フィリピンでの生活#4【Teachers’ day】
「日本はだんだん朝晩が寒くなってきた。」と家族から聞いた。休学の実感もなければ、周りは常夏であるため、まだまだ夏休みの気分の私…。
休学中はお休みしている書道のお稽古だが、一応毎週自分で取り組み、先生にLINEで添削していただいている。そして、この間課題として送られてきたお手本に書かれていたのは「寒来暑往(かんらいしょおう?)」だった。季節が移り変わることをあらわすこの言葉…。いや季節変わらねーよ、と自分でツッコミながら、臨んだ。
フィリピンに来て、約1か月半。"一ヶ月"というと緊張が程よくなくなり、いろいろ起きる時期。よく言われる異文化適応の過程でいうと、ハネムーン期が終わり、カルチャーショック(異文化をさらに実感していくうちに、以前は刺激的で楽しいと感じた日常生活にストレスを感じるようにな)にはいる時期。さてさて私はどうなんだろう…。
私自身は生活の適応能力は高め?と自負しているため、トイレ、お風呂、生活リズム、ごはんなどなどにも比較的すぐ慣れて、2週間目くらいからもう数年住みました感を醸し出していたと思う。(その分人間関係の適応能力は多分激低、今はただただ本当に人のやさしさに支えられている。)
しかし、やはり1か月経つと肌身離さず持ち歩いてた財布を普通に仕事場に忘れてくるくらいに気の緩みが顕著にあらわれる。また1か月何事もなく無事完走と思った途端に、風邪を引き、本日6日目未だ声がおかしく、ずーっと37.5°をキープ!やっぱり1か月を乗り切ったという危険な自信と見えない疲労や蓄積されたストレスが姿を現すのがこの時期なんだろうなと改めて実感。
そして最近は白米ばかりを食べている。米はすばらしい…、健康にいいという言い訳をして、何杯も…。幸せは心と腹回りにたまりました💦 1日100回スクワットを試みていますが、意外と余裕で運動にはなっておらず、蓄積が増えるだけ、、、まだ5ヶ月ある!と言い訳している自分。
ここまででも書きすぎた気がするが…今回は素敵だなと思った"teachers' day"について、少し記録を残したいと思います。📸
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これは日本以外の国の学校を訪れて感じることだが…「学校」がすごくひらけている。先生、児童・生徒、保護者の境界があいまいでよりフラットな関係性。
日本では「先生」という職業の職業威信の高さのせいなのか、「学校」が何か社会と乖離した空間であるせいか…、なかなかに難しい現場であるように感じる。
先生は完璧でいないといけないという児童・生徒、保護者の先入観。またそれに応えようと、日々の自分の生活を隠し、完璧な部分しか見せないように努力する先生。そしてその綻びをつく児童・生徒…。
知育・徳育・体育のすべてを担う日本の先生だからこそ、繊細な児童・生徒の心に注意を払い、近すぎず遠すぎない距離感を保つようにしているように感じる。
また、自分の子どもと同じ学校では働けない(公立)し、夫婦で同じ学校で働くこともできない。公平公正を保ち、公私混同を防ぐためにたくさんの配慮がなされていると思う。
こういった距離感があることがよいのか悪いのかは一面的に見て判断できることではないし、メリット、デメリットがそれぞれにある。また同様に日本の教育で評価できる部分も改善すべき部分もたくさんあると思う。しかし、今回のポイントはそこではなく…私がteachers' dayに見た、なにか今までに感じたことのない・見たことのない素敵な光景をシェアしたい。
まず、Teachers' dayとは…
リンクから見れるUNESCOのホームページをそのまま掲載するが…。
”World Teachers’ Day is held annually on 5 October to celebrate all teachers around the globe.” (出典:UNESCO)
10/5に世界中のすべての先生を祝うもののよう。感謝を伝え、祝うだけでも素敵だなぁと思っていたが…。
”It is a day to celebrate how teachers are transforming education but also to reflect on the support they need to fully deploy their talent and vocation, and to rethink the way ahead for the profession globally.” (出典:UNESCO)
先生の能力を十分に発揮するための支援を検討したり、これからの未来を再考する機会であることを知り、もっと意義のあるものだと感じた。
逆になぜ日本では祝わないんだろう!?笑
【先生(?)としての私】
私はここ最近はなぜか先生の代講で"Functional English"という授業を4、5回させていただいたり、なぜか研究のプロポーザルのコメンテーターみたいな形で授業に参戦したりした。その時の生徒の様子はまた別で書きたいなと思う。日本の大学・学校ではどこの馬の骨かもわからないやつに授業をさせるというのはまずあり得ないため、「私でいいのか?」という思いが大きく私を支配した。また、授業の1時間前に「今日お願い!」という連絡が来ることもある。(わかりました、と返信しながらも、心の中では「無理無理無理無理」と思ってる(笑))Functional Englishでは、マニュアル通りにスライドを作り、ある程度そのスライドやセクションで伝えたいことをまとめて、軽く英語のメモを作ってなんとかやっている。授業最後のAssesmentもGoogle Formsを用いて何とか作っている。普段の授業の様子、生徒のバックグラウンド(どんな知識を持っているか、どんな教育を受けてきたか、英語力がどのようなものなのか)を全く知らない私は、確実に担当の先生が行う授業には敵わない。私にあるのは「日本人」という異質性だけであり、生徒も私が英語の授業をするよりも日本の話をしてくれる方が興味を持ってくれるだろう、、そう思って、授業が脱線しないように日本の事例を紹介してみたり、雑談で日本の話を挟むようにしている。それでも、こんな授業で大丈夫なのか?ちゃんとみんなに伝わった?と日々不安に思っていた。
そんな中で迎えた"Teachers' day"その日は授業はなかったがその週の別日にそのFunctional Englishの授業の終わりに生徒が祝ってくれた。(1週間をかけて祝うのがこの学校のやり方のよう。)紙吹雪を散らして、”Happy teachers' day!!”とみんなで言ってくれた。自分自身「先生」ではないと心から思っていたので、まさか”Teachers' day”で祝ってもらえるとは!!素直にうれしかった。ココナッツの葉で作ったとても素敵な花束とたすき、紙で作った花をもらえた。生徒は同い年か私より年上だったし、自分の授業がまだまだ半人前なのはわかっていたけれど、みんなに話しかけてもらったり、プレゼントをもらったりするのは本当にうれしいなぁと思った。
そして、その週の最終日である金曜日、何人もの生徒が花、ペン、ペンダント(写真や言葉が入った)などなどを持ってきてくれた。(特定のクラスからであったり、生徒会のような組織からであったり、、)とてもうれしいとともに慣れていない私は少し照れくさかった(笑)
「ありがとう」を伝える、感謝を伝えることはすごく日常において難しいと思う。そこに「先生」がいることは生徒にとっては当たり前で、"Teachers' day"のように振り返る日がなければ、その存在の大きさに気づくことは難しいかもしれない。先生のために、先生を思いながら、時間をかけて準備する生徒はなんと素敵なんだろう!そして、その協力して作業する中ではぐくまれる友情や絆もあるんだろうなぁと一人想像を膨らませながらわくわくする。
「すべての人が良いと思うことを行うように心がけなさい。」
私もよいと思うことができるように、良いと思う行動を選び取るように生きていきたいなぁと感じた。
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