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生と死

今日もこの時間がやってきた。自室の鏡台の前の椅子に深く腰掛けて、ぼんやりとただ長い夜が明けるのを待つ時間が。長女が私たちの元からいなくなってからしばらく経ったというのに、未だに現実を受け入れられずにいる。私たち夫婦の愛する娘は不慮の事故の末、その尊い命を落とした。悲しみに暮れ、涙を流す日々が続いていたが、夫は「いつまでもこうしてはいられない。長女に対する想いはもう胸の中にしまっておいて、これからの毎日をより幸せに生きるために一緒に頑張っていこう。お腹にいる赤ちゃんのためにも。」と気持ちを切り替えるよう促してきた。そう、私のお腹の中には新しい命が宿っていたのだ。生活費を稼ぐため、夫は以前に比べて仕事により家を空けることが多くなった。それに伴って私一人の時間は自然と増えていった。
膝の上に抱えた頭蓋骨をほんのりと照らす蝋燭の火のぬくもりさえ愛おしく感じる。同じ淡い光によって艶やかな輝きを放っているのは、いつもあなたが欲しがっていた私の真珠のネックレス。実はあなたが大人になってからあげようと思っていたけれど、今更こんなことを言ってももう遅いよね。一度くらい首にかけてあげればよかった。あなたはどれだけ喜んだだろうか。かつてはあなたのあの柔らかく細い髪を束ねていた髪留めもいつからか床に転がったまま物寂し気な表情を浮かべている。鏡に映る向こう側の世界にもしもあなたがいるのなら、今すぐにでも飛び込みたい。だけど私には愛する夫と新しく生まれる赤ちゃんがいる。だからそんなことはできない。わかっている。でも———。暗く沈んだ夜がまた続いていく。



ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
『悔い改めるマグダラのマリア』
私はこの絵を見たときとても暗い印象を抱いた。特に目立つモチーフである蝋燭について調べると、頭蓋骨と共に描かれることによって人生の儚さを表す意味があることが分かった。また鏡は異世界へと繋がる道具であるイメージが強いため今回は鏡の向こう側をあの世と解釈することにした。背景が黒と白に分かれていることからも、この女性が生と死の狭間で葛藤しながら彷徨っていることを暗に示しているのではないかと思った。

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