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あみだくじ (3) とにかく退屈だった幼少期

楽しみじゃないお弁当

小さい私はなんだかよく分からないけど、自立していた。

と言うより自立をせざるをえなかった。

姉達も私の世話をすると言うよりも自分の事で精一杯と言う感じだった。

学校の親への手紙は自分でサインしたし、お弁当がいる時も、自分で家にあるおかずを詰めたり自分で作った。

友達のお弁当は色とりどりで見栄えが良いけど、私は恥ずかしくて蓋で隠しながら食べた。

給食エプロンなんて、洗わず自分でアイロンをかけるだけなんてざらにあったし、体操服も洗濯して濡れたまま持って行った事もあった。

 

プールが始まり、小さい私はバスタオルと間違えてタオルケットに名前を書いて持って行った。

友達は可愛いキャラクターの小物を持っている中、私は家にある物を何とか寄せ集めたような感じで何とかその場を乗りきった。

学校での私は特に目立つ事の無い、大人しい子供で、勉強も特に出来ないし、リーダー各の女の子からよくはみごにされる存在だった。

退屈な夏と姉と私

お盆休みや夏休みなんて、学校が休みになってしまうし、近所の友達も実家に帰ってしまうから私からすると、単なる退屈のじょちょうにすぎなかった。

夏休みでも早寝早起きの私は家族で一番早く起きるけど、静かで寂しくて退屈だった。

何かしたいけど、何をして良いのかも分からなかった。

テレビの観たいマンガはまだやってないし、ただただ時間が過ぎるのを待っていると言う感じだった。

姉達がやる事を見ていたり、たまにくっついてどうにか頑張って着いて行くと言う感じで、姉達から私は目に入っていないと思う事もたたあった。

我が家は小学校の裏にあり、家の前に学校の壁があった。壁にボールを投げて跳ね返るのを受けたり、ボールが壁の向こうに入ってしまって、壁に登って、学校に入って取りに行く事もよくあった。

夏休みの小学校の出入りは本当は駄目だけど、その壁を登ってよく学校の中へ遊びに行った。夏休みの学校は私達姉妹には絶好の遊び場だった。

真っ黒に焼けてガリガリの髪の長い猿のような由美子が虫取網と籠を持って、学校の桜の木に止まった蝉を素早く捕まえていた。

「ジリジリジリジリジリジリ!」蝉は暴れながら虫籠に入れられた。

ボテッとして、のろまな私は由美子のフットワークにいつも感心していた。

いつも桜の木に留まり、うるさく鳴く蝉も、由美子が来た時は鳴くのを止めているようにさえ思えた。

裕子と由美子は幼稚園の頃に体操教室や、バレエを習ったりしていた事もあって、特に由美子は鉄棒で大車輪が出来たり、足が速くて運動神経抜群といった子供だった。

学校で遊んでいると、用務員のおじさんとしょっちゅう会うけど、私達に怒ったり注意する所か、逆に仲良くしてくれた。

飼育小屋ではウサギ、鴨、鶏を飼っていた。

用務員のおじさんに由美子がお願いしたら直ぐに鍵を開けてくれて、ウサギを抱っこしたり、自由に遊ばせてくれた。由美子は動物が好きでかなり楽しんでいるように見えた。

私はそれを横でただ見ていると言う感じだった。

おじさんは毎日夜学校で寝泊まりしているらしく、用務員室にも入れてくれて、しょっちゅうインスタントラーメンを食べているのを見た。

姉達とくに由美子は巧みに大人とコミュニケーションをとるけど、私は何を話せば良いのか分からずただ横で話しを聞いていた。

おじさんはいつもハンチング帽子をかぶって、眼鏡のレンズは分厚い。

背がかなり高く、外国人のハーフのような見た目で優しい目の奥にどこか、寂しさも交えて見えた。

ある日私は1人で学校に入り、育てた野菜が収穫時期を過ぎて、放置されていた。ミニトマトは水分が無くなり萎れていた。それを、私は好奇心で食べてみた。「美味しい!」

ドライフルーツのように甘い、

ドライトマトになっていた。

水分が抜けた、固い食感に、ほんのり酸っぱさがアクセントになっていた。

それを有り難く私はパクパクオヤツに食べた。

 

夏休みだからといって、おかんは仕事の毎日で特に休みを取ってくれる事も無かった。

私と由美子と姉妹喧嘩をしたらしょっちゅう布団で埋められ生き埋めにされ、

「100回謝れ‼」

布団で息苦しい私は何とか

「ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん…」とひたすら謝らされた。

由美子はいつも私に厳しく、時には怒鳴り声を上げるけれど、どこかで私のことを気にかけていることを知っていた。そのことがわかるからこそ、喧嘩の後でもどこか気まずくなりながらも一緒に過ごすことができた。裕子とはそんな喧嘩は1度もした事が無かったけど、私が生き埋めにされていても助けてくれる訳でも無かった。

