見出し画像

東京ラブストーリー: 赤名リカの心を読み解く


1991年、高校生だった私にとって、少し背伸びした恋愛ドラマだった「東京ラブストーリー」。

オシャレな街を舞台に繰り広げられる、甘くも切ない赤名リカの一途な恋物語。自由奔放で自分の気持ちに正直で、恋愛を全身で楽しんでいるような明るくて強い女性、そんな印象のリカに憧れ、リカのように恋を謳歌したいと夢見た女性たちは、こぞって「紺ブレ」を身にまとい、街中を闊歩していました。

それから30年以上の年月が経ち、再放送を待たずとも、オンデマンドで好きなタイミングで「東京ラブストーリー」を視聴できるようになった時代に。ストーリーはほぼ覚えているし、セリフもところどころ完コピしてる。それでもまた観たいと思わせてくれる、観れば観るほど理解と愛が深まる、スルメのようなドラマ。そういえばハートスポーツ社の社員の女の子(伊藤美紀)が「永尾さんってスルメみたいですよね、噛めば噛むほど味が出る」って言ってましたっけ。

繰り返し観る中で気づいたのは「リカは明るくて強く一途な”だけ”の女の子だけではない」ということ。

「リカには絶対に幸せになって欲しい」「できればカンチと結ばれて欲しい」という願いを込めて、赤名リカというキャラクターについて、少し深く考察してみようと思います。

赤名リカは本当に「自由奔放」なのか


「東京ラブストーリーってどんなドラマ?」と聞かれたら、恐らく「自由奔放な赤名リカが、朴訥で不器用な永尾完治に全力で恋をして振り回すドラマ」と答えるでしょう。都会的でスタイリッシュな舞台が、リカの奔放さを際立たせ、彼女の奇抜な行動が視聴者の憧れを誘いました。しかし、ここでふと思います。リカの奇想天外な行動は、本当に「自由奔放」の象徴なのだろうか、と。

リカの行動は、よく観察すると次の二つのパターンに分けられます。

  1.  相手の気持ちを敏感に感じ取り、思いやっているかのような言動

  2.  周囲の反応を気にせず、奇抜に映る行動


◇◇◇


相手の気持ちを敏感に感じ取り、思いやっているかのような言動


例えば、「三上とさとみが別れたときに、カンチをさとみの元に行かせる」という行動は前者の代表例でしょう。リカが同僚と訪れたバーで三上の落ち込む姿を見かけたのは偶然でした。しかし、彼を励ますだけでなく、カンチをさとみの元に行かせたのはなぜだったのでしょうか。

リカがこの行動をとった背景には、三つの動機が考えられます。一つは、

単に「自分が三上に付き合っているからカンチにさとみを慰めに行かせよう」とする自己中心的な自由奔放さ。

「三上くんと別れてさとみちゃん落ち込んでいるのだろうなぁ。可哀想だし、慰めてあげたい。私は今、三上くんだけで手一杯だから。。そうだ! カンチは今暇じゃない? カンチを行かせよう!」という動機だったら、なるほど、リカは自由奔放だ、自分の気持ちに素直な人だなぁ、と思います。もう一つは、

「カンチが幸せになることを願って、さとみのそばに行かせた」という利他的な思い。

「私はカンチのことが好き。だけど、カンチは別に私だけを好きでなくても構わないの。私がカンチを好きっていうだけで満足だから。カンチはさとみちゃんのことまだ好きみたいだなぁ。。。さとみちゃんが今落ち込んでいると知ったら、慰めに行きたいって思うだろうな。うん、よし、教えてあげて、慰めに行かせてあげよう!」この場合も、純粋な愛情が基盤の自由奔放な言動だと言えると思います。

しかし、実際にはそのどちらでもありません。それは、リカのその後の行動を見ることで明らかになります。

翌日、偶然資料室で会ったカンチに対して、「さとみちゃんのところで何があった?」と詰め寄り、半ば強引に「さとみが泣いて抱きついた」という事実を引き出します。リカを不安にさせたくないカンチは言葉を濁しますが、嘘を突き通せず、「さとみが泣いて抱きついた」ということを暗に肯定してしまう結果になりました。

しかし、リカはなぜこのような行動をとるのでしょうか?自分からカンチを意図的に遠ざけているように見えます。

周囲を意識しない、奇抜な行動


もう一つのパターンである「周囲の反応を気にしない奇抜な行動」の例として、温泉旅行のシーンが挙げられます。リカとカンチの旅行に、三上とさとみも同行することになりました。

