35歳からはじめるフリーランスイラストレーター
自己紹介
こんにちは!私は人間の姿で過ごすのを諦めた、たぬきイラストレーター!
離婚や転職、嫌な事から逃げてばっかりの人生から、イラストを描いて生きていくと覚悟したら…
☑️雑誌『CUT 2024』の表紙を飾る
☑️クラウドソーシング290件納品
☑️CWでプロクラウドワーカー認定
☑️Kindle出版5日で200冊販売
☑️絵本の原画を東京で展示
などなど、1年目でこれだけの実績を作ることができました。人間社会から逃げてばかりいたたぬきにしては上出来です。
noteでは、私がフリーランスイラストレーターとして行動してきたことや、これまでの活動実績、これからのチャレンジなどを紹介します。
今回は書き初めとして、自己紹介をさせてください。
慣れていないので長々となってしまいますが、気晴らしにお付き合いいただけますと嬉しいです。
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人生の基盤、価値観を作った体験
6歳の時に忘れもしない衝撃な出来事(?)が、いきなりスピリチュアルな話になってしまうのですが…
私は6人兄弟の3番目。父は亭主関白、全盲の祖母、姑問題…家庭内はひっちゃかめっちゃかな中で育ちました。詳細はまたあらためて書きたいですが、自己主張のない人間は忘れさられます。でもそれでいいと思いました。その方が親に怒られたり兄弟にいじめられずに済むとも。ただ、いつももの悲しさがあり、なんで生きてるんだろう…何も感じない生き物が良かった…なんて暗い部屋でよく泣いていました。そうやって鬱々と過ごす子ども時代、ある時気持ちのいい季節と晴れ空で、駐車場に寝そべってぼんやりと雲が流れるのを目で追っていました。頭の中はいつもの、両親の喧嘩、嫁姑問題のいざこざ、絶えない兄弟喧嘩…騒がしくて嫌になります。でもふと、私には両親が居て、全盲でも聡明な祖母がいて、健康な兄弟がいて、衣食住困ることなく生活できている、そして私はこんなに呑気に外で寝そべって青空を眺めているじゃない…それなのに贅沢にも悩んでいるんだ…本当は今、自分は満たされているんじゃないか?ここに在ることにただ感謝する、そうしたらどうなるんだろう?もしかしたら、ほとんどの人は今この一瞬、一秒の奇跡に気付けてないだけなんじゃないか?ここに在ることにありがたく思うだけで全ては満たされる気がしない…?
その時、なんだか身体を青空が突き抜けて無重力に漂うような、自分でも驚く体験をしました。
それと同時に、これを誰かに伝えたいけど、簡単には伝えられない。これをバカだ、変な奴だと否定されてしまっては、ダメな気がする。自分がいつか話せる人間になれるまで大切にとっておこう…
そんなこんなで、私の核となる部分、「今ここに在ることをただありがたく受け入れる」というような考えが密かに出来上がりました。
私の原点と心に響いた作品たち
山下清(画家)
私が人生で最初に衝撃を受けた人です。ドラマ「裸の大将」をみた時に、自分もこの主人公のように生きたい!と思いました。リュック一つと傘一本、身軽に旅をして、人を愛して、感謝も受け取らずに、気ままに生きれたら、、と6歳の時に思い、その勢いで絵描きになりたい!と思うようになりました。
手塚治虫(漫画家)
10歳くらいの時に初めて「W3」を読みました。ハッピーエンドでもあり、バッドエンドでもあり、正解は一つではない、この世はいろんな価値観を持って争ってる人たちがいて、それぞれの立場で生きているんだ、という衝撃と、手塚治虫の圧倒的な絵の魅力に心がめちゃくちゃにされました笑(ボッコ隊長のせいで目覚めてしまったオタク心…)
宮沢賢治(作家)
12歳頃、アニメ映画「銀河鉄道の夜」の世界観に惹かれました。当時はこれが何が言いたいのか全く分からない。カムパネルラはなぜ死ななければいけなかったの??ジョバンニはこれからどうやって生きていくの??美しいアニメ表現やキャラデザ、全てに引き込まれました。
その後、中学校での授業で「雨ニモマケズ」を読み心に深く残ります。自分はこんな生き方をしたいな〜と今でも何度も読み返しています。
絵本から学んだこと
母は熱心に子どもに絵本の読み聞かせ、紙芝居、お話し会への参加などをしてくれていました。母は元々、音楽を奏でるのが好き、歌うのが好き、絵を描くのが好き、踊るのが好き…といった田舎の自由人でした。なので、絵本の読み聞かせも紙芝居も、本人がノリノリで楽しんでやってくれていたように思います。さー!紙芝居読むよー!となると、兄弟が集まって平和で楽しみな時間でした。6人兄弟だと親との時間も1/6 …だけども、このわずかな絵本の時間が「自分は愛されているんだ」という肯定感を育んだと思います。
『おだんごぱん』
母が歌うように、楽しんで読んでくれるのが嬉しくて、何度も何度も繰り返し図書館で借りては読んでもらいました。母は「またこれ〜?」と言いながら、いつものように楽しげな母の声で、絵本も当然ながらいつもの決まった終わりを迎えて、読み終わった後の安心と幸福感が大好きでした。自分にとっては特別な一冊です。
『まっくろネリノ』
カラフルで美しい兄弟の中で一人だけまっくろくろな主人公のネリノ。ネリノはいつも兄弟から敬遠さされていました。ネリノは自分だと思ったと同時に、自分もネリノのように、いじめられようと相手を憎まず、いざとなれば助けられる優しさを持っておこうと思いました。
『おばけのバーバパパ』
