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没男の小説考③なぜ小説なの?
お大事にしてください。躁鬱病ギリギリ会社員、没男です。
またそもそもなんですけど、小説を書いているあなたは、なぜ表現の手段に小説を選んだのでしょうか。
小説じゃなきゃダメなんでしょうか?
✴︎エッセーじゃダメなんですか?!
たとえば、お笑いのネタで、
こんな男はクズだ、こんな勘違い女はイタい‥こういう嫌な奴いない?
みたいなものを見たことがないでしょうか?
実はこれ、小説でも見かけるんですよね。
いっとき、この手で売り込む小説をチラホラ見て、没男も読んでもおりました。
しかし、没男としてはちょっと露悪的に見えてしまいました。
というのも、
こういう奴、嫌でしょう?(笑)
という作者の声ないし版元の声が聞こえてくるからです。
「うわ!うちの職場にもこういうのいる!ムカつくよね!分かるわー!」
という読者の共感を安易に狙ってるのが見え見えで、醒めてしまうのです。
もはや、その小説は嫌な奴製造機、いや、共感製造機にしか見えない!!!
ゾンビみたいに嫌な奴が進化増殖、共感を搾取していく!!!
ならば「枕草子」みたいに、
正面から「アレは嫌いだ!!」
と、作者が堂々と立場を表明して、嫌な奴の生態を綴った方が僕は素敵だと思います。
小説が物語を開陳するスタイルであるならば、エッセーは書き手と読み手双方の共感と反感が火花を散らす場だと没男は考えてます。
だからこのご時世に声を大にして言いたい!!!
フィクションという安全地帯から他人を誹謗中傷するのは、たとえそれが架空の存在であっても人道に反している!!!
そして‥
ただ!!!!
登場人物である嫌な奴にちょっとでも自分を見出したらどう思いますか?
憂鬱ですか?どうですか?
だとしたら、僕は小説として成功してると思います。
嫌な奴を攻撃する手段として小説を書くのでしょうか?あるいは共感を得るためですか?
もしかしたら、嫌な奴の存在そのものを追求する小説だったら、面白いかもしれません。
散々悪態をつきましたが、多くが没男をブチのめしてくれた良作であることを、ここで断っておきます。
✴︎一言三言で終わる小説
前回、作者の意図なる概念は絶対的なものではない、といった趣旨のことを申し上げた記憶があります。
この意図なるものを逆手に取って、別に小説じゃなくてええやんという別のパターンを考えてみます。
ある小説家が自作について、
「私の新作はワールドワイドな挑戦でした。地球温暖化を阻止するため原子力発電の推進に命懸けで挑む男女の運命を描き切ったと自負しております」
などと言ったとしましょう。
没男はこう思います。
そんな主義主張が明確なら論文を書け!!特に政治的なネタなら正面からやれ!!
一言三言で作品に込めた意図が言えちゃうなら、その小説はその一言三言で終わってると僕は思います。
メリットは、
めちゃくちゃタイパが良い!!!
デメリットは、
つまらん!没男だ!!!
といったところでしょうか。
登場人物や語り手が、もう何かを物申したい作者の腹話術人形でしかない!!
こんなアハ体験をした瞬間、没男は目を閉じます。
✴︎小説を選ぶ場合とは
考えましたが必要十分条件がわかりません。
これまでの議論だと、無限の消去法になってしまいます。
なんてったって、没男は推敲しまくっててまだ1作も書けていませんから!!
何本か書いてる方は、自作がほかのフォーマットに落とし込めないか検証できるでしょう。エッセー?論文?短歌?俳句?
自戒を込めて‥
没男の1作目は小説でいいのか?!