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当時19歳の私が水商売を始めた話

ガールズバー、キャバクラ、ラウンジ、スナック、クラブ、コンパニオンその他もろもろ。

ガールズバーの中でも水着やコスプレガールズバーだったり、キャバクラでもイチャキャバやらセクキャバやら、100人いれば100通りの性癖があるように、需要があるから供給があるって具合に色んな形態のいわゆる“お水のお店”がある。

その中でも私が経験したことがあるのはガールズバー、宴会派遣コンパニオン、キャバクラ、派遣キャバクラの4種類。

それぞれのお店での特徴や体験は置いておいて、今回は私がなぜこの夜の世界に飛び込んだかを思い出してみようかな、と。

ちなみに私は記憶力が良い方なので、大学一年生の夏休みにガールズバーの黒服に電話をかけ、面接を取り付け、実際面接に行って働き始めた日のことは、今でもめちゃくちゃ覚えてる。


ガールズバーで働き始める前に、私は普通の居酒屋でバイトを始めていた。

とりあえず前提としてそのバイト先の話から。

大学に入ってから友達の紹介で入った居酒屋は個人経営なこともあって、髪色ピアスネイル自由、シフトも最低週に何回とかいうルールもなくゆるめな所だった。

当時19歳でその後バラ色の大学生活を送る予定だった私にはそのフリーダム満載な条件に飛びついた。

私は地元を出て関西の大学に行ったから、知り合いがバイト先にいるというのも安心材料だった。

いざ働いたら時給は¥850で22時以降の手当てもないバイト先だったけど、美味しいまかないも出るし親に家賃・光熱費・ケータイ代を払ってもらっていた上に食費・日用品費の名目で月に数万円の仕送りをもらっていたゆとり女子大生だったので、最低限自分の遊び代を稼げればいいや〜と週に3、4回ゆるく働いていた。

でも、その居酒屋の場所が私が住んでいた駅の4駅先で、おまけに元々働いていた友達がチャリ通勤していたこともあってなんとなくチャリで片道30分通う日々が始まった。

ほぼ一本道だったけど、週に最低3回往復1時間の通勤は女子には辛い。

おまけに私が住んでいた場所は盆地で夏場なんて地獄の暑さ。

私は早々にチャリ通を諦め電車通勤に切り替えた。

電車だと徒歩入れても30分はかからない距離、往復¥300である。

ただ個人経営特有のゆるさで、私は電車通勤に切り替えたものの交通費はもらえていなかった。

(この時ちゃんと交渉しなかったのは完全に私の落ち度だけれど)

終電までの制約があるので、どうしても働ける時間が短くなり、更にまかないを食べられるとはいえ電車代を払って徒歩&電車で通うのがかったるくなり、だんだんシフトは減っていったのもあり、収入は右肩下がりだった。

仕送りがあるとはいえ、もう夏休みは始まるところ。

夏休み後半には(当時の)彼氏とグアムも行く予定だしサークルの合宿もある。

友達と海に行く約束もある。

『働かなくては。家から近くて、手っ取り早く稼げて、かつ日払いがもらえたら最高』

ここまできたら私も薄々気付いていた。

これはもう夜の世界に飛び込むしかない。

正直言うと元々興味はあった。

なんて言ったって私の世代はSNS全盛期。

有名キャバ嬢たちは毎日同伴出勤しシャンパンを開けてもらっていて、月に数百万、数千万稼ぐのも夢ではない世界だと知っていた。

(もっとも、のちにキャバ嬢になった時に月に数千万プレイヤーなんてほんの一握り、かつ自分はその部類ではないと気付いた)

ただいくら稼げるからといって業界未経験だし、いきなりキャバクラで働き始めるのは怖かった。

近所にキャバクラもなかったし。

そこで私は一駅先の大学の最寄駅にある数店舗のガールズバーに目をつけ、バイト求人サイトで一番時給が高いお店に電話をかけたのが、私の水商売人生の始まりである。


7月終わりから8月前半、居酒屋バイトをゆるくやりながらなんとか仕送りと前月のお給料で生活をしていた夏休み。

なんだかんだ私はびびって、ガールズバーに面接の電話すらかけられない日々を2週間続けていた。

『いよいよお金が底を尽きそうだ。これはもう腹をくくろう』

友達に会いに静岡にプチ旅行をした帰り、そう決意して家に帰った瞬間に、目星をつけていたお店に電話した。

そこから次の日に面接をすることになり、私はそりゃあもう緊張しながら約束の時間にお店に向かった。

ガールズバーが複数店舗入っているビルの前に着くと、白いメガネをかけた男の人が一人いて「面接の子?」と聞かれた。

お店は地下にあって、薄暗くて怪しげだった。

履歴書はいらないと言われていただけあって、お店のフォーマット紙が用意してあり(後から知るが、水商売の店はだいたいそのような面接用紙がある)私は空欄を埋めていった。

彼氏や旦那の有無、送迎有無を聞かれるのが他のバイトと違うなあと思った。

面接は滞りなく進み、いざ給料体制の話になった時、私はびっくり仰天した。

出勤日数によって変わるが、最低¥1300だった。

しかもそこから送迎代や厚生費(店によるが¥500〜¥1000/日)、更に謎の10%が引かれるのである。

『求人サイトには時給¥3500って書いてあったのに!』

口にこそ出さなかったが、私の心の声は顔に出ていたのであろう。

N村と名乗るその黒服が、まるでなんてことのないように「ドリンクバックや同伴バック、指名バックが入ればMAXこのくらいの時給になるから」と平然と言った。

これがこの世界の怖さか、、と私はそこで悟った。

後から色んな店舗の面接や体入を経験して分かったことだが、この業界これが普通である。

求人にはうまいこと書いておいて、実態は努力次第、バックありきの時給だ。

かと言って私はもう後には引けない経済状況だったので、日払いは一日に¥3000までできることを確認して、次の日から働き始めることを決意した。

次の日シフトの時間通りにお店に行ったら、N村には「来ないかと思ったよ!」と意味分からないことを言われたが、この世界の人間はだらしない人も多く、当日欠勤や無断退店(いわゆる飛ぶ・ばっくれ)が多いことも後から知った。

そんなこんなで私の水商売人生はスタートし、その後25歳になった今では経験年数が無駄に更新されていくだけのポンコツキャバ嬢である。

ちなみに、当時の彼氏にはガールズバーで働き始めたことは内緒にしていて、ママには事後報告した。

彼氏は若干潔癖気味で、この世界にめちゃくちゃ偏見があることを知っていたし、ばれたら怒られて辞めるか、別れて続けるかの選択になることは目に見えていた。

その時の私はお金を優先しただけの話。

ママには反対こそされなかったけど、それは近所のガールズバーだからこそであって、もっと大きい繁華街にステップアップしてキャバクラで働くことは暗に反対、働かないことを約束させられた。

この約束は数年後にさらっと破るけれども。


正直、ガールズバーで働き始める前も後も、この世界に対する見方は変わらなかった。

最初から特別偏見もなかったし、女の子が稼ぐ手段として合理的だと思う。

ただ、私は本当に普通の女子大生だった。

そんな私がお水の世界に飛び込んだのはちょっとしたきっかけとタイミング。

将来的にお店を出したり、どこかのスナックでママをやる予定もない私は、自分の消費期限を知っている。

いつか完全に足を洗うその日まで、私は夜のネオン街で若さを切り売りし続ける。

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元・下層キャバ嬢Mちゃん
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