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人生は何度でもやり直せる
新プロジェクトX ~挑戦者たち~ 「人生は何度でもやり直せる~ひきこもりゼロを実現した町~」
タイミングよく(?)プロジェクトXが藤里町伝説を特集していたので
ひきこもりニート歴5年選手の当事者・晴れ田も感想を書いていこうと思います。
バブル崩壊
就職難
やり直しが許されない社会
人口4000の町を変えた元専業主婦の思い
助けられなかった過去
突き止めた113人のひきこもり
町民からの偏見「ひきこもりは怠け者だ」
意識を変えろ
扉の向こう端
再び人生が動き出す
人生は何度でもやり直せる
↑中島みゆきの「地上の星」パートで演出される渋いフォント群が好きなんですよね
プロジェクトX、小学生時代の道徳で幾度となくVHS(担任の私物っぽい)見させられた思い出。
00年代に生きたガキ共の「遠隔社会見学」と「道徳」的象徴だったように思う。
藤里町の功績は「就労、福祉、医療に繋げてひきこもり0にした」ことにある
「治療中心だったひきこもり支援に社会参加を加えた画期的な取り組み(中島修)」
前回記事に書いた通り、藤里町の「ひきこもり支援」の取り組みはネットであらかた調べ尽くしたのでもうこれ以上新しい情報はないだろう(腕組み)と構えていたら全ッッッッぜんそんなことなかった。
番組の中で、短くではあるが菊池まゆみさんの家族にスポットライトが当てられた。
プロジェクトを進める最中に、菊池まゆみさんのご家族もひきこもるようになってしまった。
3兄弟のうち、末っ子が学校の対人関係をきっかけにひきこもりになり、自死を選んだと明かされた。
地域のひきこもり113人を相手しているうちに、とんでもねえカルマを背負った人だと思った。
当時どう対応して接したかを菊池さんと長男が1、2分語るのみの短い構成だったが、私はここが核になってるんじゃないかなと思う。
長男は「母親がもっと寄り添うべき、優しくするべきじゃないか」とコメントをしていた。
母である菊池さんは「三男坊は詮索を嫌いました。いくら話を聞こうとしても、相談先が家族だけだと限界がある」と語った。
不登校経験者のコメントですが、長男も正しいし、菊池さんの意見も正しいと思います。
私の場合は共働きの両親から後回しにされて、話を聞いてもらう時間を取ってもらえませんでした。
最初に1、2度どうして行かないの?と聞かれても答えられるタイミングじゃなく、親はすぐに諦めました。その後も寄り添ってもらえることなく家に放置されてました。親の目から見たら詮索されるのを嫌がって拒んだと思われても仕方ないと思います。だけど、2、3日仕事休んで私の話を聞いて欲しかった。どこかに連れ出して欲しかったな〜って思います。甘えたかったのに甘えるタイミングを逸したのが私です。でも、親に溺愛されてあれこれお世話されたとしても、やはり同じように心を閉ざしていたように思います。心を閉ざす運命は変わらなかったわけで。
ただ、長男が怒ってるように見えたので不和は抱えたままなのだろうか…
でも本当に怒ってるなら取材を受けることもなかった?わからない…わからない…
それに、一つ気になったのは仕事に邁進する菊池さんは家族からフォローがあったのだろうか?
