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【ひとりごと】和訳をして感じたこと

最近、2曲の歌詞を意訳してみて感じたことを書いてみたいと思います。洋楽を聴き始めたのは中学生の頃です。

良くある話でしょうか、昨日までの世界観を、毎日のように更新していきたい年頃ってありますよね。丁度そういう時でした。

初めて聴いた歌はTiffanyの「Feelings of Forever」です。


たまたま流していたラジオから聴こえてきて。衝撃的でした。序奏部分のメロディが、美しくて、儚くて、メランコリックで。一瞬にして引き込まれました。

だけど、歌詞を知りたいというほどの興味はない。旋律を追うだけで満足していました。


最初に和訳をしてみようと思ったのは、Billy Joelの「Honesty」。



とある深夜番組を録画しようと(当時はオンデマンドで番組を見られませんでした!)録画のセットをしたら、偶然次の番組も録画されていたのです。

その番組は「珠玉のラブソング集」を解説とともに紹介する番組で、「Honesty」はその中で紹介されていました。この時もメロディーの美しさとどことなく胸に響く感じが切なくて、ずっとこの曲が頭から離れませんでした。

とはいえ、その時もまだ「歌詞の意味が知りたい」というモチベーションは生まれなかったのです。では何故翻訳してみようと思ったかというと「英語ができるようになりたかったから」。

教科書は読みたくないけれど、好きになった、この「Honesty」歌詞のためなら辞書を引いてもいいって思えたのです。

そうして一文一文、丁寧に訳していったわけですが、どうもしっくりきませんでした。一応、全部日本語にはなったけれど、それで?という気分。そんなこんなで、また、洋楽は「フワッと旋律を楽しむもの」という位置付けに戻っていきました。

それから四半世紀以上が経過し、インターネットが誕生して、誰かが訳してくれた和訳を簡単に読める時代になりました。

昔好きだったあの曲やこの曲の歌詞を検索しては、「こんな意味の歌詞だったとは!!!」と驚愕したり、「イメージ通りだった!」と嬉しくなったり。

もはや、新しい楽曲に出会うタイミングで歌詞を入手することが当たり前になりました。

そうすると、気に入った楽曲に出会う度、歌詞の意味が気になってくるわけですね。

Tiptoeingを知った時も、メロディーの美しさと、幻想的な世界観の歌声に魅了されて気に入りました。

すぐにYoutubeで検索し、YoutubeをBGMに流すや否や、別タブで歌詞を検索しました。しかし、和訳を見つけることができませんでした。

「洋楽は和訳と共に楽しむもの」

という習慣が既についていたので、どうしても読みたくて、読みたくて。

無いならば自分で訳そうということになりました。



「Tiptoeing」を選んだのは、和訳が見つからなかったという理由の他に、タイトルのTiptoeingの意味がちょっと謎めいていた感じだったのと、「taste the fruit」を「私も味わいたい」と思ったのもきっかけの一つです。艶かしい感じがして。なので、その艶かしい雰囲気を崩さずに、意訳に徹することにチャレンジしてみようと思いました。

直訳の方がいいのでは?という葛藤はありました。

だけど、作者は恐らく、単なる言葉の羅列をリスナーに届けたかったわけではないと思います。歌詞、メロディ、歌声、そして曲がリリースされた時代の文脈──これらすべてを織り交ぜて、一つの芸術作品を作り上げたのだと思うのです。ならば、伝えたかったメッセージを、英語が母国語ではない日本人も没入できるような訳にしたい。それには、直訳はちょっと無機質過ぎるのです。

そうして誕生した「Tiptoeingの和訳」。

私は、今まで翻訳というのは「できるだけ正確に意味を伝えること」だと思っていました。英語と日本語では一つの単語の持つ範囲が違います。ある部分は一致し、ある部分は違う。そこをどのように補えばいいのか。

表層的な意味だけではなく、メタファーとして表現されている部分もあるわけです。そこも余すことなく伝えたい。意訳とは、訳者のフィルターで濾過された新たな作品なのだと思います。

ここまで書いて、本当は2つ目の「Là-bas」についても触れたかったのですが、長くなりすぎたので、また改めて書く機会があれば続きを書こうと思います。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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