HADOという、お仕事
平素より、HADOをご愛顧いただきありがとうございます。
ろぜです。
この記事は、 #HADO Advent Calendar 2023 20日目の記事です…って、これ書かなくていいんだっけ?
記事を書くにあたりこのような機会を下さった響さん、そして前任の企画者さんたちに感謝申し上げます。
HADOに携わるお仕事をしています
ご存知の方も多いと思いますが、約1年前からHADOを作っている株式会社meleapにてお仕事をさせて頂いております。きちんと報告とかしてなかったので、今知ったという仲良い選手の方はびっくりしてください。ちなみに僕が選手だったということを知らなかった方は、ちょっとだけびっくりしてください。
2022年に入社してから今年で2年目になりました!新卒で入社した僕にとってはもちろん人生で初めての「会社」ですし、人生で初めての「お仕事」です。まぁもちろんアルバイトなどもお仕事であることに変わりはないのですが、やはり与えられる仕事も勝手も責任感もまるっきり違いました。
何してる人?
やっていることとしては主にHADOアイドルウォーズやAKB48天下一HADO会シリーズ、そしてHADO Actors CUPなどHADOを扱う番組の制作を主に担当しています。HADOアカデミーと呼ばれる習い事のインストラクターをしていた経験を生かして体験会や強化企画のお手伝いをさせていただいたり、メディアに出させていただくこともしばしば。ちなみに今年、ハンドルネームで出演させていただいたテレビ番組が親戚一同で食事をしている最中に流れたらしく親戚じゅうに「ろぜ」というハンドルネームがバレるという前代未聞の事件が起きました!やったね!
その他にも公式大会と呼ばれる競技大会の運営を行ったり、現場で審判をしたりなどかなり多岐にわたります。最近「主審のろぜ」まで一括りにして呼ばれることが多いです。誰のせいだろうな….
実は…
時々勘違いされがちなのですが、実は店舗やHADO ARENAに関してのことはほとんどわかりません(笑)
もちろん店舗の受付に立っている時もありますし、レジを操作したりデバイスをいじったりするところをよく見かけると思います。当たり前ですが仕事にはその仕事を任されている人がいて、その人の責任があります。「やってあげたいな!」と思っても、やり方はわかっていても、勝手にやってはいけないことや力になってあげられないこともあります(泣)
ご意見や要望はもちろん聞きますしちゃんと伝えますが、どうしても直接伝える方が早いし齟齬もないのでおすすめです。
HADOに関わることなら全部やってやるぞ!という意気込みはあるのですが、それだけでうまくいくような簡単なものじゃないのがお仕事なんですね。むずかし。
「何でお前はそんなにHADOが好きなんだ?」
僕はHADOが死ぬほど大好きらしいです。
ある時、オフィスで仕事をしていると社長から「何でお前はそんなにHADOが好きなんだ?」と問いかけられたことがあります。
かなり回答に困ったのですが、これは入社してから自分の中で常に問い続けているテーマでもあります。自分でも不思議なくらいなのですが、問いかけ続けている間に答えが見つかってきましたし何なら日々増え続けています。
まあ確かに休みの日にチーム練の助っ人やガチに参加したくてお台場に来ちゃうし、なぜか仕事で朝から入っているアイドルウォーズのチケット買っちゃうし、HADOグッズは何でもお金出して買っちゃうし。。。
その度に、自分に問いかけます。
「何でお前はそんなにHADOが好きなんだ?
ひとつめの答え
ひとつめの答えは、「居場所があるから」です。
僕がHADOと出会ったのは2018年の1月くらい。大学受験を終え、熱中していたとある趣味から離れてやることのなかった僕に「一緒に波動拳を撃たないか?」と誘ってくれたのがHADO公認チーム『和心』リーダーのとぅるん氏でした。
とぅるん氏に誘われるがままHADOの世界に足を踏み入れ、まんまと沼にハマって行きました。当時はプレイ人口も今より格段に少なく3on3の対戦をするのも難しかったため、1on1で彼にボコボコにされるたびに「二度とHADOをやってやるものか」と思っていましたが次第に成長を感じる様になりました。さらに『和心』というチームで活動することとなり、それ以前にとぅるん氏を通じて仲の良かったへしこ選手、津軽三味線健太郎君選手、とぅるん氏の友人であるD.U選手とともに活動していくことになります。出会ったのが2014年ですから、10年近くお世話になっていると考えると感慨深いものがありますね。
あとから知ったんですが、僕以外のメンバーは2017年のWORLD CUP予選に出場していたらしく、ちょっと遅れてHADOを始めた感じだったらしいです。じゃあ和心の1.5期生ってこと!?
