「急き立てられる鳥」

買い物かごをぶら下げて駅前の通りを歩いている。
私が手にしている買い物かごはシリコン樹脂製のぐにゃぐにゃうねるような作りのもので、横50㎝×縦35㎝程の大きさをしている。
かごの下部に向かうにしたがい横幅が狭くなり、底は楕円の形をしている。
ある程度の強度を有しており、何も入れずにおいても、かごの形は崩れない。
普通であれば、折りたためるようなエコバッグをお会計後に広げて使うのだろうけど、私は駅前のスーパーマーケットに出掛けるときは、必ずこの買物かごを持っていく。
これにはれっきとした理由があって、でもその理由は大抵の人にとっては取るに足らないことだ。

自宅のマンション出て数分歩き、長い坂道を下ると駅前の通りに突き当たる。
その通りを150m程を行くと目的のスーパーマーケットに到着する。
通りの途中には、雑貨店、美容室、クリニックに薬局などが立ち並んでいるが、商店街と言えるほどではない。

駅はスーパーマーケットのすぐ近くにある。
上り方面の改札を出て右側に視線を向けると、建物に張り付いている、スーパーマーケットのロゴの看板が目に入る。

通りを進む私にも、その看板が見えてきたときである。
ふと駅の改札側に目を向けると、こちらを正面に立っている女性が目に入った。
彼女はちょうど改札の隣にあるドラックストアの入り口付近に立っていた。
おそらく40歳は過ぎているであろう、買い物帰りといった風体のどこにでもいそうな女性だ。
なんとなく、私のことを見ているような気がする。
私は気味が悪くなり目線を足元へ落とした。
私と駅との距離が30m、20mと近づいていく間にもう一度目線を上げてみた。
彼女は相変わらず同じ場所に突っ立っていて、何をするでもなくこちらを見ている。
彼女は確実に私のことを見ているのだ。
私が彼女の視線に明確に気づいたタイミングを見計らったかのように、今度は口を動かし始めた。
何か言っている。
この距離では聞こえない、ただ私に何かを伝えようとしている。
私は気味の悪さに引き返したい気持ちと、何を発しているのか知りたい気持ちとがちょうど釣り合って、速度を変えずに歩き続けた。

あと10mを残すあたりになって、かすかな声が耳に届いてきた。
「急いで…急いで…急いで」
呪文でも唱えているのな抑揚のない音。
そのせいで言葉の意味を理解するの一瞬の時間を要した。
ただ意味が分からない。何を、どう急げというのか。
私の左側を電車が駅方向に減速しながら通り過ぎる。
私は歩みを加速させ、その電車を追いかける。
ほとんど自動的に体が動いた。
目的地のスーパーマーケットを横目に私は改札へと向かった。
気づくとドラックストアの前にいたはずの彼女は姿を消している。
電車は駅の停車位置に着こうとしている。
まるで一寸の狂いも許されないかのような慎重さでゆっくりと停止した。
そのころには全速力で走る私が、他の利用客など気にせずにそのままの速度で改札を潜り抜けた。
このまま行けば、発車のベルが鳴る前に、ホームドアまで辿り着ける。

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まゆ
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