カンチ 「ごめんな、本当はこう言うのって二人で来るんだよな。。。」
カンチ 「また、今度二人っきりで、どっか行こう。今日しかないって言うわけじゃないし。」

と言うセリフから、三上とさとみを誘ったのはカンチだと推測できます。エピソード4で両思いになったのにも関わらず、「カンチはまだ100%、リカだけを見ていないよ」というメッセージが伝わってきます。それらの言葉を、リカはどんな気持ちで聞いていたのだろう。。。

そんな中、三上とカンチ、さとみとリカはそれぞれ男湯と女湯の露天風呂に入ることになりました。

リカ 「カーンチ! あとで教えてあげるね! さとみちゃんの裸がどんなだったか」

さとみと並んで温泉に浸かっているリカが、壁の向こうのカンチに対して言います。それを聞いたカンチはイヤそうな表情をしますが、リカにとっては、それも想定内。カンチを不機嫌にするために敢えてしたことでした。

しかし、なぜリカは好きな人を不機嫌にするような行動をとるのでしょうか?そのヒントは、エピソード8の三上の家での二人のやり取りにあります。


三上「またさとみのこととかで、あいつ揶揄っているんだろう?」
三上 「お前の愛情って重いからさ、、、」
リカ 「わかってる。。。けど、しょうがないじゃん。。。そんな風にしかできないんだもん。。。」


リカの「カーンチ! あとで教えてあげるね! さとみちゃんの裸がどんなだったか」という言葉は、自由奔放さからの行動ではなく、両思いになってもなおさとみを気にかけるカンチへの抑えきれない嫉妬や愛情が生んだ衝動の表れと言えます。


◇◇◇


自己敗北性パーソナリティの傾向


カンチを意図的に遠ざけたり、不機嫌にするような、一見すると理不尽に見えるこれらの行動には、実は一貫性があります。それは「自分が不幸になる選択をしている」ということです。もっと良い選択肢があるのに、敢えて自分がより不幸になる方を選んでしまう。そういう傾向を「自己敗北性パーソナリティ」と言います。その主なる特徴は下記のとおりです。

  1.  自分に不利益な選択を繰り返す

  2.  他者からの支援を拒否する

  3.  自己を貶める言動をとる

  4.  楽しい経験を避ける

  5.  自分を大切にしてくれる人を拒絶する

  6.  過度の自己犠牲を美徳とする


ドラマ中のリカの行動を振り返ってみると、自己敗北性パーソナリティの特徴が多くの点で見受けられます。以下に、具体例に基づき再考してみましょう。まず、「三上とさとみが別れたときに、カンチをさとみの元に行かせる」という行動は、カンチの心をわざわざさとみへ向かわせる行為に他なりません。「泣くと予想されるさとみの元へカンチを送り込み」、「優柔不断なカンチが、泣いているさとみを放っておけないだろう」と予測して、その結果を導くためのお膳立てをしています。これは、まさに「自分に不利益な選択」であり、「過度の自己犠牲」と言えるでしょう。

また、資料室でリカが「さとみちゃんのところで何があったの?」と質問した際、カンチが真実を隠そうとしたのは、「これ以上リカを傷つけたくない、大切にしたい」という気持ちの表れですが、それでも執拗に「さとみが泣いてカンチに抱きついた」という事実を引き出した行為は、「自分を大切にしてくれる人を拒絶する」と言えます。

2番目の「カーンチ! あとで教えてあげるね! さとみちゃんの裸がどんなだったか」という揶揄いは、結果としてカンチを不機嫌にしました。「なんで、そんな恥ずかしい言動ができるんだろう?空気読めよ。」と思ったかもしれません。これは、「自己を貶める言動」と言えるでしょう。また、「裸がどんなだったか教えられそうなさとみ」にとっても不愉快なできごとです。さとみが機嫌を損ねることで、四人の間に険悪な雰囲気を招いた可能性を考えると、「楽しい経験を避ける行為」とも言えます。

まとめ


リカがカンチを好きになってから愛媛で別れるまでの間、一瞬たりともカンチの心がさとみから離れることはありませんでした。「自分と同じ熱量で愛されたい」と願うリカにとって、その現実は残酷だったと思います。しかし、恋愛はいつも不等号な関係であり、また主観的です。可視化されず、数値化されない愛情を「どちらの方が多い」と妄想しては、喜んだり悲しんだりします。

その妄想が「自分の愛>恋人の愛」と感じた時、どうするかは人それぞれです。そして、リカは別れを選びました。しかし、もっと別の選択肢もあったはずです。


「もっとゆっくり、カンチとの関係を深めてみようよ。カンチはリカのこと、ちゃんと好きだよ。さとみへの未練ごと、カンチを受け入れてあげて。」

と、33年9ヶ月遡ってリカに伝えに行きたい。

自己敗北的な行動の背景には、過去のトラウマや悲しい経験があると思います。「ベストではなくベター」を選択できた時、リカは、幸せな恋愛を掴むことができるのだと思います。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集