プロジェクトXという番組では頻繁に『夫婦二人三脚で』とか『陰ながらフォローする妻の支えがあって』とか『愛妻弁当で支える夫の使命』いった形で裏舞台で家族がどのように支え、悔しい気持ちを抱える夫を見守り、当時を振り返る家族たちのインタビューも盛り込まれる構成を多く観てきた。(00年代に見たので「夫を支える良妻♡」が多かったね。現代は男女平等パンチ👊)
旦那さんの影の薄さ、長男が代表して三男と母について語る短いインタビュー
ひきこもり支援に携わる菊池さん自身が「ひきこもりを支える家族側」の立場と視点を得て、それは最も辛い形で菊池さんの人生として与えられた。
想像になってしまうが、菊池まゆみさんは家族から「母親」を強く求められ家庭に帰ってきて欲しかったのではないか。他人の113人のひきこもりじゃなく、たった1人の家族をよく見てくれ。そんな印象を抱いた。
(感想を探してると「母親の至らなさで自死した息子」という表現を目にした。なわけあるか。全てを母親の責任にするな。お父さんは?お兄ちゃんは?学校関係者たちは?彼らの存在は空気か?そんなことないよね。何があったかは、当事者じゃないとわかんないよ…)
朝ドラにもよく描かれてるけど、社会進出したパワー女傑であればあるほど家庭が犠牲になって、どうにか折り合いをつける週が必ず出てくる。家庭における母の存在はデカい。父もデカいが母の絶対的存在が少しでも陰ると、家庭内に影響が出るのは心理学で学んだ。
子供を失って、なお支援を辞めなかった菊池さんの覚悟は凄まじい。
そして菊池さんの指摘通り家族だけのフォローにも限界がある。
というか、家庭内のフォローが成功してるなら我々はひきこもりにはならなかったわけで。
社会との接続が途切れた「家族だけの世界」ほど息苦しいものもない。
長期間家の中で過ごすと極度に情報が狭まるので思考が煮詰まって、他人を通して得られるはずの柔軟さや修正する機会を失う。自信を喪失する。極論に達して考えが「死にて〜w」に一本化する。鬱屈した日々。虚無。
精神を病んだ時に自分の世界が家族限定になると、家族は癒しとはならず呪縛に化ける。
甲斐甲斐しくお世話をしようが、どんな支援員を連れてこようが、何もせずほったらかしにしようが全部「家族のせい」で自分はひきこもりになったと考える。5080問題って本読むと大体そんな感じで、原点は家族にあると断定するひきこもりたちの心情が描かれていた。
社会を通して他人と交流することで心の風通しが良くなって、はじめて自分の存在を許せるようになるのだ。
「助けられなかった過去」でも民生委員として接していた高齢者宅にひきこもりの子供がいて、親が死んだ後に子供も病死してしまった後悔があると冒頭で語られていた。嫌われてもいいからもっと踏み込んで、やれることがあったんじゃないかと。やがて役職を得た菊池さんがひきこもりを対象に事業説明会を行ったときも町人たちから「他に助けるべき人がいるだろう」と野次が飛んだが、「親が死んだら誰がひきこもりを助けるんですか?」の問いに答えられる人はいなかった。
時限爆弾みたい。
8050問題も、ひきこもってしまう子供も時限爆弾のようだと感じる。
世間や家庭の矛盾を抱えて爆発するから、家に引き篭もるんだと思う。
菊池さんは「タイミングがあると思う。なので私たちは情報提供を絶え間なく続ける」と語っていた。
これは本当に正しい支援の形だと思う。
元ひきこもり男性も「当初は宗教勧誘かと思った。なんで自分に?と」と振り返る。
それでも見守る形で支援を続けたおかげで、ひきこもり男性の状況にぴったりの解決策を渡したことで話が進み、ステップアップする形で社会復帰を遂げた。
(この方は学歴高すぎて再就職できなかった話が印象的)
2015年に「生活困窮者自立支援法」という法律が施行されて、ようやくひきこもりも支援対象になったという。
(ほんの10年前だったの!?福祉って…)
「法律を先取りしていた藤里町」って表現が好きだ。
菊池さんは「元主婦でしたから福祉のことに関して素人なので、当時は段取りが分かりませんでした。なので、どうして出来ないのかが分かりませんでした」と、当時ずいぶん上司と衝突していたことも明かしていた。
旧体制や仕組みが支援を滞らせることもあったのかもしれない。
そこに真っ直ぐぶつかって、ひきこもりをゼロにした取り組みは本当にすごい。
それにしても「やり直しがきかない社会」は先進国名乗っちゃダメでしょ
20年前に比べて寛容になった?それともさらに厳しくなった?
どっちだろうね今の日本社会