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井岡選手の会見や報道から

きっかけとなるニュースの要約

ボクシングの井岡選手にドーピングの疑いがかかった。しかし、それは尿検査を行う側(JBC)の不備によるミスだったということで、全くの潔白だったということがわかり、井岡選手が弁護士の方とともに会見をした。

報道から会見の間に井岡選手に起きたと想像できること

報道による誤った認識の広がり

メディアのコメンテーターによる誤解に基づいた批判の声を見聞く

SNSを通した一般人からのバッシング

潔白の主張を「科学」という根拠であらゆる人に否定される

家族や親しい人に深く心配される

個人的にこのことを通して考えたこと

 頑張っている人、輝かしいものを手にした人が「失敗したかもしれない」の時点で飛びつきすぎるメディアの情報リテラシーをそもそも疑うスタンスで、私達も情報と向き合わなければいけない。テレビの報道を信じすぎる自分たちの価値観にも問題はあるのかもしれない。多くの報道は真実を伝えるために努力をしていて、その正しい情報も受け取っているからこそ自分たちもメディアから出される情報を信じるわけだが、こと「個人に起きた出来事」については当事者にしかわからないことも多くあるという前提にたって、メディアの情報を鵜呑みにして判断を下す、というのを急がない方が良いと思う。

としても、やはりスキャンダルを一生懸命探すメディアの一面が自分の中に嫌悪感を与えているのは否めない。「ねえねえ、・・・さんがあなたの悪口を言ってたわよ」と喜んで伝えるような人を好きになれるだろうか。そのように見えてならない。次はJBCをバッシングする報道でもするのだろうか。

因果応報に「スッキリ」する感覚って恐ろしい

この報道を受けてSNSで井岡選手個人に誹謗中傷を送った人は、全員その言葉を反省し、謝罪の一報を入れたのだろうか。正しい主張を受け入れられず「君が悪人だ」と関係ない大衆から言われ続けた心の傷に対する責任は、報道で追及されないのだろうか。今度はJBCに誹謗中傷を言い、自分のミスを取り戻した気持ちになるのだろうか。

「は?」とか「え?」とか思う出来事を「心の中にとどめておく」ことができない人が、誹謗中傷に走っているのだろうか。悪いことをしたからそれ相応の罰を受けている「証拠」を目にしないとスッキリできないと考えてしまうのだろうか。なぜ、その罰を自分が与えられると勘違いしてしまうのだろうか。因果応報でスッキリ! だから誹謗中傷の行動に移るのも早い。そんな生き方、とても恐ろしい。これはネット上だけでなく現実のコミュニティでも気をつけなければいけないことだ。

多くのストレスを抱えないように生きたほうがいい

これは否定しない

芸能人のスキャンダルでストレスを抱えた。そのストレスはないほうがいいからしっかり文句を言おう。

これは、芸能人のスキャンダルにストレスを感じる物の感じ方を改めれば解決する問題。

芸能人は、私達の生活を「明るくしてくれる」存在。ドラマや映画では感動を与えてくれ、スポーツでは熱狂する喜びを与えてくれる。本当に多くの人たちの毎日を幸せにしてくれるプロの人たちなのだ。

法的に重大な犯罪は別だが、基本的に個人的な事情に口を挟まず、明るく照らしてくれる部分のみ見ていたらいい。特に好きな芸能人がいるならば、たとえスキャンダルが報道されても親友と同じぐらい「信じる」気持ちを持ち続けたらいい。

考えたこと

SNSは、多くの人と「つながる」ことを可能にした

つながることは、多くの人が求める「承認欲求をスピード感をもって満たす」ことを可能にした

つながり・承認欲求は人間同士の物理的な距離を縮めてくれた

その代償にSNSは、他人の人生に干渉する術ももてるようになった

干渉する側にリスクが少なく、干渉される側にばかりリスクのある状況

現実のコミュニケーションとは全く逆のリスクの状況。(「・・ハラスメント」が干渉から守ってくれている)


SNSとこの仕組は変わらない。ならば、

因果応報でスッキリする感覚に危機感をもつこと、それが大切だと思う。

我が子達はもうネットの世界が広がっているときにこの世に誕生している。

親として伝えなければいけない生き方を、胸を張ってし続けなければと思う。

そんな戒めとして今回の報道に対する感想を書き綴った。

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