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最凶の怨霊とサッカーの神様
私が、一度行ってみたいのは、京都府上京区今出川堀川にある、白峯神宮だ。
サッカー日本代表のシンボル、八咫烏が祀られていることから『サッカーの神様』として、
現役選手やファンがお参りにやってくる。
しかし、この神社には、もうひとつの顔がある。
ご本殿で祀られているのは、史上最強、いや、最凶として、皇室から700年もの間、恐れられた、崇徳上皇だ。
複雑な生い立ちを持つ、崇徳上皇は、保元の乱に敗れ、讃岐の国に流される。
そこで、崇徳上皇は、大乗経を写経して京都へ送った。
我が身はここへあろうと、京の都を案じてやまない、胸の内を込めて。せめて写経だけでも、京の寺に収めて欲しい、と。
しかし、朝廷は、それさえも突き返す。
この冷たい仕打ちに、崇徳上皇は自らの血で、強い怒りを書き留めたという。
強い呪いを魔道に捧げた、崇徳上皇は、生きながら天狗のような、恐ろしい姿となって憤死した。
その亡骸を荼毘に付したところ、煙は京までたなびき、埋葬時には、空が突然曇り、激しい雷雨となり、柩からは夥しい血が流れたという。
上皇の死後、京都では、災害、二条天皇の若過ぎる死、など、皇族、民衆問わず、不幸が続き、崇徳上皇の祟りだと噂されるようになる。
そして、何度か、崇徳上皇の魂を京に迎え入れようと試みたが上手くいかず、
明治元年、最高の皇室儀式『即位の礼』が行われるが、その、前日、明治天皇は、
孝明天皇の遺志を継ぎ、讃岐の国から崇徳上皇の魂を京に迎え、御霊を祀っている。
それが、この白峯神宮だ。
700年もの間、ずっと崇徳上皇の怨念に怯え、何とか御魂を鎮めようとしてきたのだ。
今では、サッカーの神様として、有名な白峯神宮。
一体、どんな雰囲気なのか。
上皇の強烈な怨念は、今でも、そこはかとなく漂っているのだろうか。
それとも、上皇はもう、怨念など持っていないのか。
そこに行けば、空気で分かるだろう。
700年の間、世を呪い、災いを起こし続けた上皇が、そう簡単に恨みを捨てられるのか。
私には、計り知れない、とてつもない怒りと悲しみ。
憤死するほどの。
それが、本当にはれているのか。
実際に、この身で、体験したい。
参考:『本当は怖い京都の話』
倉松知さと/彩図社