の届きやすい価格で香りも長持ちする。香水はぜいたく品ではない、日常を彩る素敵な日用品へとローダー夫人が雲の上から地面へおろしてきた。 これが、ほんとうの「香りの民主化」だと思います。
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Youth Dew (1953)
ユースデューを調香したのは、ジョセフィーヌ・カタパノというIFFの女性調香師で、この方聞いたことあります?そう、1964年に資生堂の禅を作った方です。他にもギ・ラロッシュのフィジー(1966)、ノレル(1968)など、60年代後半、高度成長期を牽引したヒット作を手掛けました。エスティローダーではほかにシナバー(1978)を調香しています。
香りとしては一言でいって「クラフトコーラ」 。1950年当時の美味しい香りで、オリエンタルスパイシー、クローブやシナモンの中にふんわり王道のフローラルがいて、後半肌になじむと「いい肌の香り」になります。とにかく拡散力と香り持ちを念頭に置いて作ったそうで、戦前アメリカで人気のあった、ダナのタブーやミルヒヤのマハの系統を踏襲しています。ムエットはバスオイルで、かなり深い香りですよね。現行品のオードパルファムは体感がとても薄くて、アンバー系の香りなのに、あまり持続もしない。70年以上の時を経て、どんどん水っぽく変わっていったのでは。でも薄くしたからと言って、時代に合うわけではないですよね。現在も60ml前後のバスオイルとオードパルファムが50ドルなので、ローダー製品の中でも値頃な価格を維持していますが、 今の若い世代はマニア以外絶対ユースデュー使わないと思うんで、この価格は懐が寒い全米のおばあちゃん対応なのかもしれません。
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あとアメリカのエスティローダーで今ユースデューがラデュレとコラボしていて、可愛いパッケージでEDPとボディローションのコフレを出しているんですけど、購入者コメントが1個だけ、しかも★ひとつ。お客様が物凄くお怒りで「自分で初めて買った香水だったけど、本当にがっかりした。おばあちゃん向けだって書いてないから、間違って買っちゃったじゃないか!!」という振り上げた拳の降ろしどころのないコメントで、ああ、パケ買いしたんだな…と胸が痛みました。
発売当時、3.75ドルで何が買えるか、例えば「手頃な価格帯のレストランのランチセット」が1.5から2ドルだったようで、それを考えると昼ごはん2回分で買えるバスオイルってかなり攻めた価格だったと思います。現在の物価で考えても、バスオイル60mlとEDP67mlがいずれも$50で、マックの朝マックメニューで日本と全く同じものがある、エッグマックマフィン、ハッシュブラウン、プレミアムコーヒーのセットが$8.91、約1,400円位なんですけど、朝マック5-6回食べたらユースデュー、と考えると、今のアメリカの物価で考えても凄い良心的だと思います。ちなみに同じ朝マックは、日本だと460円で、アメリカは物価3倍。貧しくなりました。日本の物価感覚だとユースデューは1本2,860円(税込)ってところですかね、なんか資生堂の戦後昭和の国産香水で、今でも売ってる禅のオーデコロンが2,200円みたいな感覚ですね。
※American Legendsのユースデューの章は、面白すぎて泡吹きそうだった。この章だけ全文翻訳をLPTで掲載したいくらい。いつかやります
次は、1960年代から70年代初頭に発売した3作をご紹介します。