みんなでHADOの練習をするために集まり、みんなでご飯を食べ、みんなで作戦会議をして大会に出場し、みんなで喜びも悔しさも全部分かち合う。そんな時間が死ぬほど幸せで、びっくりするくらい心地良かったです。HADO以外のことを考える暇もないくらいずーっと熱中していました。
今だからこそ明確に言語化できますが、HADOが僕の居場所になっていました。HADOをすれば友人に会えるし、知らない人とも仲良くなれる。練習がない日も次にHADOをするのはいつかなと考えるような毎日が楽しくてたまらなかったです。そのくらい熱中できるコンテンツであることは、僕自身の経験による裏付けからも自信を持ってお伝えしたいと思います。
ふたつめの答え
ふたつめの答えは、「夢が見つかったから」です。
僕は人生で一度も夢を持ったことがありませんでした。幼少期にはどうしても夢を言葉にしなければいけない機会というのが訪れますが、「ありません」などと書くことは当然ながらマイノリティ。特に幼少期の集団においては好まれるわけがありません。
強いて言うなれば「プリキュアになりたい」と思ったことは何度かあります。夢が難しかったらなりたいものでいいよ、と言ってくれた優しい大人の言葉はありがたい限りなのですが、残念あがら小学生男子の夢としてふさわしくないだろう、という大人の判断が下されてしまいました。ぐぬぬ。
今でこそ好きなものを好きと堂々と言える時代になりましたが、それでも風当たりが強い部分があるのも事実です。でも好きでいることをやめなければ、好きと伝え続けていれば、いずれ受け入れられる時が来ます。受け入れてくれる存在が現れます。
2020年12月、HADOと出会ってから2年と少し。
当時日本ランキング1位のチームリーダーであった僕のもとに舞い込んだのは、とあるアイドルグループのコーチをするお仕事でした。
緊張しすぎて朝から何も食べずに訪れた当時のアリーナ。ゼリー飲料でさえ味のしないエレベーター。「通用口から入りました?」という連絡も、手が震えすぎて誤字だらけ。
目の前にいたのは、憧れのアイドル。
昨年のプリキュアの主人公。
大好きなアイカツスターズの歌唱担当。
HADOを始めるずっと前から、追いかけていたアイドル。
そんな状況の中、何とか無事にコーチとしての役目を終えました。
好きなんです!と伝える隙など、もちろんありません。それくらい真剣にHADOに取り組むメンバーさんに対して失礼があってはならないと、必死にいま自分にできること、やらなければならないことをやり切った3時間でした。心地良い疲労と、安堵感から訪れる空腹を感じ、ようやく正気に戻りました。
マネージャーさん、スタッフさん、そしてメンバーさんのご好意によりその気持ちは伝わりました。今でも感謝しかありませんし、辛くなったときはあの時の気持ちを思い出せば何でも乗り越えられます。当時、選手としての活動がスランプだった僕はHADOが嫌いで引退しようとまで考えていました。ですがこの時初めて「HADOをやっててよかった」と心の底から思いました。これ以降、HADOが嫌いだと思ったことは一度もありません。オタクって怖いね〜
このとき、僕の中に夢の輪郭がぼんやりとできはじめていました。明確に言葉にはできなかったのですが、この気持ちをたくさんの人に感じてほしい、と思うのが精一杯でした。
「夢と、夢の続き」
ふしぎな出会い
結局2020年末でHADO選手としての活動は引退してしまったわけなのですが、こうなると本末転倒。趣味がなくなってしまいます。居場所だと感じていたHADOから離れる決意をしたのは、「もう一度後悔しないように好きなものを追いかけてみよう」と感じたからです。
HADOと出会う前に熱中していた「アイドルオタク」という趣味に再び出会うことになろうとは、HADOを始めた頃には微塵も思っていませんでした。
戻る気もありませんでした。今思えば、意地を張っていただけでした。好きだったメンバーの相次ぐ卒業に耐えられませんでした。グループのことも嫌いになりかける寸前でした。嫌いになるくらいなら、距離を置いてしまえばいいと感じて逃げました。
だけども、こうして出会ったのも何かのご縁。チケットを買い、4年ぶりの現場へ。
