ピアノと子供の私
子供ころの話。
私は、4、5歳ごろから、ピアノが習いたいと母にねだっていた。
家にお金がなかったのだろう、家が狭かったせいもある。
なかなか承諾してもらえず、実現はしなかった。
半ば諦めていたある日、突然ピアノを買ってもらえることになった。
記憶の中では突然の出来事で、なぜ今更買ってくれることになったのか経緯は分からない。
私はそのとき小学三年生なっていたし、習い始めるにはとても遅い年齢だってことを自覚していた。
いつだったか、ピアノ教室の待合の椅子に座って自分のレッスンの時刻まで待っていると、
まだ、物心もつかない年頃の女の子と母親が入ってきた。
これから入会して、習い始めるかを検討しにきたらしい。
教室の先生とのやり取りで、その女児がまだ2歳であることが分かった。
習い始めるのに早すぎやしないかと心配する母親に先生が、
「そんなことはない、私は3歳から始めたけど、早いに越したことない」
と躊躇を取り除いてあげていた。
耳に入るその会話を聞きながら、小学生三年である私はすでに何かは諦めないといけない、と思った。
別に一流のピアニストになりいわけじゃない。
物心付いたときから、とにかくピアノという楽器が好きだった。
両手の動きで発せられる、たくさんの音を聴いた時の高揚感。
私にとって、ほかの楽器では感じられないものだった。
習い始めて三年目の発表会。
私はこの時でもまだ、両手で引くのが精一杯で、ほかの同年代の子と比べてしまえば雲泥の差だった。
けど、やっと両手で引ける曲まで、バイエル(教本)が進んだことを嬉しく思っていた。
観客席に戻って、ほかの子の演奏を聴いていたときのことだと思う。
私の母が隣にいて、近くにいた別の子の母親と会話をしていた。
母がこんなことを言った。
「うちの子はもう、始めるのが遅かったから、だめですね。やっぱり早いうちに始めないと」
聞こえてきたその言葉は私の体の中心に、ずしんと音を立てて落ちた。
そして、留まった。
やはりだめなのだ。
2歳の子がピアノを習い始めるときに諦めて、そのあとに残った何かすら、母の言葉に押し潰されて、無くなってしまった。
私はその数か月後にピアノをやめた。