死にたいんじゃない、消えたいんじゃない。ただ、何か辛い。
私の顔は昔から舐められやすいらしく、幼稚園に通っていた頃からいじめられていた。その事はあまり覚えていないが、私の中学までの出来事を書き記してみようと思う。
幼稚園の年中さんぐらいに母と2人で風呂に入り、その時に母が「良い匂いの石鹸使おうね、いい匂いだね。」と言ったら私が「じゃあ、幼稚園でくさいって言われないかなぁ?」と返したらしい。母は驚いて「それって誰に言われたの?」と聞いたそう。
くさい、と幼稚園児の私に言ったのは同じクラスのRちゃんだった。すごく可愛らしく、すでに男の子の扱いを心得ているような子だったRちゃんは周りの友達を使って私をぼっちにしていたそうだ。そのイジメまがいのことは小学校が終わるまで続いた。周りの人を使うのが上手く、まるで教室内で「王国」を作り上げるような感じだった、と今は母と話している。私にとってその行為は、小説に出てくるイジメと同じようだった。
小学校に入ると、幼稚園で一緒だった子は少なくて5人だけだった。その頃はまだ人と話すのが大好きだったし、誰とでも仲良くなれた。
1年生のときはハブられてもずんずん話に行っていた。
2年生では何か不可解な行動をすることが増えた。知らない男の子とそのお父さんと一緒に近所の山を散歩し、「火を起こしたい」と行ってみたり。その翌日に母に電話が来て担任の先生に強く叱って置いてください、と言われたりした。給食の早食い、大食いが流行って「私も入れて」と言ったがハブられて認められる為にすごく早く食べてたくさんおかわりをした。りんごをおかわりしに行くのが1番早いやつが1番強い、という謎の序列がついたので、すぐに食べて口の中に食べたものが全て残っているにもかかわらずりんごをおかわりしに行ったら、吐いた。この時から、モデルになれると言われていた私の体に少しづつ要らない肉がつき始めた。
3年生のとき。この時のことは、1番覚えていない。けれどその1年間謎の鼻水が続いて「バイキンのソラキン」と呼ばれていたのは覚えている。そのいじめが発覚して1年の終わりにいじめた人たちが怒られていた。帰り際、いじめの主犯格が「言っとくけどさ、ヒカキンみたいな感じで呼んでただけだから」と言った。今思えば、「はぁ?んなわけないだろ!」と思ってしまうがそのときはスマホを持っていなかったし、YouTubeを見ることもなかったので「え、あ、うん…?」という反応をした。ところまでは覚えている。
4年生、1番私の人生が狂った年。担任が授業をしない人で、板書しようにも黒板を書かなかったので何もできなくなった。この時に、新型コロナウイルスの時代がやってきた。
5年生。大きな声の人が全て同じクラスに集まり、担任もヤバい人だったので精神崩壊しかける。学校に行きたくない、行きたくないと思っていたが口には出せなかった。体力測定で握力を測ったとき、24あった握力が5キロになっていた。
6年生、人見知りになった。人が、信じられなくなった。2年生の時に受けたIQを測る診断ではADHDの傾向は無かったのだけれど、このときにやった診断ではADHDの傾向があった。握力を理由に検査入院をした。そのときの握力は、3キロよりも少なかった。
このまま皆んなが行く公立の中学に行ったら負の連鎖になる。そう思い、私の家から片道約1時間の私立中学に入る事にした。
中学に入ってからは、友達が1人できた。
誕生日が同じで、委員も同じ。そんな友達はMちゃんと言った。
いつも一緒にいた。ご飯を食べるのも、勉強をするのも。でも、特別干渉したりはしなかった。2人で出掛けに行ったのは中2になる手前の映画だけだ。それぐらいの関係が心地良かった。
中1の夏、ある人物がその間に割って入ってきた。
彼女の名前はLちゃん。Lちゃんが仲間に入ってからは、何か、変わった。3人で出掛けるようになった。プリクラとか、初めて行った。冬休み明けまでは仲が良かった。
冬休みが終わってからLちゃんは1人で弁当を食べるようになった。その代わり、朝のホームルームの前、10分休みのときは私がどんなにMちゃんと話していようと遠くからMちゃんを呼び、私からMちゃんを引き離すようにした。そのうち、私が孤立して弁当も1人で食べるようになっていた。
ろくにMちゃんとも、Lちゃんとも話せないまま、1年生の最後。クラスの皆んなで水族館に行く事になった。私にはMちゃんとLちゃん以外の友達が同じクラスに居なくて1人で歩いていた。すると、同じクラスの陽キャ3人組に声を掛けられた。「ソラちゃん、一緒に回らない?」と。そのうちの1人、Fちゃんとは少し話せていたが、他の2人とは話したことがない。少しキョドリながらも話していると、私が1人でいる事に気付いていたらしく、一緒に食べようか迷っていたそうだ。その3人組は思った他優しく、いつでも相談してね、と言ってくれた。
そんな3人と違うクラスになった、中学2年生の春。同じクラスになったのは部活が同じHちゃん。その子は声が途轍もなく可愛い女の子だった。その子と、1年生の時のキャンプで仲良くなったiちゃんともっと仲良くなった。その頃から、自分の異変に何となく気付いた。引き返して何もかもが元どうりになるなら良かったんだけど、そんな事ないので。
人と話すのがストレスになっていた。友達話すのも、楽しいのだが何か違和感があった。
自分も気付かない範囲で人にずっと気を遣っていたのかもしれない。Lちゃんとのこともあったし、だいぶ寝れなくなっていて、疲れていた。
相談したいけど、相談相手は母親だけ。母親にも、「Rちゃんの時の方が辛かったから大丈夫」と言って誤魔化してしまう癖があった。私の悪い癖だ。だからストレスが溜まる。溜まっているのかも分からない。
そんなある日、学校に着いてから体調が悪くなった。頭が痛い、手が冷たい、吐き気がする。耳鳴り、立ちくらみが酷い。最初は寝不足のせいだと思ったのだけれど、そういう訳でもなかったらしく、音楽の授業が終わって階段を降りていると急に目の前が真っ暗になった。気付いた時には保健室のベッドの上だった。この時いたのが病院のベッドの上じゃなくてよかった。もしもそうだったら罪悪感で押し潰れそうになっていただろうから。
もしかしたら、優しいを渡しすぎて自分への優しいが足りていなかったのかもしれない。
嗚呼、辛い。苦しい。そう思っても生きなきゃいけないのが現実で、自分は死にたいわけではなくて。でも、世の中には死にたいぐらい辛い人がたくさんいて。そんな人と比べたら私はまだマシだ…と、つい他人の辛いと自分の辛いを比べてしまった。
私はそれを辞めるために、ハイキュー‼︎という漫画に出てくる黒尾鉄朗の言葉を思い出している。
「グーはチョキに勝てるけど、パーには勝てないと思いまーーーす!」
と、私の好きな話で言っている。
これが死にたい訳でも、消えたいわけでもない、ただ辛い私の思春期を抱えた心をどうにかする方法なのだ。私の“ツライ”に病名はつけられないから。
知らんけど