選択の連続で作られた自分
人の目をじっと見ながら話すのはスイッチを入れないと厳しい
明るく振る舞うこともスイッチを入れないと厳しい
できればあまり喋らずぼーっと考え事する時間が多くあると嬉しい
人の役に立てた実感を定期的に味わえないと落ち着かなくなる
人を傷つける言動はもちろん嫌いで、人を不安にさせる雰囲気も嫌い
元気がない人がいると、気になって仕方がない
一度決めたことをずっと継続するのが苦手
良いこと思いついたら今までのアイデアをすぐポイ捨てできてしまう
自分で自分の特徴を考えてみる。
そんな自分の人間性は、小さい頃からの「選択」の連続の結果作られた「心の習慣」と「身についたこと」なのだと思う。
幼稚園の先生の明るくて笑顔あふれる優しい「おはよう、〇〇くん」が本当に苦手(恥ずかしい)で、先生たちより早く登園していたり(幼稚園はすごく嫌いだったのにも関わらず、だ。)
高校時代にクラスで起きたいじめ。当時の担任の先生が、自分を呼び出し、「頼むな」と言われた。嬉しかったけど、集団を変える勇気なんてなくて、みんなに見えないところでいじめられていた子に何気ない世間話をしに行くことや、悪口に参加しないようにその場を離れることしかできず、結果的にその友達が退学してしまったことが心に刺さっていたり
20代、憧れの人に追いつきたくて、その人の思考回路を分析し、真似しようとした。それでもちょっと上をいきたいから、その人が研究しなさそうな分野の勉強をあえて突き詰めて付け足し、思考回路をオリジナル風にして自分らしさを保ち成長しようとしてみたり
たくさんの選択は、今の自分をきっと形作っている。
自分だけでなく、きっと誰もがそうなのだろう。
どうみても周りの人が「嫌だ」と思うようなコミュニケーションをとってしまう人がいたとして、その人も、その選択をしなければいけない環境に身を置き、気づかずに「心の習慣」としてしまっているだけなのかもしれない。自分を守るため、傷つかないため、心の叫びに耐えるため、今その選択をしなければいけない気持ちになってしまっているだけなのかもしれない。
自分の選択した行動が、周りの人に「より良い選択」を促すことにつながるように(独りよがりかもしれないが・・)、心を配り続ける、そんな生き方ができたら良いなと思った今日この頃。