そこで見たのは新メンバーの加入発表。4年前に好きだったメンバーと同姓同名、不思議なこともあるもんだなと思っていたら何と同じ人物!さすがにびっくりしすぎてその日の記憶が本当にないんですけど、どうやら午後の用事を体調不良と称して飛ばし当日券で2部に入場していたらしいです。最低の人間。
そんなことが起こったもんだからもう大変。2021年から第2のオタク人生がスタートしてしまいました。やはり何かに夢中になることはいいですね。HADOをやめる前の趣味に、HADOをやめたおかげで戻るという何とも不思議な展開。僕の人生これでいいのか?と思ったことは幸いながらほとんどなく、夢中で楽しい時間でした。
そしてちょうどこの時期から、少しずつHADOをお仕事として取り組むようになりました。選手として培ったノウハウを生かしつつ、また違った視点からHADOに携われる喜びを感じていました。そしてこのあたりで夢の輪郭が徐々に形になってきます。
「このグループを、HADOの番組に呼びたい」
少しずつ、具体的な言葉が出てくるようになりました。
ふしぎな別れ
僕をオタクに戻してくれたアイドルは、翌年にグループを卒業しました。
ほんの一瞬でした。後悔しないようにと誓っていても取り戻せないくらい短かったです。HADOをしていなければ、あのとき離れていなければもっと…と何度も何度も考えましたが、幸か不幸かHADOをしていなければもう一度出会えることもなかったし、この場に立っている自分も存在していないはずです。運命を呪うくらいなら受け入れなければと分かっていても、そう簡単にはいきませんでした。
卒業前最後のソロ公演では先ほどの帰ってきた新メンバーと、僕がグループを好きになるきっかけになった元メンバーの3人でとある曲を歌っていました。既に卒業したひと、これから卒業するひと、卒業して戻ってきたひとの3人は自分にとって過去・現在・未来のように見え、一番過去に近かったと思っていたひとが未来を見せてくれる光景は僕にとって救われる材料でした。
それからしばらくして、大学を卒業した僕は無事に今の会社に入社。内定をいただいた時期から、環境の変化に伴いこれまでのようなオタク人生は送れないと覚悟を決めていました。
入社3日目、社長がポンポンと僕の肩を叩くと満面の笑みでこう告げてきました。
「ろぜ、良かったな。」
呆気にとられた僕は二つ返事で「ありがとうございます!何のことでしたっけ…?」と返すしかありませんでした。
「虹コンのHADO決まったよ」
仕事の悩みと今後
僕が所属している株式会社meleapはスタートアップ企業で、社員数も多くありません。故に周囲は優秀かつ経験豊富な社員さんばかり、キャリアも経験も全くない自分はあまりにも無力です。
先述したようにHADOに関わることなら全部やってやるぞ!という意気込みはあるのですが、それだけでうまくいくような簡単なものじゃないのがお仕事です。もちろん熱意はとてもとても重要ですが、僕の場合はそれ以前の問題でした。まずは慣れていこう、なんて考えは許されない環境の中で必死にもがきながら過ごす日々ですが不思議と決して退屈することなくむしろ楽しいばかりです。
それもそのはず、だって僕はHADO大好き人間なんですから。HADOがお仕事、ということはお仕事大好き人間でもあるということなんですね。こりゃ参った。
もちろんそれだけではなく、自分の10年後20年後を考えたときに今の自分がどれだけ周りから吸収できるか、どういうキャリアを描いていきたいか、どんな人材になりたいかを考えさせてくれるのがこの環境の素晴らしいところでもあります。これに関しては生きていく上で仕事が切り離されることはないでしょうから、早いうちに気付けたことが相当大きな財産になると信じています。
さいごに/余談
仕事は必ず誰かのためにあります。今の自分に置き換えるならばHADOの番組を見にきてくれるお客さん、出演してくれる演者さん、選手のみんなとHADOが好きなすべての人のために仕事をしています。
夢が叶っても、その先を見せてくれる人がいます。
居場所があります。帰ってくる場所もあります。
そんな存在になりたい、HADOをそんな存在にしたいというのが僕の夢です。