私の性格はボーッとしておっとりしていて、姉達の要求やお願い事に、全て「いいよ~。」と答えていた。

後から面倒な要求だったな…と気付くような、あまり物事を深く考えない子供だった。

 

 忘れる母子

ただただ退屈で面白くも何ともない長い長い夏休みもようやく終わってくれた。

私は学校ではよく忘れ物をしたけど、休み時間にこっそり学校の壁を登って家に忘れ物を取りに帰るのは日常茶飯事だった。

不思議と1度もバレた事が無かった。

家はほとんど鍵が開いているけど、

たまに閉まっている事があった。

学校帰りに困った私はいつも玄関の横の兄貴広樹の部屋の窓を開けた。

たまに窓の鍵が開いている時は広樹の部屋から侵入した。

広樹は綺麗好きなようでいつも部屋は整っていた。けど、入った事がバレたらめっちゃ怒られるから、何事も無かったように直ぐに部屋を出て、玄関の鍵を開けた。

私は退屈だし、冷蔵庫の中をよく開けて物色していた。いつも冷蔵庫には食べ物がぎっしり入っていた。

おかんは次から次へと買うし、賞味期限は結構切らしていた。

私が「これ…賞味期限…」とおかんに言ったら

「あぁ…いけるいける。」とその時に使い道を考えて調理し始める流れも多かった。

授業参観はたまにおかんがニヤニヤしながら見に来てくれたりしたけど、家庭訪問は本当によく忘れられて、家庭訪問の日におかんが居ない事が良くあった。「又かぁ~。本間最悪!」

先生が来て、

「お母さん忘れたみたいで居ません。」

と言ってよく帰って貰った。

私はいつもボーッとしたような雰囲気で自分で考えて行動したりが出来なかった。それとは逆に

姉達は自分達で楽しみを見付けてはそれを開拓して、楽しんでいるように見えた。

姉達は「近所で一輪車が流行っているから。」とおとんに言ってお金を貰っていた。

私は自分から言わないし、あまり貰えなかったけど、おとんは私達にお金をくれるだけの存在だった。

 

ある日、裕子が学校の放課後ルームと言う場所を知って、おかんに

「行きたい。」と言ったようで私もそれに裕子と行く事になった。

放課後ルームは8畳くらいのスペースに絵本や玩具や大きい積み木などがあり、宿題したり、自由に過ごせる空間だった。テレビもあったけど、おばあちゃん先生にチャンネル主導権があって、そのおばあちゃん2人の好きな番組が流れていた。

裕子はそのおばあちゃん先生の、筒の中から猫が5匹顔を出している、軍手で作る人形の手芸に興味を持って、色々教わっているのを私は横で見ていた。

私は玩具にも絵本にもあまり興味が無くて、人の動きをただボーッと見ていた。おばちゃん先生が4時になると興奮しながらチャンネルを変えてプロレスの試合を観ていた。

「行け行け‼アハハハ!」

お婆ちゃん先生はここに仕事に来ていると言う雰囲気は全く無くてただ、

楽しんでいるように見えた。

私はこのおばちゃん先生に

「八百長」と言う言葉を教わった。

放課後ルームの後は裕子と2人で帰った。

裕子とは歳が4歳離れていた事もあって、ほとんど一緒に遊ぶ事は無かった。世話とかもしてくれなくとも、私が話しかけたら案外と優しく接してくれたりした。

洗濯物を干す人が居ないので、私達姉妹は濡れた服をアイロンかけて乾かす事が多かった。由美子が朝にアイロンをかけて、そのままスイッチを切り忘れていたらしく、おとんに

「誰や‼アイロン電源ついとったど‼」

凄い剣幕だったらしく、由美子は思わず「私じゃない…」と言ったらしい。

「わこ。お願いがあるねん。アイロン使ったのおまえにしてくれへん?」

かなり切羽詰まったような顔でお願いされた。私はおとん怖いし嫌やけど、そのお願いしてくる由美子も怖かった。しょうがないから私はそれを承諾した。

「おとん。ごめん。わこがアイロン使った。」

私は自分からおとんに謝った。

「フン。そうか。…」

おとんは鼻を鳴らし、一瞬じろりと私を見たが、それ以上は何も言わなかった

私は全く怒られずに済んだ。

 

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