自分の中の常識を疑う

きっかけは「本田圭佑さんカッコ良すぎるだろう!」という感動。

彼がW杯に出ていた時、「日本を優勝させる」と真顔で宣言していた時、マスコミを通して「無理なこと言っている」「できなかったらどう責任を取るのだろうか」と外野なのに感じたり考えたりしている世の中の流れに身を任せていた自分を思い出し、恥じたのもきっかけ。


アベマプライムで本田圭佑さんを含む出演者が教育について語っていたとき

トップをもっと伸ばすこと=不平等

みんな同じように教育することに価値がある

教育格差を変える=できない子を救う

という価値観が日本では割と「常識に近い」感覚であったこと

それに気づかされた。

なんと狭い考え方だったことか・・・。

トップが社会貢献に意義と義務を感じられるように最先端の教育を存分に与えること。(アメリカの大学の運営資金の多くは、卒業生による寄付なのだそうだ。そんな気持ちが自分の出身校にわくだろうか。)

各々の人生のゴールから逆算した熱量に合わせて教育の機会や情報があること(形式的な平等はいずれぶつかる社会の多様さに打ち砕かれる価値観)

教育の「機会」の格差には動いてくれている多くの人がいる。教育を受ける「意欲の格差」こそ問題。

全くもってその通りだ。

ハングリー精神を持って、チャンスを探す

大きな目標を打ち立てて失敗しまくることに恥ずかしさを感じず、むしろ生きがいを感じる

挑戦する者の足を引っ張らず、刺激を受ける

常に自分の言葉・責任のもと意思決定をすることを繰り返す中、自分の目指す人生に歩める喜びを味わえる

そんな社会こそ大切。

自分も教育を受け、社会に出た時に自分の「20世紀型な価値観」の強さに苦労した。いや、している。

今は、どんな価値観で人生を考えるべきなのか。

入試がある、他の人の目がある

そんな「環境によって作られた常識」を疑うことのできる

多少のことで挫けない強い意志

それを我が子に示せる大人でいたいな、と

そう感じることができたきっかけをくれた本田圭佑さんの言葉、生き方

すごいなぁ。

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