おばけのバーバパパは最初孤独でした。仲間や友達がいなくて、居場所がありませんでした。それでも困った人を助けることで、優しいバーバパパは街の人たちから愛されるようになりました。いつも優しくて楽しませてくれるバーバパパが大好きです。
絵本の優しくて、少し頼りない、不器用だけど、本当の心の強さを持っている、そんな絵本の主人公のように、自分もなりたいなぁと、気に入った絵本を何度も読んではそう思いました。
経歴
女子大で児童文学を学び、卒業後に絵本『あかおにくん』を出版。新卒は営業職に就くが4ヶ月で退社、色々あって結婚するも置き手紙をして逃げ出し離婚、転職は両手で数えるくらいに。フリーランスを2ヶ月チャレンジするも周りの反対意見に流されて断念。子どもを授かり、同い歳のアーティストの夫と再婚。3年ほど契約社員をするも退職、2023年10月よりフリーランスイラストレーターとなる。
絵を描くという事
私にとって描くことは何より自由を感じられる大切な時間です。6人兄弟の喧嘩は絶えず、亭主関白な父と絶えない夫婦喧嘩、嫁姑問題、さらに親子喧嘩も…ひたすらに殺伐とした家庭内でしたが、唯一兄弟が喧嘩もせず、お互いの個性を認めあう平和な時間がありました。それは、月替りにめくったカレンダーの裏。大きなキャンバスに、兄弟で寝そべって絵を描く時間。時にはテーマを決めて、誰かが「茶瓶!」と言えば、みんなで茶瓶を写生し、表現の仕方を評価し合う、「このデフォルメがいいな!」などと個性を褒め合う、自分にとってはひとときの楽しみでした。絵の中だけは、平和で、自由なんだ!そう思えた宝物のような思い出です。
母が絵を描くのも好きだったため、写生しに兄弟で動物園や公園へ連れて行ってくれ、絵の書き方、コツを教えてくれていました。絵の教師などではないので、ただ自分の感性と経験で教えてくれるだけなのですが…。そのせいか、姉や兄は絵を描くのも好きで、とても上手でした。小学校でコンテストに出すことがあれば必ず受賞するくらいには。そして私はというと、絵を描くのが好きなのに同級生に笑われるほどには下手でした。絵が上手くなりたくて、休憩時間におにごに誘われても断って、自由帳に描いたりしていましたが、全く上手くはならず…。中学生に上がっても美術の評価は2、美術部でも恥ずかしいほど下手でした。
しかし、自分でホームページを作り、そこへ自分の絵をあげたり、チャット交流や掲示板交流で同じ趣味をもつ仲間に出会い、交流し、絵を描くことが好きな気持ちだけは、ひたすら伸ばし続けていきました。インターネットのおかげでサードプレイスを見つけた私ですが、現実は勉強の評価が全ての父に、絵を描いていると叱られ、絵を学びたいとは到底言えない状況でした。その時は全教科赤点のような酷い成績と、絵が下手すぎる上に、コミュ力皆無の救いのない状態でした。
高校生になるも、絵が下手は相変わらず、同級生とは関わらずに描きたいものを描いて過ごします。芸能人がどうとか、クラスメイトのいざこざや、どこのブランドがどうの…そんな事よりももっと、自分は皆んなに伝えたい大切なことがあるんだ!それをいつか表現できるようになるんだ!とか、そんな想いで過ごしていました。
贅沢な悩みですが、必ず大学へ進学しなさいと言われ、なんとか専門学校でデザインの勉強をさせてもらえないかと、勇気を出して言ってみるもダメでした。諦めて大学に進学するも、自分の「描きたい」に近い「児童文学科」を選び、ろくに勉強もせず、そこで羽を伸ばして好きなだけ絵(絵本)を描いて過ごしました。授業のない空き教室で、気持ちよく絵の具を広げて描いたのはいい思い出です。そして、ここに来て突然、絵が褒められるようになりました。気がつけば周りは絵を描くのは好きだけど、私ほどは描いてない人ばかりだったので、文学部の中では少しは描けるレアキャラになっていました。学祭では半信半疑でポストカードとポスター出すと、ほぼ完売。イラストで初めて売り上げが出ました。インターネットの中でも、小さなファンコミュニティの中では名前が知られるようになってきていました。当時は描きたいものが次から次へと出てきたので、とにかく一枚を60分で書き上げる、とかやって枚数を描いていました。
ところが、子どもの時から授業中でもずっと描いてた習慣が、社会人になったときに大きな足枷になり…、仕事中に絵を描いてしまう、夜な夜な絵を描いているので寝不足で遅刻魔など問題が多発しました。休みの日は、漫画や絵本コンペ応募の制作、そしてイベント出店もしていました。とにかく自分の絵を好きと言ってもらえて、自分の絵で何かを感じてもらえることだけが生き甲斐になっていました。漫画を描いているときはどんどん絵が描けて、成長もまた喜びでした。ずっとこんなふうに過ごせたらいいのに…なんて夢を見ていました。
最後に
絵を描くって、紙とペンがあればできるはずなのに、どうしてこうもうまくいかないんだろう?と長らく悩んでいました。自分に全く自信もなく、絵もなかなか上達しなかった私が、35歳からイラストレーターとして走り始め、一年で実績をあげられるようになったのは、やっぱりたくさんのご縁のおかげです。今となっては過去の苦しみもちょっとしたことのように感じるほど、自分が覚悟を決めればポジティブなご縁は引き合うように巡り始めます。今ここに在ることに感謝しながら…
noteでは、これまでの私の経験談や、これからも私の挑戦や日々の創作活動をお届けしていきたいと思います。
同じように悩んだり、苦しんだり、頑張っている人の力になれたら嬉しいです。フォローよろしくお願いいたします。
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